2009年5月4日月曜日

ドーブツテキ能力を失った人間たち

<迷子とは>
方向音痴とは自分が居る場所を見失ったり自分がどちらの方向を向いているかわからなくなったりするなどの先天的迷子属性の人間。
この方たちは想定していた道から少しでも外れると、たちどころに迷子になってしまうことが多い。

<迷ったら落ち着け>
通常は、自分が脇道にそれた場合でも自分の通ってきた場所をビジュアル的に覚えているので容易に戻れる。例え分らなくなっても自分の足跡を注意深く探せば問題無いが、ここでパニックになってしまうとドツボに嵌る。注意して探せば戻れる「自分でつけた道」を探せないことから歩き回ってドツボに嵌るのだ。

<何も見える情報だけではない>
本筋から数十メートルの所であれば、誰かの話し声で道がどちらか分るので、視力だけに頼らず、迷ったら落ち着いて一服し、周囲の音に耳を傾けるのがパニックにならないコツでもある。
迷ってパニくって余計にワケワカメな方向に進んでしまうとアウトだ。


<目線を上げると全体が見えてくる>
まず、ビジュアル的に記憶するというのは、簡単だ。
自分の目線だけに目をやると木々や地面しか見えないだろう。
でも、自分の目線以上に目をやると風景は一変する。
自分がどちらの方向から来たのか。どちらを向いて侵入したのかを確認できる。

<風景がダメなら足元を見ろ>
次に足跡だ。
何かしらを踏みつけて歩いている訳で、踏みつけた場所の草は何かしらの痕跡を残している。
山菜採りにしてみれば「ああ、ここはもう人が入っているな」という目安にもなっている。
慣れればなんてことはない。ほんの僅かな痕跡もわかる。場合によっては大型の動物の足跡だったりする。

<音のマッピング>
次に音だ。
何かしらの音は常に聴こえているのだが、これを環境雑音としてフィルタリングしている場合と、想定外の音だけに反応する人、BGMとして楽しんでいる人では聞き取り方が違う。
はなから雑音として眼中にないと注意散漫になる。目の前にある情報にだけ神経が行ってしまっている視野が狭い人だ。
想定外の音には色々ある。パキとか、ガサとか、鳥のさえずりやキツツキのドラミングだ。これらを鳴るごとに気にしていることも耳の鍛錬には良い。
BGMとして捕らえている人は、環境雑音を楽しんでいる人だ。
あ、今、何の音がしたというのを瞬時に理解している。
自分が通ってきた道も映像として残っているからその映像と音をビデオのように記録しているからあとから記憶も蘇りやすい。つまり、録画しながら歩いているようなもの。こういう人は迷い難い。

<通ったところを忘れないオートマッピング>
究極はオートマッピングだ。
自分が見ている景色の特徴を掴んで、方向や通ってきた道を大まかに記憶している。
マッピングは状況に応じてモード切替されており、道路として認識しているマッピング。これは車を運転する人なら普通に持っている事が多いが、最近はカーナビが付いている車が多く、人間の能力をダメにしている場合が多い。道路のマッピングは主に分岐点を記憶しており、記憶容量としては少ない。
次に、初めて通る道では比較的多めの情報を取得して興味深く見ているので「ああ、ここはさっき通った」と覚えている。これもある程度注意深く見ていれば分る。

<脳内でバードビューの地図を描く>
最後は山菜採りの本領である地形把握である。地図もなしに視界最悪の場所を突き進んで、別の場所から容易に入ってきた付近に戻れるのは、視界不良の場所に入る前に周囲の地形を大まかに分析して、行動範囲の地形データを立体的に脳に焼き付けているからだ。
これなら、自分の位置は上空から見たようなマップになっているので、自分が居る位置をGoogleアースのように点で把握している。戻るのも進むのも楽勝である。

道筋は獣道であったり歩きやすい所であったり、そうでない場合もあるが、簡単なのは一番低い谷の場所を把握していること。
谷を筋で記憶すれば山を越えない限り、低いところを通ってくれば馬鹿でも戻れる。そんなに難しいことではない。問題は理解することか、漠然と見ているかの違いだけ。

地図を丸暗記できなければ、一番高い場所と、一番低い場所を記憶すればそれで充分である。
そこまでできなくても、周囲の山の稜線を記憶すれば自分の向いている方法を簡単に把握できる。
曇りの日でも自分が谷に居るのか、平野に居るのかくらい分るだろう。
見えるものを上手く特徴を掴んで記憶するだけ。これなら頭でっかちの人間でも簡単だろう。

<自然公園なら観光マップを焼き付ける>
観光地なら案内地図があるからそれを強く脳に焼き付ければいい。
道無き道を進む時は、初心者なら目印を残せばいいよ。
山菜採りなら樹種や切り株、倒木、草花などで記憶しているから歩きながらパパパパパって脳に地図を作っている。そんなに精度は必要ない。大雑把でも部分的な要所要所の記憶がしっかり焼きついているから情報の整理が非常に高効率なだけだ。

下手に頭で考えるよりも、それが自然にできているから何気なく藪に入って、何事もなく戻ってこれる。
これはドーブツテキに感覚を利用すればいい。
単純な情報を上手く頭の中で地図にできる人は迷い難いし、自分の居る場所を写真でも見るかのように漠然と見ているだけならこの感覚は働かない。
人間は飛べないんだから、飛んだつもりで地形を変換するというのもひとつの手だ。


( ´(Д)`)y━~~~ ということを、尾瀬で迷子になった人の記事を見てふと考えた訳で・・・

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