あおもりくまブログアクセスカウンター

2017年3月11日土曜日

最初の1羽君、玄関に住み着く。

今日は休みで朝から洗濯。玄関から時々呼び声がする。
出るとモッソリした動きで足元に寄ってくる最初の1羽。
体力は無さそうだが、とりあえず生きている。こっちを見上げて、「アレください」って顔。
最後の一瞬まで生きるために必死だ。

今日は寒いなと思ったらまた雪が降ってきた。
街路樹方向からは元気なスズメの声。あいつはまだ生きてるかな?
呼んだところで飛んでこない。いや、もうできるだけ飛びたくないようだったしな。

で、考えたのか、直ぐにエサを貰えるよう玄関の物を置いている間に溜まった落ち葉を住処にしたようだ。
出てくるまでちょっと時間は掛かるようだが、気づくと足元に居る。
オマエ・・・そんなところに隠れていると猫に食われるぞ?と言ったらそそくさと隠れ家に戻っていく。
何かスズメじゃない違う生き物に接しているようだ。

今朝に比べると動きが素早いし、それなりに元気だ。回復しているのかな?
飼われているスズメは10年位は生きるようだ。
こいつの正確な年齢は分からないが、カラスはともかく、スズメもいつも話しかけていると人語を理解し、オラが彼らの行動から思考を読んで対応しているのと一緒で、それなりに意思の疎通が取れている。

脳の大きさは確かに知能の指標として重要だが、人間だって脳味噌の大半を使っていない。
こいつら鳥類が脳の大半を使ってるのなら、ここまでヒトを見分け、自分に都合の良い対象と仲良くしようなんて考えを持つのは理解できる。
少なくともスズメ語の幾つかは歯笛で発声できるので、向こうはオラを信用できる味方として個体識別しているのだろう。不思議なものだ。クソバカなハトと違って野鳥なんて人間が近づいたら逃げる生き物だろう。

オラが発声できる数種の野鳥は、その鳴き声によって理解者もしくは話が通じそうなヒトのような何かであると認識してしまう。極まれば成る。いや、やろうと思ってやっていたら成っていたというものなのか。
オラが野生動物に会ってすることは、モノマネである。相手がすることを真似ることで、同じことを考えていますよーっていうアピールをするのだ。そうすると大抵の動物は「なんだろうコイツ?」というオーラを出す。(ここが重要)

例えば、愚かな人間は野生動物と至近で遭遇したらどういう態度を取るだろう。
キャー!(ハート)とが、ギャー!(ガクブル)とか、うわー!(死ぬ!怖い!)だろうか。それは相手(野生動物)も一緒なんだよ。
オラは違う。「うむ・・・あー・・ええと・・・こんにちは・・・?」なのだ。今のところこれで相手も、「ええと・・・」と考える。
超大型犬ほどのクマの子供と秋田の玉川温泉手前の道路で出会ったときも、オラが黙って居なくなるのを待っていただけ。向こうもどうしようか考えてただけ。最後はクマのほうが「ええと、とりあえず・・・逃げなきゃ!?」という態度で思い出したかのように藪の中へ・・・。こんなもんだよね。いや、こんなもんなんだよ。

相手に考える時間をあげればいい。考えを与える時間を与えないから相手はパニックになる。互いに距離を詰めずに、じっとしれいれば、相手が考える時間を得る。人間じゃないんだから殺るか殺られるかの世界で生きる彼らにとっては、二者択一。でも、野生動物にはもう一つの選択肢がある。「気づかなかったことにしよう」とか、「敵意はないし、何もする気はない。オマエには興味がない」という態度。普通は強いものが弱いものに。または拮抗する相手に使うところだが、相手が弱くても窮鼠猫を噛むではないが、無用な衝突を避けるというのは大前提。怪我が元で死ぬってのも野生の掟。だったら、関わらないという選択肢を与えればいい。

まぁ、オラの内心は関わりたくてしょうがないのだが、動物相手に緊急事態という認識をさせなければ、相手だって興味があれば勝手に近づいてくるだろうし、こちらが興味を引けばコッチに来る。一応はクマ相手にそんな無謀はしないと思うが、信頼関係が成り立っていない相手には、それって普通のことだ。

とりあえず、信頼関係が成り立ってる野生の連中とは距離が近い。それが切っ掛けで接し方や態度の見せ方も習った。授業料は払っている。多少の我儘も聞いてるし、困っていれば助ける。見れば解るし、解ってることを相手も解ってる。そんな関係があっても良いではないか。

0 件のコメント: