2019年3月17日日曜日

袰月海雲洞釈迦堂・舎利浜より直線300mで舎利石を発見!


 三度やってきました「一本木の舎利浜」ですが、山崎地区に行く前に調べたいことがあってここら一帯の浜を調べてみた。

←西端   舎利浜地区を端から端まで探索してみた。  東端→
端から端まで距離にして1,300メートル。2時間ほどかけて波打ち際を散策。

 護岸工事や防波堤、消波ブロックで舎利浜が全滅ではあるも、波の打ち寄せる隙間がある。現地にて湾の端から端まで歩けばそれが見える。
 目に見える物理現象から作用を考える理系の脳味噌なら特段難しいことではない。津波のシュミレーターを見たことがあるなら、あれをリアルで想像することでその隙間は見える。 あとは、その作用を受ける場所には波による侵食が見られるので、その付近に堆積するのではないかと推測してみた。

これ、そのまんま置いてきた。サンゴっぽいのは持ってくればよかったかなぁ・・・
2時間でこれっぽっち・・・こりゃ舎利浜で瑪瑙探しはほぼ無理で、オークションに出回っているこれと似たような偽舎利石も、今別町山崎中宇田で採ったただの屑石であると確信できる。

 でも、人と同じことをやらないのが自分。普通、そこは探さないだろうという所に入り込んでみる・・・ふっふっふ・・・(おっと失礼)

これが本物の舎利石である。文句なんぞ付けようがない。舎利浜で拾った舎利石。
探し始めて10分。案の定その岩の陰には砂利が堆積しており、特大1個。大豆ほどの2個。小豆ほどの1個を授かった。しかもこの特大サイズの風合いは個人的に好みだ。まさに宝として申し分なし。光ってはいないがこの堂々とした姿には何か感じるものがある。普段から身につけておくにはどうしようか考えさせられる。穴は開けたくないし。

 知人の言葉を借りるなら石は授かるものである。舎利石というものを知り、通い詰め、文献と写真を読み漁り、現地の地形を読み、這いつくばって探すこと2ヶ月。本物の舎利石の特徴を調べて1週間。宝探しという目的は達した。

 これで私も紛うかた無き舎利石収集者である。入手困難と言われた舎利浜での舎利石拾いは、別の視点からの観察と実行により目的を達成していることがその証明。


 ひとつ、仮説を立てようか。

 消波ブロックは作って運ぶよりも、現地に金型を持っていって、現地で作ることが普通だそうだ。とすればどうだろう。もしやここの護岸や消波ブロック、防波堤の砂利や砂ってさ・・・舎利石がめちゃくちゃ混じってるんじゃないの?。

 と思って探索してみると・・・

舎利石特有の凹みが3つ見えているね。形状はハッキリ分からないけど、これも舎利石だよ。

 ああ、やっぱりですか・・・これは相当量の舎利石がここらのコンクリートに混じってるんだろうね。だって、このコンクリに使用されている砂利の組成が、ここらへんの砂利の組成と同じなんだから。


 アホだね、バカだね、残念だねー・・・消波ブロック1個のお値段が下手すると時価にして数百万~数千万の価値があるんじゃないかな。

 ちなみに道の駅いまべつの売店では2~3ミリほどの舎利石が1粒=1,000円。開眼させていないものだろうけど、願いが叶う的大袈裟な売り文句が書かれていたぞ。真言宗の寺に持っていってお経でも読ませたんですか?それ。

 自分が浜に打ち上げられた舎利石を拾い集めた数451

 これは海底にある舎利母石が波と砂利の侵食を受けて剥がれ落ち、海岸に打ち寄せられたもの。形成過程とその姿は舎利石の特徴と合致する。ただし、舎利浜産ではないが、いま、オークションや通販で出回っている大半が舎利浜で採れたものではないことは分かったし、その姿は似ても似つかない偽物であるから価値としてはこちらの方が遥かに上である。

 見栄えが良い瑪瑙の粒は既に2千を簡単に超える。屑石まで数えるとたぶんその5倍以上倍じゃないかと。確率を上げるためには数を拾う。後からきちんと鑑定するとその中には確かに舎利石である痕跡のあるものが含まれている。特徴はこのブログの前のものに多数の「舎利石的特徴の分かるマクロ撮影」を多数用意しているので参考にしてほしい。

 この1月下旬から3月中旬まで行なった舎利石探しはそろそろ終わりとしよう。ただ、舎利母石探しはライフワークとして今後も続く。舎利浜で拾った大粒の舎利石は非常に希少であるから譲渡には応じられないが、その近辺(袰月海雲洞釈迦堂から半径2km以上4km以内)のものは応相談で応じることにする。

 なにせ、その451粒は真冬の津軽海峡の沿岸でずぶ濡れになりながら拾った数千の瑪瑙の粒から選別した舎利石なので、例え一般人の十数倍の効率で拾える自分でもそれなりに苦労しているし、青森市からの往復にかかるガソリン代も半端ない。
 収集にかけた時間も百数十時間。劣悪な環境下での作業であり危険手当と交通費と考えれば、自分で交通費をかけて探しに行って空振りということを考えればそれでも安いと思える価格での応相談。

 ただし、これがあれば願いは叶うとか大袈裟なことは絶対に言わない。1粒1万円!とか馬鹿な値段もふっかけない。これは舎利石であってもきちんとした儀式やお経も読み聞かせていない、開眼していないただの石ころである。(舎利石の知識を得る元となったサイトへの感謝も含めてここは重要な要素として言い切る)

 そんな石ころを個人が石に向かってお願いしたりお経のテープを聞かせたり、何かを唱えたところでこれが仏舎利になることはない。仏舎利としての功徳を得るのはきちんとした過程(工程)が必要なことだそうだ。(ネットでお坊さんもそう言ってるし)

 だから貴方は割に合う価格で手に入れられると思う。バカな値段もふっかけない。石も1個じゃ寂しいだろうから鑑定の結果、舎利石ではなかった綺麗な瑪瑙もおまけで何個か付けよう。パワーストーン的にはさざれ石で浄化するってよく言うじゃない。だからオマケはさざれ石としての意味で付属する。

 さあ、貴方はこの石ころにどんな価値を見出すのかな?。まあ、高く買い取ってくれる人が居れば、多趣味である自分の今後の趣味や生活レベルの向上で、何かまたとんでもない趣味に走って誰かが得をするということはあるだろう。

舎利浜で拾った15ミリの大きな舎利石。光ってはないが風格は素晴らしい。
これは授かりものなので100万円でも売らないぞぉ!!!

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