人間は周囲の言語を聞きながらその使い方を状況と照らしあわせて意味を理解し、発音してみせ、やがてその使い方が分かるようになると、その言葉を上手く使えるようになる。
これは当たり前のことで、母国語を親の会話から学習することと同じである。これは自然なことで、赤ちゃんのうちは元々の言語を持たないから、一番身近な親という生き物から言葉を得る。人間が一番最初に覚える知的行為であり、大人になってもそれは失われない。よって、周りに異なる言語を使う者が日常的に存在するとすれば、その言葉を理解して、話せるようになるということもまた自然な流れであると言えよう。
さて、ここまで書けば何のことやら判ると思うが、オラは鳥類の言語を理解できる。これを自分にとっての常識にしか当てはめられない人間に言うと「ありえない」と言う。論理的に考えれば冒頭で言った通りであり、口笛や歯笛で鳥類の発声が可能なオラはある程度人間が発声可能な音声の範囲でそれを模することができる。
この状況に応じた使い方を観察、学習する能力。発声可能な範囲での鳥類の言語の模写により、状況に即した適切な言語を駆使することで、人間が鳥類の言語を使って会話ができる。
ただ、人間は言葉というものに頼りすぎた生き物であるからして、感情表現やジェスチャー。アイコンタクトといったもので補完する能力が低い。そこはやはり「驚かせる」「警戒させる」ということを考慮し、あまり大きなジェスチャーは鳥相手にできないものの、 コミュニケーションを行なう相手の性格や性質に応じて正しく使い分ければ相手が配慮してくれる。
今言っている相手とは鳥類のことであるが、今まで相手にしてきた哺乳類や爬虫類にしてみても、警戒させないということを前提にコミュニケーションを図ろうとした場合、相手がそれを理解した時点で、こちらに合わせてくれることまで分かっている。一応は彼ら野生生物も、他の野生生物と人間を異なるものと理解する傾向にはあるようで、ヒトという生き物は行動原理や思考に大きな差異があるという認識もあるようだ。
しかし、野生の勘というか、直感というべきか、それによって敵意の有無は即座に判断するようで、敵意を見せなければ瞬時に無害認定してくれる。これは9割以上の確率である。その9割ですら実際はこちらの判断と対応に依ることが大きく、間違った対応を行なうと、敵意とみなされると思われる。
動物がヒトを襲うとき、概ねその対応に誤りがあり、意思の疎通に失敗した時点で襲われる危険が高まると言える。ヒトが明らかに物理的な衝突で優位な場合はヒトが譲歩。ヒトが不利な場合は可能な限り干渉を避ける行動をすることで衝突は避けられる確率が高まる。
つまり、戦闘時に絶対的に優位な鳥類相手には興味を惹かせ、小型~中型の野生動物には敵ではないという態度を示し、戦闘において不利な大型の野生動物には興味が無いし関わりたくないという態度を示すことが正しいと思われる。
対象の動物が可愛いからとキャー!と奇声を上げれば相手は驚くし、怖いからとウワー!とかギャー!なんて声を上げれば相手を警戒させる。何もしないし、何も反応しなければ相手も不干渉。きょうつうの言葉を持たない以上、態度もまた言葉なのである。その言葉を誤った場合、人間同士でも、人間と動物同士でも衝突が起こる。
非常に単純で解りやすい言葉だと思う。言葉は必ずしも発せられるものだけではない。気配や、態度、発声の種類や強弱によってもまた相手に与える印象は変わる。だから、初対面の人間と会話するかのように、様子見しながら対話するという前提条件さえ忘れなければ、多分、ヒトと動物とでも意思の疎通は容易ではないかというのがこれまでの研究結果である。
以上。
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