寝て起きたら遠く南の地より今別に舎利石拾いに来た石ころさんの成果がブログにアップされていた。
まだ数えるほどの採取回数の割に、十分な数量を確保したようで安心する。
直接会ったことが無いのだが、ガーネット採取の超上級者だけに心配は要らなさそうだ。
丁度、オラと入れ替わりで来てたみたいで、お会いできず残念。
石拾いを続けていたらいつか会うこともあるでしょう。
輝石集めが趣味という人はそれなりに存在しても、リアルのフィールド上での石ころ拾いという趣味は絶対数が少ないので、そういう機会もある。
普段の生活の中で輝石は癒やしを与えてくれるアイテムで、加工された石の美しさを鑑賞するのは宝石類。一般的に装飾品として浸透している。これはジェリーショップで買う人の事。宝石が嫌いな人は少ないだろう特に女性は。
お手軽なのはパワーストーンショップ。準宝石類も多く、値段も安くビーズやタンブル。欠片や原石を眺める。ブレスレットやルースとして身に付ける人。これは女性の方が圧倒的に多いだろうけど、男性もそれなりに身に着けている。お守りだったり、運気アップだったり、魔除けや邪気払いだったり。
そして、オラのような原石を現地に探したり、生まれを調べて解説したり、徹底的に特徴を調査・理解して、探し方を工夫した超速採取に至る人。
それぞれに価値観や想いの違い。求める方向性の違いこそあれ、地球が生み出す奇跡という結果の輝石の誕生に感謝。
輝石の状態には好みがある。美しいカットがされた状態の物。シンプルな加工がされた石そのものの色や風合い、断面が分かる程度のもの。原石のみが持つ自然なままの美しさに惹かれるもの。
オラ的には原石とシンプルな加工のものに惹かれる。
宝石や準宝石、岩石や結晶体。地球活動の結果としてのこれら輝石には、それが生まれる過程を見聞きし想像することで魅力が増すものも多い。
舎利石もそうだ。例のサイトでは軽く説明しているが、実際はそのタイミングの偶然性が重要な事もある。アレで納得できる人は、なぜ光沢が出るのか理解できた人。何故光るのかわからない人は、輝石が自然のままで何故に全体に光沢が出やすいのか結晶構造が見えていない人。
どうして?、何故?、どうなったらそうなるの?という人が居るけど、普通はこうでこれはこうだからこうなったという違いの物理的な。或いは科学的な根拠がある。外面と内面の見方の違いということ。
オラにはオラを定義付ける1つの方向性がある。他の人から見て変な人である事は自覚があるし、それをプラスと考えている。
一見して方向性が無いように見えても、実は多方面の趣味には相乗効果があるものを選んでいる。
多数派は一人ひとりが目立たない。少数派は黙っていても目立つ。極めれば後発でもその筋の人に成れる。単一よりも複数の知識があれば融合できる。考えるだけより実際にやってみれば思考と実際のズレが解るし、修正が楽だ。繰り返せばバージョンアップする。いずれ早かれ遅かれ壁にぶつかる。突破できれば極められる。自分というハードウェアは変わらずともソフトウェアはどんどん進化する。
思考であるソフトウェアを進化させると同時に、自分の根本を動かすBIOSのファームアップにも1つの指針がある。
宗教と科学は近いところにあるという。バカと天才は紙一重にも通ずるものがある。バカも極めれば一流。バカにも方向性があるけど、それはその馬鹿な行いに価値があるか否かにも寄る。
あとはその馬鹿な行為が出来るか、しないかの壁の突破ができる人、できない人。能力の有無か、それとも思い切りの有無か。躊躇するか、吹っ切れているか、我が道を往く勇者か愚者か。
多数派の人と同じであることに安心を感じるか、ごく少数派で在ることに誇りがあるか。
普通はやらない。普通ならできないとでは意味が違う。やれるのにしないのか、やれるかもしれないのにしないのか。
常に普通であることに固執するか、常に普通で在ることを嫌うか。前者に伸びはない。後者には常人を超え続ける余地が常にある。
気づかない人。常に気づきがある人。
普通に満足できる人。満足できない人。
文句だけ言う人。自分ならこうすると言える人。
仕事だけに生きる人。仕事と趣味を両立する人。仕事は趣味に掛かる費用を捻出する為の手段とする人。趣味を仕事として生業にしている人。
いま、自分に満足できないなら、普段と違うことをしてみよう。先ずは自分に向いている事から始めてみよう。極めてみよう。自分の壁を超えてみよう。別のカテゴリに挑戦してみよう。もっと視野を広げてみよう。いくつもの壁を突破してみよう。
思考と知識と体力は徐々に付く。壁を超え続けられれば加速度的に成長する。若いほど顕著に成果は出ると思う。
気づきは閃きであり、それは新しい発見に繋がる。試す。結果との違いを比べる。自分の中で誤差を埋める。また試す。埋める。試す。
面白いと感じるか苦痛と感じるか。ワクワクするかしないか。
オラはワクワクするねぇ。これがボケない為の思考であるとも知っている。
考えるだけならボケはしないが肉体は衰える。だから出掛ける。全身を使って作業する。体のコントロールをバージョンアップする。怪我をし難くなる。筋肉も増える。肉体的にも衰えは遅くなる。
酷使し過ぎてガタは来るけど無理をしないと筋肉は増えないし関節の可動域も狭くなる。齢五十を過ぎても柔軟性とパワーでは負けんぞ。あと、頭脳もね。
生涯現役でいるために。
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