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2012年6月11日月曜日

大都会病 ”大阪での通り魔事件”

また通り魔で人が死んだ。
誰も立ち向かおうとしなかったんだろうか。

老人・女性・子供は仕方が無いとしても、インタビューで当時の様子を語る人が第三者の視点で語っているのを見ると違和感を感じる。
その場に居て何もしなかったのだろうか。何もできなかったのだろうか。

「自分とは関係ない」 と思う限り、逆にこういった通り魔という事件を助長してしてしまうのではないだろうか。
そして、いつかは自分の自分や身内が・・・

この事実から「通り魔はやっても無駄」という常識が定着するわけが無い。

そして通り魔が起きた商店街だって他人事ではない。
自分の庭のような場所で通り魔が起きても何もしない。
そこを利用する立場の人間から見ても誰も助けてくれないような場所というイメージが定着しかねない。

思うのだ。

人通りが多い場所には「さすまた」や「竹刀か木刀」、「警杖」などの犯人を取り押さえたり武器を叩き落すようなものが一定距離ごとに準備されていても良いのではないだろうか。
それに代わるものやそれと同等の機能・性能を有するものでもいい。

ただ、最終的にはそういった通り魔や暴漢に立ち向う勇気と体術が必要なんだけど。

人が多いからそういった事件が起きるとも言えるし、人が多いから自分以外の誰かが何とかするだろうとかも考えるのだろうけど、いつまでも他人事でいいのかな。

生き残るっていうのは社会で成功するということだけではなく、こういった暴力から自分を守り誰かを守るっていうことなんじゃないかと。 人の死っていうのはある日突然、理不尽な理由で奪われるんだよ。

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