2023年7月18日火曜日

精神疾患の症状など興味深い記事。我々は何かしらの心のビョーキを抱えていると思う。

 GIGAZINEの記事だが、本記事とその下の関連記事に興味深いものが多かったのでメモ代わりに書き留めておく。

ま、人間誰しもが何らかの精神疾患を抱えていると思えばある意味で納得であり、そもそもまともな人間など誰ひとり居ない。それぞれ個性だと思えば納得も諦めもつくし世界は平和になれるのかも。

ロシアのプーチンだって被害妄想が暴走しているただの老害で精神疾患なのかもしれないし、それを許しているロシア国民もある意味で支配されることで安心するビョーキなのかもね。中国や韓国の日本批判もビョーキだし、老人政治家の先送り病もビョーキだろう。

ま、そんな事を書いてるオラも何らかのビョーキかもしれない訳で、ビョーキであると仮定すれば、最近のオラがおかしいというのもある意味で納得だ。あ、かといって何か悪事をするつもりはない。肉体のリミッターは簡単に外せるが、精神のリミッターは善悪の区別と、誰も見ていなくてもセーフ/アウトの判定はあるし、強固にロックが掛かっている。精神面でロックが外れるのは理不尽に遭ったときだけ。

この世の大半の人は自分は正常で、みんなと同じで自分は浮いていないし、仲間はずれでも無いし、世間から排除される筈もないと皆と同じであろうとするビョーキだとすれば、自分で自分の個性を殺すビョーキとも言える。マスコミが作り出した流行に乗っかって貴重な時間を浪費する行列を作るビョーキは有名だ。

どんな精神疾患でも、それが無害ならそれはビョーキとしては思われない訳で、周りに被害を発生させたり、自分さえ良ければとやりたい放題で短絡的になるのはビョーキなのかもね。区別は他者への被害の有無だけで判断すればそうだけど。

妄想癖って誰にでもあると思う。こうでありたい。こうなったら良いな。自分は特別な人間だ。自分は超能力者だ。自分は要らない人間だ。自分はパーフェクトな人間だ。どれもビョーキかも知れないし、そうとも言えないのかも。

自分基準の判断と他人基準の判断が違うだけで、自分にとっては正常で、他人にとっは異常であることなんて、日常的に見聞きしているでしょう。


話は脱線してしまうが、自分にはそれが普通であり事実でも、他人にとってそれが到底理解できない現象でこの世の物理法則にそぐわないこともあると思う。オカルトやスピリチアルな分野では有り得るんだろうけど、その分野って科学では証明されていないので非科学的と両断されてしまうのだと思う。

ほら、超能力って自分の中では現実だけど、他人から見れば不可解で説明の付かないものであるし、基本的に超能力って現代ではまだまだありえないもののなかの1つなのであくまでもSFやファンタジーな物語の中だけのことだ。

でも憧れているのは事実だけど、実際にそれを使う人間が居たら脅威だよね。きっと力が強いとか心を読まれるとかは怖いだろうし、何も力を持たない大多数から見れば異物であって、多くの小説やアニメのなかでは排除される側に入る。一部のスーパーヒーローモノなんてのは普通の人にとって利益があるから受け入れられるのであって、平和なほど不要なものだし。そういう超能力を持ったヒーローは社会が巨大な悪のリスクを受けそうな時に都合よく誕生する。

こういった自分より優れた能力を持つ人間を異物扱いするか、ヨイショして頑張らせるかの違いはあるけど、日本の場合は出る杭は打たれるの方なんだよね。で、当たり障りのない人が昇進することで特徴のない人が偉くなるというシステム。エジソンが有名でテスラは認知度が低い。エジソンより遥かに凄い人なのにね。

日本は褒めて伸ばすのが苦手な感じがするね。これもある意味でビョーキかもしれない。

あと、無能なのに権力が支配欲が強いビョーキ。利権に拘るビョーキ。無駄なことが大好きなビョーキ。シンプルなことを複雑にしたがるビョーキ。検討が大好きで本題から脱線するビョーキ。

そう考えるとやはり世の中はビョーキだらけだ。つまり、みんなビョーキだからオラもビョーキで皆と同じにビョーキだから普通だと思える。

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