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2010年3月15日月曜日

メンヘラ女と登校拒否児童のニュース

世の中にはもっと不幸な親と子供だって居る。
あんな下らないニュースはさっさと取り上げるのをやめた方が良い。
学校が対策を立てるのではなく、あくまでも家庭の問題だしな。
皇族だからって特別扱いするのはどうかと。
これもある意味で差別だよ。
区別じゃない。

学校ってのは共同生活を学ぶ練習場。
みんなと仲良くするのは子供の努力もあるかと。
学校なんて面白い場所ではない。
それを面白い場所として感じるようにするのも子供の努力。
最も友達を作れる機会があるのも学校だし。

学校が面白くないから学校が対策するってのはモンスターペアレンツと同じだと思う。
一概に彼ら一族が悪いとも言えないけどさ。
縛られていることで不自由の無い生活を守るか。
不自由の無い生活を選んで縛られるか。

結局のところ、縛られても生活が保護される事を選んでいるということだね。
だって日本国籍を持っているんだから、当然のように普通の日本人として生きる権利はあるんだもん。
これは何時、誰がどのようにして終らせるんだろうね。皇族という制度。

宮内庁という庁を存続する為に宮内庁の職員たちが仕組んでいるのか、皇族という存在を国民が望んでいるのかということ。
少なくとも後者は少数だと思うよ。

3 件のコメント:

  1. あかぃりんご2010年3月16日 20:28

     アリが自身についてメンヘラを考えた一件について閑話を書いてみます。
     実は、アリは二羽連れのヒヨの内の一羽と視線を交わす仲になっています。ヒヨを見ると、ヒヨがずいぶん大きな鳥として感じていることに気付き我ながら驚きました。多分、(o`θ´o)に親しんでいるあまり、アリの目が 、鳥と言えば(o`θ´o)になっているのではないかと思うのです。ゴイサギが象のように感じられたこともありました。
     ボソの夫婦とやり取りする時も、結構な重量感を感じます。これで、脱色首長凶暴鳥を目の前に見たら、アリなんかは、恐竜か何かを見たように感じられるのではないかと危惧されるのです。ヒトとしては認識の障害が一部起こっているとも言えると思うのですが、これらの現象は、意図せずに(o`θ´o)の認識と同化していることが原因だと思われ、今までになかった症状です。そう言えば、最近、スズメの顔の表情が少し分かるような気もします。
     これは、ヒトとしては滅亡の予兆ではないかと言えるのではないか?まだ、客観視できるからメンヘラとは必ずしも言えないのではないか?などなど思っています。滅びと言うのは、新しいものが出る予兆でありながら、その新しいものも長い歴史の中ではなさそうにも思え、なんだか、滅びるのも、良くも悪くもない、恐れても、恐れなくても、その時は来る、などなどぼんやり思えてきます。言うに言われぬ、しずかな楽しさが湧いてくるようです。閑話失礼しました。

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  2. 心で感じる大きさってのは魂の大きさかも知れない。
    人間は、視覚として見える形状や大きさといった情報のほかに、観察することでその魂の大きさや形や色などが感じられることもあると思う。

    つまり、コミュニケーションの対象と自分の間にある回線が開いていれば、コミュニケーションの相手の大きさなんてあまり気にならなくなるかも。

    大きさで命の価値が決まる訳では無いですし。
    人によって対象の重要性が変わるのもそのためかと。
    大切に思えば大きく。
    無関係であれば感じない。

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  3. 送信しちゃった・・・

    だから、無差別殺人なんか起こすキチガイは、自分の知っている人間を殺さず、自分と無関係の人間を殺すのかも。
    自分に接点が全く無ければ関心も無く何も感じないのかもしれない。

    自分の飼っているペットはとても大切だけど、道端で擦れ違う他人のペットには関心が無いから何も感じないのと同じ。

    気にすれば周りにいっぱい居る生物も、気にし出したらきっと彼らの命の大きさが見えてくると思うんだけどね。

    関心の有無ってそんなものだともう。

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