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2017年7月24日月曜日

石との巡り合わせ

 自分で海岸や河川に拾いに行くときも、売店で買うにしても自分にとって感動する石というものはなかなか出会わない。これまでにおそらく数千個は拾っているであろう輝石の中で、自分にとってフィーリングがピッタリ合うという石はなかなか少ない。


 先日の赤碧玉@鹿の子石バージョンは自分にとっての最高ではないのだが、その希少性という点では発見時の感動は、成層圏まで突き抜けるレベルに近い。2つ目のピンクの碧玉の鹿の子石はフィーリング的には自分には合っているもののやや小ぶりで感動レベルは低いものの自分の中ではコレクションの上位に入る。これは小躍りしてしまった。

 では、売ってるものの中でたまたま見けけて、これだーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!という石に出会う確率はもっと低い。その箱の中に入っているのは全て錦石である。海岸で無量大数の小石から選ぶのと訳が違う。でも、出会いはある。



 例えばこれ。 どう表現して良いやら、白が基調で黄土色少々。そしてアクセントとしての桃色。これを風景的表現で言い表すと、
「春が来て雪の間から土が見え始め、雪解けでできた小川のほとりに梅の花が咲いている」
・・・という具合だろうか。(我ながら臭すぎる!)
 白が基調の錦石自体がオラにとっては珍しい。いや、表面が真っ白のやつも拾うので、それを研磨したらこのような色模様に成るものもあるかもしれない。
 原石のままで綺麗なもの。磨かないと判らないもの。磨いたらもっと綺麗だろうというもの。無色・有色を問わず透明で混じり気の無い西洋文化の宝石も綺麗だが、同じものが一つとして無い錦石というカテゴリの無いカテゴリの楽しみ方は、自然が作り出す幾何学的な模様を愉しむという文化であり、模様のない宝石よりも、その評価に個人差がとても大きく。また、自分のフィーリングに出会う確率もまたとても低いだけに、自分好みの石に出会ったときの感動は、透明な宝石よりも感動が大きいのかも知れない。

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