2010年3月6日土曜日

離島や小さな経済について考えてみる

Wikipedia:離島・孤島の定義

いつかは住んでみたいとは思うものの、住んだら住んだで大変だと思う。
コンビニも本屋もスーパーも無いとくればある程度の自給自足を強いられる。
まぁ、畑なんて大規模じゃなくても野菜は土さえあれば育つし、原種に近い野菜ほどホッタラカシで育つ。
そもそも野菜を育てるよりも野草を食ったほうが早いかもしれない。
肉は頻繁に食えなくなるだろう。
そうなると島ならではの動物性たんぱく質しか食えない。つまり魚介類だ。
例えばメスのニワトリを放し飼いにすれば卵は食えるし、年老いた鷄は〆れば肉だ。
多分、生きるために何かを殺して喰うという機会も増えるだろう。
だけど、それは都会に住んでても同じかもしれない。
誰かが育てて誰かが殺して肉となった家畜を食っているという点では他の命を殺して食っていることに違いなど無い。

島での暮らしでは病院が最大のネックになるだろう。
具合が悪くなったからと開業医に行こうと思っても無いんだから舟で行くしかない。
そうなると、定期便を待つしかない。急病には対応できない。
学校なんて無いから本島に行くしかない。
そもそも、本島に学校がなければ学校に行くことも無理だ。
だけど、行政が高速回線を敷設してインターネットでウェブカムを使って授業は受けられる。
島に学年ごとに教室一個の学校があればいい。
小中なら合わせて9学年。離島に住む児童用の教育プログラムさえ整備すれば離島で子供を育てる事も出来る。

あとは収入か。
ある程度の人口を確保して最小の経済規模を作れば色んな需要が出てくるだろうし、老後は離島で暮らしたいという人を政府が援助すれば、それに伴う需要が生まれる。
そうすれば若者の働き口が発生して雇用も生まれるのではないだろうか。
何につけても経済を発展させるためには離島ごとに何か特色が必要。
観光だったり、保養施設だったり、老人介護施設だったり、小規模なスーパーだったり。
もしも日本がそういったインフラの整備やシステムの構築に資金を使えば日本国内に限らず、世界に貢献できるのではないだろうか。
同時に太陽光発電をはじめとする自然エネルギーの小規模な発電施設のノウハウや、小規模水道・下水施設の研究。
海底ケーブルの敷設といった事業への参加など雇用が望める。

人口を一箇所に集中させる事で効率化を測る一方で、小さくて密度の高い集落の形成もこれから必要になってくるのではないだろうか。

単に生活保護を受けて惰性で暮らしている人間は生産や貢献といった概念があるのかどうか分からない。
それよりも働きたくても働けない人。働く場所が無い人へ離島や高齢化や過疎が進行している場所へ移住してもらって、地域に参加させ、そこで暮らす方が色んな面でプラスになるのではなかろうか。
生まれてこの方いろいろとやってきたが、社会貢献なんて空いている時間で始められるものもあるし、方法や手段だってコミュニティーに入れば理解できるし、自分ができることを見つけられる。
それが社会へ属する事だし、何かを生産することに繋がるのだと思う。
過疎の村や集落に生活保護を受けて住むことだって小さな経済への貢献だと思うけどね。
働かないで国民の税金だけで生活するということ事態、働いている人間にしてみれば馬鹿らしくなる。
でも、ひとをが住むことを望んでいる地域に率先して移り住むのであればそれは大きな貢献とも言える。

住むことで貢献できるのであれば、そういったところに移住できるように行政ももっとうまいこと考えればいい。
あと、就職先についてだが、雇うまではできないが人手が足りないという企業はあると思う。
県や地方単位で行政が派遣をすればいい。
現在無職の人間の資格や技能、知識の有無を把握して企業へ派遣する。
給料は企業と行政が折半。もしも、派遣した人間をそのまま雇用したいというのであればそのまま採用すればいい。一時的に忙しい企業だってあるだろうし。通年雇うことができない企業だってある。
経営者からすれば自分で雇って、自分がクビにするのは忍びないだろう。
でも、自治体からの派遣であれば使いたいときにヒマな人を派遣できる。クビとかそういう概念は無い。
人材を経済全体のリソースとして考えるような社会であれば、その人が得意な業種への転職も楽にできるだろうし、働きたい人がずーっと働かないと働く意欲さえ失ってしまうことを考えたら、時々でもいいから働かせた方が良いに決まっている。

つまりこうだ。
生活保護者に義務を与えずに税金を投入しないで欲しい。
税金で賄われるのであれば、何かの義務を追わせるべきである。
そうじゃないと働いて高い税金を払っていること事態が馬鹿らしくなる。
何も働くといっても体を使う事ばかりではない。
頭を使ったり、単純な仕事でも何でもあるし、ボランティアに参加させても良い訳だ。
何も義務を与えない。何も制限しない。だけど、生活資金を税金からあげます。何もしなくていいですというのは変だ。

ただ、これにもパターンは必要だ。
これまで何年働いたかということ。
これは非常に重要で、いままで社会に貢献してきた人間には、今まで働かなかった人よりも優遇が必要だってこと。
楽な仕事ばかりある訳が無いんだし、貢献度が高ければ仕事をより優遇して選べるようにすること。
いくら機会を用意しても働かない人には給付金を減らしていく事。
寝たきりでもできることがある。歩けなくてもできることがある。
病気に理由をつけて全部から逃げる事なんてできないはずだ。
鬱病を自分で振り切ったオラからすれば、働きたくない理由を並べるよりも、自分ができることを探させた方が本人の為にもなる。

やってみたら意外と自分にもできるということが世の中にはたくさんあるし、気付かないところで協力者を募っているところはたくさんある。
そういった見えない求人を見える所に拾い集めることだって貢献にもなるなんだし。
働き口が無ければそういったことを仕事にしてもいいと思う。
問題は何を持って社会に参加することなのか。
自分が単に生きているだけの存在ではなく、社会に対して何ができるか挑戦することが大事だと思う。
きっと世の中にはそういった「あったらいいのに」という仕事が思ったより多く存在すると思う。

3 件のコメント:

  1. 君を知らない。でも、君と私は同じ人を知った。だから、今、君を哭いている。今、南の方では、雲雀がゴマ粒みたいになって鳴いているんだ・・・

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  2. ピーチクパーチクと聴こえるかは定かではない。
    トンビのピーヒョロロは確かにそう聴こえるし、山鳩のデデーポポーもそう聴こえる。
    スズメはチュンチュクチュイチュイではあるが、カラスはカーとは鳴かない。

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  3. あかぃりんご2010年3月6日 19:53

    淀川の右岸の堤防では気温の低い2月の初め頃、日差しの強い日に雲雀は地面でさえずっていました。約10Kmの区間で一カ所だけでした。数回同じ場所でさえずりを聞きました。 2月下旬に気温が上がりだしてから、その区間で、何羽も空高く、さえずり雲雀がいました。一番しかいないのかと思っていたので、たくさんの雲雀を見て、うれしかったです。
    鳴き声は、勢いのある、忙しげな調子で、のどかな感じではないですね。青く澄みきった空を、南東方向に白い雲が流れる下を、風に流されながら点に見える程高く、雲雀は上がっていました。

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