駐車場でbreakfastをしていると、オラの目線にある看板の上に稲荷寿司が元気良く着地。
車の中をオーバーリアクションで覗きまくってる。
見るからに「ごはんくれる人間いたー!!!」と言わんばかりの態度。
オラが車で朝飯を食べているのを知っている稲荷寿司どもは、こうして朝飯に有り付くのが日課となっている。
その数3~5羽。既に固定客である。
こいつらは、エンジンをかけていようがお構いなしに車の下に近づき、パンを拾って車の下に潜り込む。
つまりカラス対策である。エンジン始動中の車の下が一番安全っていうのは問題だぞ・・・野鳥として。
とまぁ、そんなことは彼らにとってはどうでもいいのである。
エンジンが掛かった車の下にはカラスは近づきもしないし、オラが稲荷寿司どもに何かするわけでもないということは百も承知なのである。
これも信頼のひとつの形として見れば微笑ましいのかもしれない。
中心街の稲荷寿司どもは実に環境に適した生活をしている。
都会のスズメは外のテーブルでメシを食ってる人間に近寄って食べ物を貰うという話を良く聞く。
それを考えればこっちの稲荷寿司どもも同じ鳥であるからして別に不思議な行動とも言えないのであろう。
実家に帰ればオラの車を目印に弘前チュンどもが寄ってくる。
しかし、こいつらは2~3mほどの距離をとるのだ。
同じスズメでもこうも違うのだ。地域性というやつだろう。
スズメが捕獲される地域ではこうはいかないだろうな。
人間を見たら敵と判断して逃げるに違いない。
そういう意味でこの小さな隣人は地域によって様々な生き残りの知恵を獲得しているということだ。
ある地域では人間はエサをくれる生き物として。
ある地域では捕まったら食われる敵として。
でも、公園の稲荷寿司どもも最初はこうではなかった。
ハトにエサをやる人間の投げるパンくずを機動力を活かして掠め取るのが彼らの日課であったが、オラが彼らを専門として相手にすると、3年ほどで手からエサを貰うほどに学習している。
今では子供の稲荷寿司はオラのつま先ほどの距離を飛び回っているのだ。
むしろ、メシを食ってる間は他から邪魔されまいとオラの足元に安全地帯を見出していると言っても過言ではない。
「ある小さなスズメの記録」という本がある。
戦時中に親から見捨てられた羽毛も生えていないイエスズメを拾った老婆が、彼が死ぬまでを記録したドキュメンタリーである。
こんな小さなスズメが・・・と思われがちであるが、オラはこの著者の知るスズメという生き物の生態をよーく知っていたので、本作を読んでいる最中は「うんうん、わかる・・・わかる・・・そういうことするんだよな、稲荷寿司はよ・・・」とニヤニヤして読んだ。
一見、どこにでも居る身近でとても小さい彼らは、人間が思っているほど単純な性格を持ち合わせてなど居ない。まぁ、平均してみれば性格はオヤジ臭いところが多いのであるが、彼らはたとえ怪我を負っても生きている限り子供を世話するし、その為であれば人間でさえ積極的に利用するのである。
その為に、「誰が味方であるか」をしっかりと記憶するだけの能力を持っている。
あの大豆ほどしか無い脳味噌のどこにそれだけの知能と個性を有しているのかは巨大な脳を持つ人間にとって脅威である。
スズメよりもはるかに大きくて知能が高いカラスと、かれらスズメの違いなど、せいぜい言語の多様性と貯食行動の有無しか見えてこない。
この小さな隣人は観察対象として非常に興味深いのだ。
そんな訳で、始業40分前には駐車場でbreakfastしながらFM青森を聞く。
そして、当たり前のようにオラにメシを要求してくる稲荷寿司どもと朝のひと時を過ごすのだ。
まぁ、厳密に言えば、家から出ると鳥どもが一杯なのであるが・・・
どうも、オラには鳥にしか見えない何かが鳥憑いているのであろう。
オラは酉年だしな・・・
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