2009年5月4日月曜日

全身筋肉痛

     うーむ
(* ̄(エ) ̄)ゞ 去年も今頃は畑を耕してて全身筋肉痛だったよな。

昨日の畑仕事+山菜採りは、チト無理があったな。ウォーキングにしか筋肉使っていないから、どこの筋肉が鈍っているのかバレバレぢゃんか。
幸いなことに腰から下はばっちり鍛えているので大して痛くは無いのだが、背筋と二の腕が一番痛みが激しい。
クワを振り上げて竹の根を数十本引き抜く作業ってのはやはり重労働だな。
重機でもあれば楽勝なんだろうけど、人力でやることに意義がある。
両親も歳だしさ。オラが手伝えることをしなきゃな。

甥っ子たちは遊びに行ってやがるし、こんな時に若いもんが頑張らなきゃいかんと思うのよ。
最近の若いもんは小遣いを貰う時や収穫作業だけは面白がって手伝うけど、オラが小熊だった時は作業自体が楽しかったな。
土弄りが好きで、幼稚園に入る前から山に行ってたオラは土に触れるのが大好きだ。
こう、なんていうか、土の香りもそうだけど作物を育てるのが生きてるって感じで心が休まる。
山菜採りは狩猟や採取の時代の遺伝子の記憶が呼び起こされるというか、人間が使うことが無くなって失った感覚器官を呼び覚まされるという感じがいい。

小さいうちに山菜採りを経験させるってのはその後の能力に大きな影響を与えるかもね。
畑仕事で一服している時に聴こえてくる風の音や遠くから聞こえる鳥のさえずりも耳を鍛えてくれる。
どこかで家を建てている金槌の音とか聴こうとすればどんな音でも拾える。

今のお子様なんか、後ろから車が来てても見向きもしない。
来ていることが分っているのかどうか知らないけど、周囲への注意が散漫だ。
でも、小さい頃に音を上手くキャッチする脳内回路が出来上がっていると音の取扱いひとつ取っても普通の人には雑音として無視されてしまう音ですら何かの接近を感知したり、逆に音を反射吸収しないしない柔らかい物体だと環境雑音が反射しないことで何かがあると感じる。音に立体感を感じるのも一服したり地面に腰を下ろしてくつろいでいる時だ。

たとえば、目が見えるのは殆どの人が普通である。
でも生まれた時から眼に障害を持っている人は、耳が眼の補佐を行う。
全く見えない人にとっては聴覚の感度は健常者よりも優れている。
とは言っても耳そのものの性能は同じだ。
何が違うのかと言えば、脳内の音の処理方法である。
普通の人でも声を掛けられた方向を見ることはできる。
これは左右の耳で音の受ける違いを感じているからだ。

人間は左右対称に耳がついているし、耳は方向を変えられないし感知できる方向は動物よりも劣る。
でも、脳内のフィルタリング回路の発達によってはもっと細かい分解能を得られるし、オラがよく使う音のレーダー機能だって鍛えれば健常者が普通に持つことができる。
オラが感覚器官を鍛えているのは使える感覚器官を健康なうちに全てフル活用したいからだ。
仮に視力を失ったりしても耳が眼の代わりを補えるように。
聴力を失った時は気配を感じることで耳の代わりを務められるように。

普段、自分の興味があるものにだけしか目を向けず、音の殆どを雑音としてカットしている人間。
後ろに人が通れないでいるのに、通行の邪魔になっていることを気にせず、避けようともしない人。
目が見えても耳が聴こえても、見えていても、聴こえていても気にしない人はきっと視力と聴力のどちらかを失った時に初めて気付くんだろうな。どうしたらいいか分らなくて。

(* ̄(エ) ̄) でもさ、見えているとき。聞えている時に実際の状態と、入ってくる限られた情報の整合性を確認するには両方が使えるうちに鍛えた方が良いんだよね。
耳で見る。肌で聞く。眼で補う。耳で補う。肌で感じる。
危険にも臭いがあるし、その匂いってのは嗅覚だけの働きじゃないことも気付けばわかる。
あとは基本的な五感にどれだけ上乗せして生活しているか・・・

まぁ、オラの戯言も、記憶の隅にでも置いておけばいいさ。
視力を失ったり聴力を失ったりしたら、その意味が分かると思うから。
オラの眼の分解能が普通の人より優れているのは、山菜採りで鍛えた複数同時のロックオン機能と形状識別能力。そして、目標物を瞬時にフィルタリングする脳内回路のお陰だ。

緑を緑色で見ているうちはダメダな。
緑にはいろんな形の緑があるのだよ。
オラのオカタンの弟は色弱だけど山菜採りの超ベテランなんだよね。
普通の人には見つけ難いものをいとも簡単に見つけてしまう。
一回でマツタケ150本とかね。色を色でしか見れない人には見えなくても、色を形で見分ける人は違うように見えているのさ。

(* ̄(エ) ̄) え?意味が分からない? まぁ、いいさ。気づいた人だけが分かることだ。

今、普通に感じ取れている能力を少ししか使っていないというのは勿体無いことだよ。
持ってるものは同じでも、使い方次第ではとんでもない使い方ができるのもそういった感覚によるものだから。

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