「きく」ひとつとっても違う。
聴力と関係あるもの。
味覚に関係あるもの。
視力によるもの。
知識によるもの。
一般的に耳から聞こえるという意味では「聞く」「聴く」が普通。
聴くにしても聴くことによって分析することと、聞こえるものを総して違う情報を得ている場合には聴き方が違う。
視力が無い人は音を使って観ている。
オラは視力を失った時のために音で周囲の情報を得られるように聴力を鍛えている。
幼少の頃から山菜取りをしていたオラにとっては音から得られる情景というのは多い。
情景は風景になり、風景は周囲の情報となる。その情報をマッピングすれば聴力だけで地図が描ける。
その時に得られる音の情報は風邪の有無で変わり差異が生じる。
川があれば音が反響する。
配属先が変わって雑音が多い無線の聴き取りが困難だったオラが、雑音から音声を取り出せるようになってきているのは聴力と脳で処理されるフィルタリングのお陰だ。
人間というのは重要な五感のひとつでも失うと今までどおりに行かなくなることが多い。
でも、特定の環境を強制された時にその状況に対応する為、脳は耳の使い方を最適化する。
耳というハードウェアは人間という生物的に誰も似たような程度の性能がある。
年齢に寄って劣化はあるものの、耳の効率的な使い方を調整するのは脳の回路であり、フィルタリングのスクリプトを組むソフトウェア的な適応能力である。
脳がそれを必要と考えた場合、今まで情報として扱わなかったノイズも情報源となり、ノイズに隠れていた情報が情報として取り出せるようになる。
人間は一生バージョンアップするOSでありソフトウェアである。
体はそれを行なう為のハードウェアに過ぎないが、ハードウェアをちゃんとメンテナンスしていないと結果的に重要なハードウェアを欠くことになる。
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