2015年12月6日日曜日

考え方を変えると分かることがある。

例えば、相手がなにを考えているのかを察するときは、相手の主観を読み取る必要がある。自分基準でモノゴトを考えるとき、自分の中の常識を基準にして考える。ただ、常識というのは人それぞれであり必ずしも世の中の常識と一致しているとも、自分の中の常識と一致しているとは限らない。

自分の中の主観。相手の主観。世の中の大多数の客観。常識の最大公約数を除いた部分が各個の主観。その残った主観が世の中の常識の真逆を行けば非常識となるのだろう。ただ、世の中の大多数がその常識を持ち合わせていないケースも多い。それは常識の基準となる知識が少ない場合、知っている人から見れば常識で、知らない人には判断できない基準。或いは「なんでそんなこと知ってるんだ?」か、もしくは「自分に照らし合わせて勝手に非常識認定する」だろうね。

例えば鳥類。特に野鳥の考えていることが分かるオラの主観は「できて当たり前」なのであって、「他者から見ての非常識」と同義であるかもしれないが、実際にできてしまうのだから非常識というよりも特異な能力であって非常識ではない。単に観察眼が優れていて、それから予測できる野鳥の感情が実際にオラが野鳥に対して返す回答が、野鳥の考えていることと殆ど差異がないというだけ。だから、野鳥から見れば「ああ、この生き物はそういう生き物なんだ」と興味を持つ。


これを痛いと表現するのなら、多分そいつは観察眼が酷く劣るのだろう。生き物を飼ったことがある人間であれば大抵は持ち合わせている能力なのだが、最近はペットを「動くぬいぐるみ」とか思っていない非常識が増えたし、主観が腐った人間も増えているということに過ぎない。

周りの大多数よりも可能なことを増やすという趣味があれば違うものが見えてくて面白い。なんだっけ?「周りが全員盲目で、自分だけが見えている」という表現を作中に使用するマンガやアニメは確かいくつか有ったはず。パソコン操作の熟練度が高い人にも覚えがあるだろう?。あれが最も分かりやすい例えだ。

「なんでそんな事が分かるの!?(凄!)」と言われても、いやいや、自分の中では常識なんですよ?。というやつ。実際、分かってる人にとっては当たり前で、解らない人にとっては分かることが驚愕。別にパソコンに限ったことではなく、何にでも当て嵌まること。何も特別ではないし、驚くものでもない。興味が有ったから調べて覚えて熟練度を上げた。単にそれだけのこと。何も非常識なことは無く、驚くものでもなく、痛くもなく、恐れることもない。

誰しもが何かに秀でるチャンスはある。普通にある。しないのは「興味を持つ」 という感情が低いか欠如しているだけ。

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