偶像(ぐうぞう)とは、木・石・土・金属(などの具体的なモノ)で作った像[1]。また、神や仏などの存在をかたどって造られた像で、かつ崇拝の対象となっているようなもののこと[2]について、その聖なる像、神の像を崇拝する、もしくは崇敬する、その像を通じて神に近づこうとする行為、宗教活動を非難、差別する意図で使われる言葉である。非敵対的な用語では、神像、聖像という。日本語のアイドルって表記が如何に乖離しているのか普段から思うのはこのせい。
派生語として、神像、聖像を崇拝、崇敬する行為を、批判的差別的な観点からとらえた、偶像崇拝という用語もある、聖像や神像を崇拝、崇敬する宗教に対して、それらを非難・差別する文脈で、偶像教という用語が用いられる[3]。転じて現代英語のidolの用法や、現代日本語の「アイドル」の用法が生まれたが、これらには悪意の用法は通常ない。
だが、ある意味で「具体的なモノで作った像」を崇拝している人が居れば、日本のなんちゃってアイドルよりも本来の意味で近いのは「フィギア」だったりする。 え?スケートのじゃなくて、「ソフビ」とか「プラキャスト」製のフィギアだよ。
でも、今の時代は電子の世界でデータ化した立体モデルが画面内で動き回る時代だから、ある意味で物質にこだわらなければ3Dモデリングの偶像(IDOL)を崇拝されるのも許容される時代なのかもしれない。
神というのは崇拝されることで力を増すとも言われる。だったら日本人のような八百万の神(やおよろずのかみ)を信じる体質を持った人種は何でも受け入れちゃったりするわけで、特定の趣味の人が、特定の偶像を崇拝することによって、それが神格化する可能性もある。
島国で鎖国が長かった日本という国が、外から入っている文化を容易に受け入れやすいとか、創造することが得意だとか、外から入ってきた文化を自分好みにリメイクしたり。 もうこれ以上何も出てこないんじゃないかと思っていても、どんどん創造されて世の中に出てくる。このパワーはどこから来るのだろう。
もしかしたら、自らが生み出した偶像が崇拝されることで神格化して後押ししてくれているとか?。そう考えると日本の文化というものは消えては現れるそういった八百万の神に支えられているのかもしれない。
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