2010年4月13日火曜日

何かを最初にやれば第一人者

で、実際のところ、それを証明する方法は???
日本または世界という範囲で見れば、同じようなことをやってる人間は少なくとも数人いるかもしんまい。
でも、範囲を絞れば第一人者と呼べる者は意外とたくさん居るかも。

限りなく「周りの人間が興味を持たず」、限りなく「周りに同じことをする人間が居ない感じで」、限りなく「そいつが詳しいかもしんまいってこと」と、「それに関して広く知りうる方法で公開していること」という条件に当てはめるのであればオラもいくつか第一人者である。

少なくとも青森では。

これを日本国内に絞ると2つか3つになる。
人間ってのはこの世に生まれて死ぬまでに何かを残さなければ生きた意味が無い。
それが子孫であっても、知識であっても、発明であっても、創作物や文化、芸術であってもだ。
子孫を残すのは生物としての基本であるが、オラのような独身クマ野郎には無理かもしんない。

でも、オラがいま死んでしまっても、オラがネットの世界に残していけるものは多数ある。
Wikipediaに寄贈した写真や画像。記事しかり。
生原料で作る世界初のふきみそ。
モールを使ったスパイダーコイルのループアンテナの工作方。
でも、この中で後世に残せるのは写真だけ。
それもWikipediaが存続すればの話・・・

そうなると、ホムペ関連の記事もインフォシークが残ればの話になる。
だったら物として、形として残せるものを考えてみたが何も無い。
美術館や博物館に残せるような物なんて無い。
ギネスなんて申請すれば載せられるものはあるだろうけど、他人に更新されたらオシマイ。
紙媒体なんて永久に残せるものでもないしな。
データだってある日突然消失するかもしれない。
歴史的な人物になれるかといえば無理だ。
そもそも歴史なんてものは積み重なれば不確かなものになっていくものだ。

人間が絶滅しても残せる物を考えてもあるはずもない。
人工物なんぞ朽ちるのが普通だし。
そういう意味では人間としてこの世に存在した証明を残すことは不可能ということになる。
人間という生き物が地球という星に存在していた時期があり、どのような生活を営んでいたかは残せるとしてもだ。
そんなことで、人間一匹がこの世に存在していた証明を朽ちることなく残せるものは無い。
記録としても、創造物してても。

つまり、いくら頑張ってもせいぜい四半世紀程度の間、そういう人間がこの世に居たという記録しか残せない。
歴史上の偉人達のように特別な存在でなければ・・・だ。
だって、過去の日本の首相でさえ、20年も経てば「そういや、そんなの居たな」という程度だからだ。
時の人と謳われた著名人でさえも時間に押し流される。
凡人がいくらあがいても「その筋では名の通った人」が関の山。

まぁ、それでも生きているからには何かを世に残す努力をしたい。
たとえそれがマイナーなものでも、その為の努力を続けることが大事なのだから。
よく、「自分に金があれば・・・」とか言いたくなるものだが、金を掛けずに地味に人がしないことを続けることで「国内でも有数の・・・」になれると実証できたことだし、自分がそれに費やす時間がいづれ何かの形で誰かの目に留まることがあれば広がるかもしれない。
ほんと地味なんだけどね。ただ、努力もなしに簡単に有名になれるってことは相当な幸運だと思うよ。
自分が地味なやつだと自覚していれば、それなりの方法を見出せばよい。
その筋の第一人者になることだって方法のひとつだ。
そしてできる限り、それをやってることを知ってもらうこと。

始めるのはとても簡単。
でも、続けるのはとても大変なこと。
自問自答して答えを導き出すまでに時間も掛かるし、自慰的記事ばかりじゃ価値も無い。
自分が完璧だと思っていても評価するのは他人だし、必要とされるものを意識していても誰にとって必要なのかを考慮しなければ無駄になる。
型に嵌っててはどこかの誰かと同じだし、奇抜すぎてもダメだろう。
まったく同じものでも表現によって価値も変わるし、希少価値をつけるには工夫が必要。

( ´(Д)`)っ─┛~~~ 生涯学習ってさ、何かを習うんじゃなくて何かを見つけることなんじゃないのかな?

最終目標をを達成するんじゃなくて目的を見つけることだったり。
何かを作って終わりじゃなくて、何かを作り続けること。

モノを作るのか、モノを考えるのか、モノそのものに価値があればいいのか、モノが何かのためになるのか。
モノそのものが、新たに何かを生み出す仕組みとしての価値があればいいのか。
自分のためのものなのか、特定の誰かのためのものなのか、それとも不特定多数の誰かのためのものなのか。
それによって目標も目的も違うし。

うーん、考えれば考えるほど難しいね。

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