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2011年3月7日月曜日

今日はスズメのバカップルが来なかった

来ないというだけで何だかとても心配になる。
オラからみれば彼らも意思を持ち顔なじみで、そして一個の命であるからして死んだら悲しい。
まぁ、彼らは人間社会とは緊密な関係にあるのだが、彼らはその日暮しの生活である。
あるときふいに猫に食われることもあるし、ハシブトガラスに食われることだってある。
それは彼らがそういう生き物だから仕方がないのだが、少なくとも彼らはとても賢い生き物で、オラは彼らとのコミュニケーションができるという点では彼らの命の重さも重いのだ。
とくにこれだけ親しくなれば、いつも呼ばなくても来るヤツが来ないというだけで心配になる。

ペットは家族という考えのオラは、親しい野生動物は友達感覚なのだ。
動物と話せるという人間も居るらしいのだが、あれは誇大解釈にしか過ぎない。
なにせ、人間と彼らとは言語形態も考え方も違う。
一定以上の知能があればそう考えているとも代弁できなくも無いが、彼らの考えることや要求そのものはもっと単純なものである。
ただ、人間がそこに人間らしい都合の良い解釈を付けているだけ。
まぁ、人間と関わりが日常的にある生き物は、オラが彼らの行動原理を読めるのと同様に、彼らも人間の心理を浅からず読めるというだけで、そもそもそのようなハイパーリンクを彼らとの間に繋がなければ、かれらもまたただの野生動物で終わり、そして人間も動物の考えが分からない普通の人間になるというだけ。

人間が動物の考えを読める範囲は、あくまでも動物としての欲求や自然な感情の範囲である。
どういう行動や鳴き声などで、どういう感情の状態にあるのかは毎日面を合わせていれば分かるようなもので、互いの性格や思考パターン。行動パターンを把握している親友みたいなものである。
人間同士の場合は言葉があるから深い相互理解が可能であるが、如何せんスズメやカラス相手に人間のような複雑な意思の疎通など無理である。

せいぜい、何を欲しているか。怒っているか。喜んでいるか。不思議がっているか。悔しがっているか。嫉妬しているか。発情しているか。腹が減っているか。興味を持っているかくらいだ。
それらの基本パターンにも強弱はあるので、それは対面して長いこと観察すれば分かる。
毎日顔をあわせていれば半年くらい会わなくても覚えているくらいスズメもカラスも頭がいい。
ただ、人間の方はそれがそこにあるものであると決まっていなかったり、身体的特徴がなければ、動物の顔の違いなど3ヶ月もすれば忘れてしまうだろう。

カラスの顔の違いを50羽以上見分けることができたオラでも、今ではその自信すらない。
ただ、ここ1ヶ月ほど相手にしてきたやつらが急に来ないともなるとやっぱり心配である。
まぁ、推らくは駅前の食堂のお婆さんが何かうまいもんでも食わせててこっちに来なかったかもしれないのだがw

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