2007年10月6日土曜日

人間の目の解像度

ここら当たりが非常に参考になります。

http://kiyoeri.asablo.jp/blog/2006/06/23/417735/tb
http://lmaster.blog7.fc2.com/blog-category-11.html
http://www.hirax.net/dekirukana8/moire4/index.html
http://hiroba.chintai.net/kotaeru.php3?q=840223&rev=1

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 さて、最初のリンクでは実に膨大な数のセンサーが内蔵されていることになるが、最終的に脳の処理能力に応じるらしい。

 しかし、オラが買ったDSC-H3の画素数810万画素のズーム無しの画像を見る限りではオラの眼はそれ以上の解像度があると分かった。ただ、常にそれだけの解像度を使っているかどうかは別問題である。
 これは脳が処理している情報量がその対象をいくつかのモードで単体もしくは同時、切替で処理していると思われる。それによって脳がその取り扱う情報量(画素/解像度)を調整しているのではないかと。

[運転している時の視覚情報]

 たとえば、運転している時は事故を起こさないように時速数十キロで移動しながら周囲の必要な情報(路面状況・標識・歩行者・自転車・前後と対向する車両など)を視覚で取得しながら走行している。
 こんな状況下では解像度はそんなに必要としない。つまり眼は動体視力を優先して解像度は低めになっているのではないかと。
 ただし、夜など情報(状況)を取得しにくい時は、人間の眼で見えている情報の中で走行に必要な情報を得ている。昼より夜の方が見えている範囲(距離)が狭い(短い)ため、見えるギリギリのところに視点が移動しているはずだ。
 オラみたいにかなり暗視が効く場合は夜でも200~300m先の歩行者や自転車までハッキリ視認できるが、他の人の目は知らないのでもっと目線は手前にあるだろう。ちなみにオラの視力・動体視力・暗視・幻惑からの復帰は5段階のほとんど5と4だ。視力は2.0だが、運転免許の適正試験は1.5以上測ってくれないし、それ以上は必要ないんだろう。


[本を読むときの視覚情報]

 字が読めて、写真が見れれば良いし、雑誌の写真なんて虫眼鏡で見れば分かるとおり、情報だけであって、写真の美しさは「それなりに・・・」である。
 つまり、これは読むために必要な程度の解像度で情報を得ている「見る」に相当する。 そう、単に見えているだけに近い見るだ。
 しかし、ここでCJK圏1バイト文字圏で違いが出る。漢字という文字を判読する分だけ眼の解像度には上がっている。1バイトな文字情報の国の人間より日本・中国・韓国の人は読むときの文字の認識に必要な解像度は高くなってるんじゃないかな?。(ただ、文字の表現は単純でもその文字を表すために英文字表記以外の文字を使ってるアラビア文字などはまた違った見方を必要としているかもしれない。あのミミズがのたくったような文字を文字として見るにはあまりにも約束事が多すぎるw)
 日本語は難しいと言われているが、日本語の本を何となくでも読める外人は同系の漢字の国の中国人くらいだろう。逆に日本人が中国に行っても、看板の文字を見て大体の判断がつくのと同じだ。1バイト文字圏の人間には漢字に対する脳の処理が無いので日本語の学校に行ってなければ(予備知識が無いと)チンプンカンプン(死語)だろう。

[観察する時の視覚情報]


まぁ、カメラのズーム機能のように人間に眼にはズーム機能は無い。いくらオラが変人でもズーム機能があったらそりゃ妖怪か化け物か悪魔ってところだろう。残念ながら普通じゃないオラでもズーム機能は無い。
この観察するときの視覚情報については、その人の考え方、または幼少期の育ち方によって得るべき情報について解像度が変わるはずだ。それが例え同じ視力を持っている人間であってもだ。
ものを観察するときに必要なのは何だ?。その物体が何であるかを判断するにはまず何を基準に判断するか。これは図鑑や百科事典などでより多くの情報が事前に脳に記憶されている人間か、よほど図鑑などに無縁な物を知らない人間かで変わる。まず、予め脳にそれの情報が入っている場合は、どんな角度にせよ形状で判断するわけだ。
次に何で判断する?。仮にその物体が何であるか大体の見当をつけたとするが、完全にそれである確証は無い。それを判断するために観察するわけだが、色や表面の状態で判断しないか?。つまり、形状以外の色や表面の状態で判断してそれが何であるか最終的に決まる。
 ここで、脳に格納されている情報量によって観察の違いが出る。それが分かる人間は形状・色・表面の状態で直ぐに判断はつくが、それと完全に合致していれば観察は終了する。ただ、疑わしい時にはもっと細かい解像度でそれが何であるか判断しようとするだろう。
 しかしそれが何であるか分からない人間は、それが何であるか知ろうとする為に上記と同じ観察を始める人間と、それが何であるかどうでもいい人間なら形だけ見て「なにこれ、意味わかんねー」とか頭の悪そうな発言をする。
 つまり、観察でも何でもない「見て終わり」という眼の働きしか使われない。観察するということで眼から得る情報をどのように脳が処理するかで視覚を取り扱う脳の働きは良くも悪くもなるということだ。

[探索モードの視覚情報]

 物を探している時の視覚情報はたぶん一番解像度が高いかもしれない。その形状・色・表面の状態・多数の物体の中から見分ける識別などフル稼働状態のはずだ。
 でも、これは頻繁に使用することで鍛えられ、見るという単純な視覚情報ではなく「観る」を超える状態になる。視覚情報もそれを処理する脳の処理能力も必然的に高くなる。 これがかなり長い時間。長い期間続くとどうなるだろう。

 例えるなら山菜採り・海女さん・輝石収集・化石発掘などを行なっている人種だ。オラは山菜も採れば海にも潜るし輝石拾いもする。山菜などの場合は回りは殆ど緑と茶色の世界だ。この中から特定の。またはいくつかの山菜を探す場合、視力と脳は瞬時にその形状、特徴、色、表面の状態を判断し、該当するものであればロックオンする。よく、素人を同伴すると「みんな同じでどれが山菜だかわかんねー」と言われる。でも、「これが○○だよ」と教えると、今度はその形状を頼りに該当する形状を探し出す眼の使い方に切り替わる。つまり「見る」から「観る」に切り替わるのだ。情報を与えてやるのと、情報が無い時の眼と脳の働きはそれだけ違うのだ。

 石拾いも同じだ。川原や海岸の何千・何万・何億という石っころの中から輝石を見つけるのだ。山菜同様に類似するものも全部眼に入ってくる。脳の処理も大変だ。
 ところが、これも鍛えることで非常に効率の良い眼と脳の使い方をするようにプログラムされる。見回しただけで当該する石を複数同時にロックオンできるのだ。たぶん、色情報の他に明暗を感知する部分をかなり使っているはずだ。まぁ、これは宿題だ。石拾いをマスターすれば「なるほど!」ってことになる。これは凄い便利な能力だから。

 海女さんも同じじゃないかな。ウニみたいに存在感アリアリな場合は馬鹿でも捕れるけど、アワビやサザエは岩に擬態しているから同じように形状だけでなく、貝の形状を岩の凹凸と識別して判断しているはずだ。同様に化石も石っころか恐竜の骨か、その特徴で瞬時に判断して観察し、発掘している。

 このように、人間の脳の処理は考え方に寄ってその視覚情報を効率よく処理する回路を組み立てることも可能なのだ。
 オラがどんなにパソコンをやっても視力が落ちないのもそうだし、乱視に陥った視力を短期間で矯正する方法を知っているのも、その眼球運動の方法を行なえるのも、複数の視力切替を何度も繰り返すことで修復できるという答えを知っているからだ。
 感覚の違いを理解できれば、元々視力が良かった人間であれば誰にでもできる。かなり視力が悪くなってしまった人であれば元に戻すのは難しいかも知れないが、頻繁にそれを行なっているオラはこれ以上悪くはならない。
 小学校の低学年で0.7まで落ちた視力を2.0まで自力で復活させたのもこの方法を既に実践していたから。きっかけは天体望遠鏡だったけどね。山菜採りと石拾いだけでは気付かなかったかも知れない。
 アフリカの原住民は視力が5.0くらいあるとかTVで言ってたけど、地平線の米粒以下の獲物や人間を見分けるといった特殊な環境であったからこそ、それもアリではないかと。
 やはり眼と脳の使い方がその視力の優劣を決めるんだろうなぁ。

とか思ってるオラが居る。

4 件のコメント:

  1. はてな::で引き合いに出されてたのでお答えしよう。
    http://q.hatena.ne.jp/1204193499

    とりあえず、どんなに優秀なカメラでも人間の眼には適いませんよ。
    勿論、視力が良いと仮定しての話です。
    人間の眼は180度以上の広角で見えているはずです。
    デジカメがそんなことをしようと思ったら、たぶん、写真はフットボールのような形状に保存するのが良いんでしょうな。
    カメラで撮った画像が、人間の眼より良いという方は、視力が悪いんですよ。
    少なくともオラの視力は
    1G画素以上(ISO:800以下)で、暗視力でISO:12000以上ありますよ。
    月が出ていれば余裕。星だけの明かりでも5分も眼を馴らせば歩くために充分な情報を得られます。
    デジカメでシャッター速度を長くしても6等星は殆どダメでしょ?
    ノイズなのか星なのか分からなくなりますし。
    でも、人間の眼では見えるんですよ。
    だからデジカメのCCDより人間の眼の方が遥かに優秀です。

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  2. で、例えば都内から富士山を見たときにボケて見えたり色合いが薄い。
    一方でデジカメで撮った画像ははっきりしていて、色合いも良いとしよう。

    富士山がはっきり見えないのは眼が悪いから。デジカメで綺麗に取れている以上は、工学的な画は人間もデジカメのCCDも光情報としては一緒だ。

    デジカメが綺麗に見えるのは、目の前にある画像を見て綺麗に写っているからだ。
    だが、実際に人間が富士山を見えているのは遥か彼方だ。
    だから、視力が優れている人には綺麗に写ってるわけ。
    目の前の写真が綺麗に見えるのは目の前の画像を見ているからだ。

    あと、最近のデジカメやCCDは高価な機械になればなるほどカメラ内のコンピューターが補正している場合もあるし、光学的に光三原色と輝度をバラバラに読み取って合成している場合もある。

    画像を表現しているのは画素だ。人間もこの光を感知する網膜の部分がCCDのような機能を持っており光の情報を読み取って電気信号に変換している。

    眼球は角膜と水晶体というレンズで光学のフォーカスを行い、網膜というCCDで光情報を電気信号に変えて視神経を通り脳に入る。

    一方で、カメラは人間と違って光学ズームが効く。フォーカスも人間のように自由ではないし、人間の見ている通り、またはそれ以上に機能することは無い。もし、完璧にできるとしたらピンボケ写真やブレてる写真なぞ発生する筈が無い。もちろん、被写体が動いたからといって人間の目で相手の顔がノッペラボウにはならんだろ?

    人間の目の持つ手ぶれ防止機能は凄いと思うぞ。

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  3. コメント2を訂正
    >デジカメで綺麗に取れている以上は、工学的な画は人間もデジカメのCCDも光情報としては一緒だ。

    工学的→光学的

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  4. 1バイト文字圏と2バイト文字圏のところに追記

    とりあえず、2バイトというよりも、マルチバイト文字という方が正しいかも。

    あと、1バイト文字圏つまりアルファベット文字圏というか、漢字やアラビア文字など特殊文字の人間の目から入る情報と、それを取り扱う脳の働きだけど、こういうシーンを見たことが無いだろうか?

    ニュースや番組で、外人さんが間違った漢字を使っていること。
    隣に漢字で書かれたものがあるのを真似て書いても、脳が漢字を処理できないので、ハネや点を抜かしたり、線が足りなくて変な文字になっていたり。

    日本人にとって漢字は普段から見慣れたものです。でも、英語圏や欧州などでは1バイト文字(A-Zやロシア語などで見られる単純な文字列)しか使いません。
    日本人には漢字やひらがな、カタカナなどの3種類の文字と、アルファベットの合計4種類。数字でも漢数字と0123456789の数字の両方。またそれらがゴッチャになったものを読める目と脳がある。

    人間の脳が子供のころから母国語と国語を学習することでこの複雑な文字を文字として認識して意味を理解している。
    第1水準漢字 2965文字、第2水準漢字 3390文字らしいです。これ全部書ける人は日本人でもそうそういないでしょう。

    しかし、仮に英語圏を例に揚げると、ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZ-0123456789と、文字が24個と数字10個を認識できればそれらの羅列で単語や数を理解できます。

    こうなると、目がどうとかではなく、目と脳がそれをどのように見ているかの違いになってきます。つまり、視覚は脳と密接な関係にあると言えます。

    つまり、日本人なら「書けないけど読める」という人が普通に居ます。脳が「書け」と言われても「えーっと、どんな字だっけ?」となるけど、文章が用意されていれば読めちゃいますよね。脳のどこかにそれがちゃんと残ってるし、部首が違えばちゃんと読み替えることもできます。
    でも、外人さんはちょっとした違いに気付きません。ということは、外人さんの目にはそれが文字としてではなく記号や絵のように写ってるからでしょう。

    単純にこれだけでも目の使い方が違うということが分かります。
    文字を文字として認識するか、何か複雑な記号として認識するかで見る部分も目の違いを見分ける為の解像度も違ってきます。

    日本人が中国語の文字列(文章)を何となく読めるのは、日本人にとって漢字が日常的なもので、日本人の目が文字を判別する時に1バイト文字圏の人より高解像度で処理を行なっているからとしか言えません。

    だからと言って、マルチバイト文字圏の人間のほうが頭が良くて、1バイト文字圏の人は頭が悪いとは言っていません。
    そもそも使用する文字と知能に関連性が全く無い訳で、漢字が書けるから正しい文章を書けるかと言えば実際のところそうではありません。
    ほら、頭の良い人って他人が読めないような汚い字をよく書くって言うじゃないですか(←これも関連性は無いw)

    実際のところ人種によって視力の差はあるかもしれないですよね。
    でも、汗を作り出す汗腺の数は幼少期に決まるって言ううように、目の能力の上限ってのは生活環境によって上限が決まってしまうかも知れないですよ?

    例えば。

    田舎では視界が開けていて常に遠くの山々が見渡せる。自然も多くて目に入るものも複雑だから田舎の人は目の解像度が高いかもしれない。

    都会の人はビルや住宅密集地に住んでいるので目に入る情報は近距離のものが圧倒的に多い。この生活環境で育つと、遠くのものを見る習慣が少ないほど目の前にあるものしか見なくなるので、遠くの細かいシルエットを認識する機会が少なく必然的に目の解像度に高い解像度が必要とされず視力の上限が低くなるかも?

    これが田舎じゃなくてサバンナの真ん中に住んでる人(目線の高さの地平線は4km)と、田舎に住んでいる日本人とではまた違ってくるし、高低差のある場所に住んでいる人と、平地の住宅密集地、田園風景が広がる地域とでも違いが出てくるかもしれない。

    要するに、目にとれだけの精度を要求するのかということと、生活環境に目の能力がどれだけ作用されるかという検証も必要ってこと。

    人間だって生物だからね。
    洞窟に住んでいる生き物は光(視力)よりも暗闇でも情報を得られる音(聴力)が発達するし、虫なんかは耳というよりも、鋭敏な触覚や体毛による感覚器官で視力の代わりになるものを発達させる。

    (* ̄(エ) ̄)うーん、同じ日本に住んでても田舎と都会では生物的に違いが出てくるかも知れないよな。

    とか追記してみた。

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