2019年3月11日月曜日

舎利石あります(その3)

 個人研究と研究者の研究に優劣を付ける気はない。結果としてそれが優れた研究であればプロを素人が凌駕するということはこの世にはいくらでも事例がある。
 ただし、Wikipediaにおいてはそれが許されていないため、個人研究はノートに書くか個人のブログでその研究を発表するしか無いのだ。

 研究の過程でさえも、いづれも文献を読み漁り、写真を検索してその特徴を理解し、実地調査によりその裏付けをとって、結果として成果を上げれば、それはプロだろうが素人だろうが、結果を出したもん勝ちである。

 さて、写真を撮り直したので、パブリックドメインでWikieodiaへ投稿し、そしてここにも貼る。何せ自分がパブリックドメインで公開したものだ。自由にどこにでも使えるからどんどん使ってくれて構わない。

 さあ、どうだ。これが舎利石だ (≧∇≦)b 綺麗に撮れたでしょ? 
 なにせ2K画質だぜぃ!







 で、ネット上の文献をかなり読み漁ったことで真贋も備わってきた。ただ、一部に舎利浜である前提のサイトもあって、結局、舎利母石がセットじゃなきゃ価値がないとか、書きたい放題であるものの、結果として母石が産出する場所であり、母石から零れ落ちた舎利石の特徴を満たせばそれは舎利石であり、お経を唱えて仏舎利としての性能を賜れば、それは仏舎利であるとかもう、わけわかんねー・・・

 つまり、読めば読むほど訳わかんねーなんですけど、とりあえずこれは舎利石であるのは間違いない。次にこれは舎利石であって仏舎利ではないが、お経を唱えてもらえば、仏舎利としての効力を得るということ。

 ここまでわかった。うん、きっとそうだ。(おい、昨日の丁寧語はどこいった?→いいんだよ。疲れているんだから・・・)

 でも、困ったな。お経を唱えてもらわないと効力を得ないのだから、使うのならお経を唱えて貰う必要がある。だからオラが持ってる内は単なるコレクションってことなのも理解した。ほむほむ。

 しかしながら、これは舎利浜産ではないにしても舎利石であるのは間違いはない。古語辞典に拠ればこれは今別と平舘で採れる舎利石に該当する。だからこれは舎利石である。ふむふむ。

 舎利母石を所持していた老人が、青森市の昭和大仏がある青龍寺に寄贈したとある。つまりは効力を得るには昭和大仏でお経を唱えてもらえば良いということも分かった。ネット上で情報を得ているハイカラなお坊さんであれば、当然ながらここにも行き着くだろう。そこからのアプローチを待って、交渉。そこに預けてお経を唱えてもらったものから幾つかを送ってもらうことでギブアンドテイクとするか。

 では、せっせこ集めた舎利石じゃなかった代替品の代用品(つまり舎利石モドキ)はどうすんべぇ・・・ということにもなる。これはこれでコレクターアイテムとしても価値はゼロではない。少なくとも舎利石の要素を微塵も満たしていないものを舎利石といってオークションに出しているケースよりはよほど価値がある。ツルテカなやつはどんぶり1杯持ってる。

 さてさて・・・続くかも知れない。

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