前置き・・・は省略
あおもりくま式の視力回復術は何度も書いてるから細かい部分は省略。あと、原理を理解しているかそうでないかで効果に大きな差が生じる。
概要は「自分の向いている方向で目線をあまり移動させずにいくつかの距離ごとに目標を定め、できるだけ素早く焦点を切り替える眼球ストレッチ」のこと。
つまり立ち位置も重要になる。これを習得できれば仮想目標を空中に見立てることができるので、どこでもできるようになるというもの。
いま、何か知らないけど視力回復法が原理も方法も不明のまま効果があるとネットを使って話題を「作っている」けど、原理や方法が不明なものはオラは信用しないし、評価も不可能だ。
何があったのか・・・
さて、いまこれを書いている理由を述べよう。実は「朝、起きたら右目だけ乱視モードになってて視界が不明瞭になっていた」のだ。オラは自称視力5.0でどんな状況でも数分から長くても1週間で元通りの視力に自己補正する「感覚」を持っている。 上記の方法がそれに値するのだが、何度やっても視力補正ができず、物凄いショックを15時くらいまで受けていた。(過去形)
この程度の乱視(像がダブって見える状態)なら3分で治せると思っていただけに、こりゃもう歳かな?と諦めようかと思ったくらい今回の右目の乱視は手強かった。
じゃ、いつもの・・・
試したのは「あおもりくま式」視力矯正術なのだが、目薬も併用しつつ仕事の合間に外を見るようにしていたのだが、50%程度しか回復しかできず、右目だけで見るときに眼球の筋肉を緩めると焦点がブレる。
人間は鍛えることのできない部分に眼があるが、外部からの物理的衝撃に対して弱いというだけで、眼そのものを物理的に鍛えることはできなくとも、眼球の周りにある眼球を変形させる筋肉は鍛えることは可能。
この眼球の筋肉を動かすというのも実は「自分の体に在る任意の筋肉を動かす感覚」を有していないとできない人も居るようで、オラの母親もどういう感覚なのか分からないというのだ。
説明が難しいというか、今まで食べたことの無いものの味を伝えるのが難しいように、この「あおもりくま式」には強制的に「そこを見る」という目標物を定め「それをハッキリ見えるように眼球の周りの筋肉を動かしなさい」という手段を用いる。
慣れれば仮想目標を定められると先に説明したように、慣れると任意の距離に焦点を合わせるよう眼球の筋肉へ命令できるのだ。
今回は本当にヤバかった。これほど上手くいかないなんて今までに無い。でも諦められなかった。だから何とかなったのかも知れない。今回世話になった目薬はこれ。サンテフォーカスVだ。
たぶん、これだけではどうにもならなかっただろうし、独自の視力矯正ストレッチだけでもどうにもならなかったと思う。眼科医がこの日記を見て「うそ臭い」と思うのは自由だ。どうぞ笑いのネタにしてくれ。
その昔・・・
ただ、小学校の低学年のとき、幼稚園から本の虫だったオラの視力は0.7にまで落ち、一時は眼鏡が必要とも言われた。でも、ウチはビンボーだったので家に負担を掛けたくないし、今後のこともあって天体望遠鏡を買った。当時、17,000円くらいしたはずだ。今ならそれより凄いのがポケットマネーで買えてしまうほどだ。
星を見るようになってからオラの視力はすぐに2.0超となる。規定の距離より離れても一番下のCが見えるのだ。簡単に言えば肉眼で土星の輪が認識できるレベルだ。
強く思うこと。眼球に強く念じること。見えるんだ。きっともっとハッキリと見える焦点があるはずだ。眼球の筋肉を調整することで土星を見つけ天体望遠鏡で輪をくっきりと認識したときは嬉しかった。
理由と根拠と仕組み・・・
オラの視力矯正術には2通りある。明るい昼に山の稜線や海の水平線を眺め、途中を通り過ぎる鳥や船に焦点を合わせる方法。
もう一つはブレているのが明らかに分かる月や星の像を強制的に1つに見える位置に眼球の筋肉を調整すること。言うなれば「アジャスト機能」を使う方法だ。
昼の矯正術は明るいのでハッキリと見えるモノで像を1つに結ぶことが容易。ただし、夜のように暗いときは虹彩が開くのでレンズの焦点が少しずれている。これを再補正するのが夜の部。月や星で最終調整するのだ。
軽いピント異常や乱視程度なら昼の部で修正ができる。でも、夜に星を見て点が2個に見えたり月の輪郭が二重になっているときはきちんとアジャストされていない。放置するとその焦点がデフォルトに固定されてしまうので、キッチリとこまめに修正が必要だ。
もしもこの方法で誰か一人でも視力が向上したらそれでいい。分からない人にはたぶん無理だし、深視力は6歳くらいまでに認識できないと一生獲得できないと言われているように、「感覚が理解できなければ」できないのだ。
眼だって鍛えられるんだぞ!・・・たぶん
オラがやってるこの矯正術は深視力のトレーニングとも言える。つまり奥行きのこと。オラが三次元で自分の周りの状況を脳内にマッピングできるのはこの深視力と、耳から入る音の方向と反射によって時間差が発生。僅かな反響をも利用した音場(おんじょう)という概念を使っている。場が持つ音の反響を受けるのではなく、音から場の状況を知るのだ。つまりコウモリと類似。自分から音を発して反射する音を拾うのがコウモリ。ただ、オラが屁をこいてその屁の音の反射を耳で拾うのではなく、周りの音を一方的に受けて周囲の状況を知るという仕組み。音源など自然界には沢山ある。うーん、軍事関連で例えるならば潜水艦のパッシブソナーだな。
そもそも見えることを維持するための手法である・・・
視力には距離が関係し、自分がその物体との正確な距離を認識できれば「見えている」ということで、「見えない」ということは現実的に「距離が把握できない」ということになる。像がボケてるらしいね。経験が無いので知らないけど。
で、見えていないんだから正確な距離が認識できるはずもない。そもそも、オラは有難いことに五体満足であるので五体満足なうちに五感の中で生死に直結しかねない視力と聴覚と嗅覚を鍛えている。もちろん、触覚や味覚も重要で、それぞれをそれぞれの感覚として自分なりに不必要なまでに分析している。 五感の情報をそれぞれ別の感覚に置き換えることができたらどうだろう。アニメでたまに聞く言葉に「共感覚」というものがある。
簡単に言えばこうだ・・・
嗅覚で味覚を共感覚できる。つまり匂いで味が分かるでしょ?ということ。
聴覚で視覚を補佐する。後ろで呼ばれたら振り向くでしょ?横でも同じように呼んだ人がどこで喋ってるか分かるでしょ?。左から呼ばれて右を向くアホは居ないでしょ。
触覚で空気の振動を読む。つまり皮膚の触覚で音を感知する。ドーン!とでかい花火の音は体に響くよね。耳で聞くだけより空気が振動していることで、よりリアルに現実を把握できるよね。
あと、人間には三半規管という重力や加速度、回転、水平、気圧を感知するバランス器官がある。地震でゆっくり揺れれば気付かないことがあるけど(今日のサハリン沖みたいな広範囲が均一にゆっくり揺れるヤツ)、あれ???眩暈か???というアレ。
たぶん、三半規管はこれら感覚の他にもっと凄い感覚認識機能があるとオラは踏んでいる。何せ、他の感覚器官は全部露出しているが、三半規管だけ内部にあって外気に晒されていない限りなく内側にある感覚器官だ。その感覚は「感覚として理解できる」というレベルでまだオラは完全に掌握してない器官であるが、人間が立ち上がったり歩いたり、倒れるのを感じるのはコイツのお陰で、かなり重要なのは分かり切っている。でも、この三半器官にはたぶんもっと重要な感覚の要素があるに違いない。
オラは自分の体の異常は自分でかなりの所まで把握している。異常が出ないようにできる限りのことはしている。五感を五感だけで感じることに満足しないで人が感じ得るであろう間隔の限界に挑戦したいと思う。
それこそ、後ろから襲われても回避して逆に撃退できるほどに。アニメのヒーローや忍者、暗殺者じゃあるまいに・・・という失笑が聞こえてきそうだけど、極限まで集中すれば決して無理ではないと思う。
で・・・ええ、今回はかなり焦ったけど完璧に視力2.0に戻りましたとも。
世の中が裸眼で全てクッキリ・ハッキリ見えるというのは素晴らしいことですだ。この素晴らしさは視力が落ちたと自覚するときに「失うことの恐ろしさ」を実感する。決して歳だからと諦めてはいけない。昨日まで見えていた光景とちょっとでも違うと感じたら直ぐに矯正するべきだ。
放置したらそれに固定され、眼鏡に頼ると、眼鏡無しでは居られなくなる。自分の五感の低下を人間は器具や機械で補える生き物であるが、やはり人間も地球上の生物。人間であるかどうかの違いに関係なく、生命の危機に陥るような状況下で身体機能が低下していることは、それだけ死ぬ可能性が上昇してしまうのだ。
オラという生物は、単体で生物として機能していることが最大目標なので、自分の五感に異常が生じることは即ち死ぬかもしれない状態。それだけは嫌だ。オラは野生の生き物を長らく観察してきた。彼らから学んだことは「死なないために何をしているのか」ということと、「ちょっとした五感の低下が死に直結している」ということ。そして人間は怪我をしたら病院に行くだけだし、それで簡単に死ぬこともないが、彼らは怪我が死に直結していること。運よく他の部分を使って危険から回避できるだけの感覚を有していても、決して五体満足の個体より優れている訳ではない事が挙げられる。
人間は頭が良い。先進国じゃ餓死で死ぬ人も殆ど無い。日本じゃ治安も良いからいきなり銃で蜂の巣にされることも殆ど無い。
でも、車が突っ込んできたり、キチガイにいきなり刺されたり、金属バットでぶん殴られることもあるし、風で飛ばされた看板が直撃することが無い訳じゃない。
人間が人間であることの前に人間もただの動物。死ぬような目に遭えば死ぬこともあるし、確率が低く医療や化学の力で簡単には死なない。でも、許容量以上のダメージを避けられない人はやはり死ぬ確率が高くなる。
貴方の五感は全部機能していますか?
貴方は動物としてどれだけ危険を回避できますか?
貴方は危険をどれだけ感知できますか?
貴方は物理的攻撃に対してどれほどの防御力と攻撃力がありますか?
貴方は見えているものしか見えていない人ですか?
・・・・・・・・・・貴方は突然降りかかる災厄をシュミレートしたことがありますか? ・・・・・・・・・・
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