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2009年1月6日火曜日

最近、青菜ばかり食っているから

青虫になった気分だ・・・これで、とりのなん子氏やパセ太の仲間だ。
緑色の○ンコ仲間ってことで。

今も、昨晩からお湯に浸していた大根っ葉のアクを捨ててもう一度水から煮て味噌を入れたところ。
昼には旨い味噌汁が飲めるだろう。
冬の青野菜不足には大根っ葉は神だ。

白菜も外から剥いていって白くなると窓際に置く。
色が着くと剥いて食べる。
動物性たんぱく質は摂るが脂肪分は少なめ。
食事療法で蕁麻疹やメタボが改善されればそれに越した事は無い。

食べ物には多かれ少なかれ農薬がついている。
基準値なら安全とか低農薬なら安全とか言っても、肝臓などにはこういった物質が蓄積されやすい。
食べつづけた結果、長い目で見ると、無農薬栽培に越した事は無い。
そういう意味ではその辺に生えている野草(雑草とも言う)は無農薬で安全だ。

アクだってこれの正体はポリフェノールだ。
日本人はアクを悪のように扱って捨てるが、外国ではこのアクは旨味成分として取り除かない。
本来の味っていうものがアクの正体であり、そのアクは旨味でもあり、体にも良いポリフェノールである。

そういう意味で、食物の個性と言えるこのアク(旨味成分)は、本来の味を残すためにある程度は必要なのではないかと思う。


人間でも一緒だ。
教育と称してアクを取り除き、個性を失った規格内の人間ばかり厳選したってスーパーに並んだ野菜と同じなのではないかと。
人間にもアクがあり、それはその人個人が持つ旨味成分なのではないかと。
その旨味成分を捨てると言うことは、本来持っている素晴らしいものを捨てることじゃないのかな。

スーパーでは大量の野菜たちが規格に揃えられて整然と並んでいる。
でも、そんな野菜達よりも、無人販売所や道の駅の産直コーナーで見られる見てくれの悪い野菜の方が本来の野菜って感じだし、それぞれに個性もあって、しかもスーパーのものよりも安くて旨い。

スーパーを大企業。無人販売所や産直を中小企業と考えると、人間も野菜のように扱われているんだろうな。形や規格にばかりとらわれやすい大企業と、個人の力が伸ばせ発揮できる中小企業。

人間は野菜じゃないけど、大きなシステムの中に押し込められれば押し込められるほど人間は野菜のように扱われ、規格外の物は売り物にならないと捨てられたり半値以下の値段で捨て売りされる。
なんかそんな気がしてきた。

人間の個性というのは野菜の見てくれや味と同じで本来はそれぞれ味が違って当然なのだ。
個性に揺らぎがあるからこそ生物として生存していける。均一で個性の無いものは見てくればかりで中身が無い・・・ということもある。

そんな均一な生物は全滅しやすい。
これって生物としての多様性と企業としての多様性に似ているのかも。
均一に揃えようとすればするほど弱くなるのではないだろうか。

社長が変わると企業は方針を二転三転させられるが、会社の運命を握っているのは社長ではなく、選果場である人事担当だったりして・・・

(* ̄(エ) ̄) ふっ

OpenOffice.org コミュニティーフォーラム

繋がらない

案内が無い

ブラウザを変えてもダメ

昨夜、ユーザー登録したばかり

モチベーションが下がる

所詮こんなものか・・・

TV消してラジオ・・・

変えた途端に歌・・・変えると暗いニュース・・・変えると・・・ようやく落ち着いた感じのクラシックジャズ・・・

これでいいや。

チャンネル変えても

暗いニュースとか、歌手の紹介とか・・・

ふと、数十年前に見た「明るい農村」が見たくなってきた。

やべぇ・・

さっきからTVがカニばっかりで・・・マジで蕁麻疹出て胃が痛くなってきた・・・

TV番組でカニの食い放題とか見ても

蕁麻疹が出そうで美味しそうに見えない・・・カニかまぼこ食べ放題の方がよさそうだ・・・(貧乏性)

やっぱり水分大目で蕁麻疹を抑えられる

・・・が、高齢者のようにトイレが近いのなんの・・・一長一短だなぁ。

あれ?OpenOffice.org のアンカーとテキストの配置は?

ああ、あった・・・

なんか、画像とかオブジェクトの配置とアンカーだけど前より分り難くなってないか?

1.0系のほうが1つに纏まってて分りやすかったけど、クリックするタイミングで選択がされたりされなかったり、アンカーの位置が行かページかの選択が右クリックのメニューにあったり無かったりと操作性に不自然さがあるよな・・・

なんか前より使い難くなったような気がする・・・
メニューのまとめ方については全部右クリックの中でテキストを除いた対象を問わずに反応して欲しいよな。
合理的かどうかって問題では無く、分りやすさってものが3.0には欠落しているようで、普段から使ってる訳ではないが、やはりWriterについては使いこなせるかどうかってよりも「クセを覚える」って方が上手く付き合えるコツなのかもなぁ・・・

このままでいいんか?
オラはもっと直感的な選択というか他のワープロソフトに右習えしといて、プロパティーについては内容を充実させる方向に行って欲しいんだけどな。

ちょっと余りにも普通さが通用しないんで愚痴ってみた・・・
約束ごとも対象によって統一されていないような気がするし、そこはもっと簡略化できんのか?ってことが多い気がするぞ。

かいぃ!ヾ(`(Д)´)シ 抗体が騒ぎ出した

薬追加しよ・・・

マニュアルを作るのに何が大変か・・・って、そりゃキャプチャだよ

たとえば、ツールバーのキャプチャは見えているものには有効だけど、何かしないと色が着かない(要するに機能がONにならない)場合、ツールバーのカスタマイズの小さなメニューの中をスクロールさせながらキャプチャして切り取って、それらを整形しながら1枚の画像に繋ぎ合わせていくことだね。

しかもさ、表に出るツールバーと、機能を使用した時にのみ出現するツールもあるし、説明しようにも「なんじゃこりゃ?」なものがあるから、既に市販されているマニュアルとかも無い状態な場合は全部HELPに目を通さないと分らないし、見ても分らないって事がある。

自分で作ったソフトウェアや、使いこなせているソフトのマニュアルならまだしも、そのソフトウェアが多機能であればあるほど、マニュアルも巨大化するし、それらのキャプチャーの回数も増えるし、例えばそれらの画像が大容量になればなるほど画像を最適化しないとマニュアルそのものの容量も巨大化しちゃう。
かといって、最初からJPEGやPNGにしちゃうとスクロールがモタつくもんだから、無圧縮画像(つまりBMP=ビットマップ)が一番表示が速くて見るものにストレスを与えない。

これを手抜きしてJPEGなんかにすると滲みが出るわ、汚いわ、サイズを可変した時のもっさり感がクソで最悪のものになる。Web上でやるのならキャプチャーはPNGやJPEGでも良いのだが、PDFにする時はSVGやBMPの256色モードが一番パフォーマンスが良いのだ。

で、キャプチャーだけど、ツールのカスタマイズの項目をチマチマやっているのだが、流石に手先が器用なオラでも、その膨大な量に具合が悪くなってきた・・・

OSSの世界では、やれる人が、やれることを、やれる時にやる・・・の精神だ。

つうことで・・・寝るわ (-(エ)-).。oO ZZZzzz

2009年1月5日月曜日

OpenOffice.org Writer テキストの文字色(メモ)

OpenOffice.orgが普及しない訳には根本的な操作性の非標準的な課題があると実感する。

Wordで言うところのテキストボックスの文字色に関しては、Wordはワードアートなどの画像としての文字を除くテキスト全てがツールバーから配色できる。
これは直感的で誰しも当たり前だと思える操作方法である。

ところがOpenOffice.orgについては、テキストボックスを挿入して入力した文字色を変えるためにプロパティーをわざわざ出さなければならない。しかも選択については以下のように非常に確実性が無い。

色を変えたい部分をドラッグして配色ができないなんてナンセンスだ。

①テキストボックスに相当するツールボタンをクリックする。


[T]のボタンをクリックして、範囲を選択するまでは同じだ。


②次に以下のメニューが出るまでテキストボックス内のテキストの範囲で右クリックする。

どうにかして出したら [ 文字(H) ] を選択する

③フォント効果でフォントの色を指定する。


テキストボックスの中のテキストの色を変えるだけにこれだけの手間が必要だ。
なんたる手間。なんたる面倒臭さ。なんたる不確定な呼び出し方。

普通、テキストボックスを選択して文字の色指定を行なうだけで済む機能も、クリックする位置がちょっとでもずれると、全く違うメニューが他に2種類ほど出る。
「いや、オラは文字の色を変えたいだけナンダヨ!」と思っても選択する場所によってツールバーが出たり消えたりで画面が上下に揺れる。クリックしたつもりがキャンセルされてしまったりでイライラする。
これはダメだ。これはもっとシンプルに、直感的に変えられるように簡略化(Wordと同じ操作)にするべきだ。これは面倒すぎる。

しかも、Wordの場合は選択したテキストボックスはそこに残るが、OpenOffice.orgの場合は、欄外にカーソルを置いただけで、選択範囲が消え去る。文字が入っていれば消えないが、いちいち文字を入れないと保持できないなんてナンセンスは使用者にストレスを与える。

これは頂けない。直してくれ。なるべく早く、分りやすく・・・

ちなみにオラは何度もOpenOffice.orgを直接入力するのが面倒なので、
OpenOffice.org ←おおお [変換]で出るようにした。

IPA(情報処理推進機構)職員の私物パソコンによる情報流出について

IPA(情報処理推進機構)職員の私物パソコンによる情報流出について

ny使って個人情報を流出させたが、本人の個人情報と画像。
それに著作権法違反に関わるデータの入手リストが流れて祭りになった模様。

nyの使い方のモラルが悪いのは規制できないとして、プロバイダがこれらのソフトを完全に遮断する方法を確立させる方が先でしょ。

どんなに優れたソフトでも使い方を謝ると法に触れるんだし。

やっぱチト無理だったか

咳が止まらない・・・

こういうときは熱いお茶に限る (* ̄(エ) ̄)っ旦~

粉雪降りしきる中

日課のウォーキング。
Tシャツ+トランクス+靴下+ウインドブレーカー+ニット帽+スニーカー+マスク
つまり、2枚重ねで行ってきた。

寒すぎると寒く感じないんだよね。
部屋が寒いと感じたら薄着でその辺を回って来ると逆に暖かくなる。

喉が痛い

咳と痰が出るね。喉がイガらっぽいし。

酢でうがいせねば。

さっびー!ヾ(`(Д)´)シ ぬきょー!

さささささもい(((゜(Д)゜)))ガクブル

なんだこの冷え込みは・・・ 部屋の温度・・・9度・・・・

2009年1月4日日曜日

ノートPCのDVD-Rドライブが直る

( ´(Д)`)y━~~~ ハンドタオルにアルコールを吹き付けて、ゴムリングとレンズを磨いたら・・・

磨いたら・・・磨いたら・・・・・・・・真っ茶色・・・Σ(゚(Д)゚ ) なんじゃこりゃー!

ヤニか? ヤニ?? ヾ(`(Д)´)シ ヤニなのかぁぁぁぁ!

業務用の100パック入り ほうじ茶@1000円

1個で1L煮出せるお茶パック。
今回は特になにもブレンドせずに味わってる。
この業務用のほうじ茶は香りも味も絶品である。

三沢の親戚の家では、焼酎といえば焼酎のほうじ茶割である。
「色や風味も着いて、なんだかウヰスキーのお湯割りみたいで旨いだろ」
そう言われて勧められた焼酎のほうじ茶割り。

焼酎を飲む習慣がなかったオラが感動した焼酎の飲み方だ。
これから焼酎を飲めるようになったと言っても過言ではない。

今日はもう出ないし、出たとしても近所のコンビニくらいは歩いて3分だし飲んでも大したことが無い。
焼酎はノーマルの無味無臭の25度が2.7Lと、芋が2Lで3本、梅酒が2L1本、その他諸々ある。
急性アルコール中毒で死ねるだけの量は確保してある。


なんかあんまり考え込んだり将来を悲観したりヤバげな気分になったら酒でも飲んでへろへろ~になったもん勝ちだ。今日もとりあえず、生きているだけでオラという存在は希薄で無いに等しい。
正月だってのにどこにも行かなかったし、神社のお参りは昨年済ませてある。

来襲の土日は休みだからと両親が神社にお参りに行こうとか言ってたが、嫌々行くのも神様に失礼だ。
どうしようか考えるも、どん詰まりのオラにはただ日々を生きているというだけの存在でしかない。
果たして未来に劇的な変化が現れるかどうかなんて気持ちの持ちようとも言えるが、宙ぶらりんのオラは地面に足が付いていないし、死んでもいないが生きてもいない抜け殻だ。

・・・そんな事を考えるのもなんだか面倒で、不安定な天候で外を歩き回るのもまた面倒。
かといって何かをできるかと言えば、パソコンの前に鎮座して何かを作るかコミュニティーでも散策して文字列を眺めるだけ。

( ´(Д)`)y━~~~ はぁ・・・とりあえず、ほうじ茶って旨いよなぁ。

TVでグルメを特集しようとも

(* ̄(エ) ̄) まったく食べたいと思わないくらい粗食に慣れ、他の番組は何をやってるかとチャンネル替えるも・・・観たい番組が無いときたもんだ。

さて、これはどうした物かと時計を見るも、もうじき暗くなるのに外に出てもしょうがない。
かといって、これから遠出するのも面倒で、さっき食料と灯油を買ってきたので当面はこれといったものを買う必要も無く、かといって、室内でシコシコとマニュアル作る気にもなれない。

何気に蓄積した映画を見ようとPCにROMを入れるも腐ってて読み込めねぇ・・・HDDに入れとけば良かったな。

ということで読書・・・と思ったが、持っている本は全部読んじゃったしな・・・

(* ̄(エ) ̄) くまった

おいしい物を食べるのに大金は必要ない

高給料理店で食うと10万かかるとする。
B級グルメの店で食うと1000円で旨いものが食えるとする。

たとえば大根は大根で、カブはカブ。魚は魚で、肉は肉。
全く同じものを使って料理を作っても、正装でなければ入れないおしゃれな感じの店と、大衆向けの食道やレストランではどちらも美味しいと思ってもその食べると言う行為とは別にステータスだとか、品だとか、優越感だとかそんな表面的なもので価値が上がったり下がったりする訳で、人間生きていくのに同じものをどういう形で食おうとも、よほど料理の腕前がカスでもない限り、どちらもおいしい物を出してくれるには変わらないし、同じ素材・同じ調味料を使ったとした場合、食べるという行為には変わりが無く、栄養価も変わらないわけだ。

人間という物は「形式」に金をかけたり、するが「結果」での判断をあまりしないことがある。
なんとも不思議だ。

オラは素材をドン!と出されて「これで旨いものを作れ」と言われたら旨いものを作れるだけの料理のセンスはある。
でも、有名なシェフが手間隙かけて上品に見えるような作り方をしたら見栄えでは負けるかも知れないが、味では勝ち負けはつかないだろう。
でも現実としては有名シェフの作ったものは「おいしく感じる」だろうし、「高級感」という付加価値にも対価が発生するわけで、そこが同じものを使って料理をしても価値が変わってしまうということなんだろうね。

物は同じだろうし、対価が変わるのは「おしゃれな感じ」「有名なシェフ」「小奇麗なお店」「鮮やかな見た目」「いかにも美味しそうな見た目」であって、どれもこれも「食べる」という最終的な行為に対して変わりは無い。対価がが違うのは「雰囲気」の違いであって「味や栄養価」などの実ではなく、「雰囲気」なのだろう。

人間とはそういうブランドとか著名だとか雰囲気だとかには高額な対価を払える。
美味しい食道と有名な高級レストランで食べ物の値段は10倍以上違ったりするのは、そういった見栄とか雰囲気とかそういうものに対する対価が加算されるんだろうな。

「食べる」という結果ではなく、「食べ方」に金を払う生き物。
「質実剛健」よりも「見た目」で決めたり、「使い勝手」よりも「見栄え」だったり・・・
人間って不思議な生き物だよな。

まぁそれはオレら人間に限ったことじゃないけどね。
夏の間はカモはパンの耳しか食わない。カラスはパンの耳よりも白い方。スズメも同じだ。
でも、食べる物が無い冬になると、エサが無いから何でも食う。好き嫌いなんて言ってられない。
出されたものを食うだけ。

いまこうして世の中が不況だって言うのなら、本当に物の価値っていう物を見直さなきゃならないんじゃないのかな。
必要な栄養を摂るために、見栄えのよいものを選ぶとか、食べやすいからとか柔らかいからとか味がどうとか。でも、スーパーにならんでいる見た目の良くて形や大きさや色の揃った野菜よりも、変形してて曲がってて色もムラがあって、傷が着いているものでも同じ野菜なんだよな。

野菜が取れすぎると価値が下がって輸送費で赤字になるからせっかく作ったものを畑で粉砕してしまう。
冷夏で育たないと高騰する。あまり作っていない野菜は高くて、ありふれたものは安い。

なんか世の中の価値って存在によって凄い無駄が生まれている。
曲がったキュウリは美味しいし。形の悪いピーマンやニンジンだってピーマンでありニンジンでもある。
小粒のジャガイモは早く煮えて皮ごと食える。形の悪くて頭が青いトマトは本当のトマトの味がする。

なんでも揃っていなければ気がすまない金持ちはそういう規格品を食えばいいし、形が悪くたって揃っていなくたって構わない人にとってはトマトはトマト。ピーマンはピーマンで、キュウリはキュウリだ。
それ以外の何者でもない。

形や見た目で食料を無駄にしすぎている。
産地で青いまま収穫して店頭に並ぶ時には赤くなってるトマトの味の無いこと・・・
地元で取れた規格外の熟れた状態で収穫したトマトの美味しい事・・・

真っ直ぐなキュウリよりも曲がったキュウリ。少し大きくなりすぎたキュウリ。色が不均一なキュウリ。
やっぱりキュウリはキュウリであり、キュウリ以外の何者でもない。

人間は自分でそれらを育てた事が無い人にとって本当の味を知らない不幸な生き物だ。
トマトは青臭いのがトマトで、キュウリは曲がった物でも井戸で冷やして生でバリバリ食うのが通ってもんだ。高級メロンよりもマクワウリ(津軽弁:マガ)の方が美味しい。
名のある魚よりも、スーパーに置かれていない雑魚の方が旨い。

本当の味と本当の食ってのも人間って奴は見た目や揃っているものの方が美味しいと感じるんだべな。
その当の本人である人間だって個性があるってのに・・・
その辺の価値観が全ての価値観の基準になってて本質が分っていない。

そう不意に思った。