東京や大阪などの大都市はハブ以上の役割を与えないほうが良いのでは。
知ったら全員が絶句する…「日本人の日常」を破壊する「超巨大災害」の悲惨すぎる実態
ド田舎が大好きなオラとしては、群れるのを嫌い、人混みそのものが酔うので近寄らない。
大都市が便利であるのは充実した公共交通機関。競争が激しいことにより物が安い。美味しいものが沢山ある。何でも徒歩と交通機関で行ける範囲にあるということ。公共の施設が他の地方都市と比較しても圧倒的に多いこと。遊べる場所が多いこと。
ただ、大都市ほどオラが好きな自然は対象的に減るけどね。流行に興味もなければお洒落にも興味がない。話題にも興味がなく、行列にも興味がない。話題がなければ繋がれない現代人とは違って寂しがり屋でもない。オラは人間が作ったものではなく、自然が作り出したものを愛でるのが好きなのだ。
地震も津波も噴火も豪雨災害も自然のひとつの現象でしか無い。だから、災害そのものを日本人は本来は試練として受けてきた。自然災害も神の起こすもの。だからこその多神教である。いつから日本人はこれほど精神的に弱くなったのだろう。
自然に抗うなど何か個人ができることなど無いし、政府も地方自治体もただただ頭を抱えるだけで何もできずにその日を迎えるだろう。せめて自分の代で起きて欲しくないと願うだけで何もしないと思う。いや、何もしないというのは語弊か。何もできるわけがない。できるのは起きた後の対応と処理のみだ。
だって、切羽詰まらないと何もしないのが現代人だ。昔の人は待っていても始まらないから自分たちで何とかしていたでしょう?。現代人は推そらく戦後の昭和20年を忘れ去り、江戸時代のような200~300年前の人間よりも立ち直りが消極的であると思う。
諦めたら死があるのみの時代に生きる人ほど立ち直りが早い。余り物を持たない時代の人よりも、私財を多く持つ現代人のほうが失うものの多さ故に途方に暮れる。物を持たない人間は強い。
無秩序に歴史を積み重ねてきた統一性のない建築基準の建物が乱立しているのが大都市でしょ。何かに向かって一矢乱れず困難に立ち向かうということはもはや無理。場合に依ってはパニックを引き起こして自閉モードに入るのがオチ。
人も千差万別。今が良ければ良い。今の生活で一杯一杯だから特に何かできる余裕がない。そして何も考えておらず、何か起きれば政府と自治体が何とかしてくれる。自分たちは税金を収めているから備えるは自治体の仕事だと思っているだろう。個人が備えることは形だけで殆どは実がない。本当に2~3週間くらいの備蓄をしている人は僅かかと。物価高で備蓄する予算も無いだろうから、大きな災害があった後は防災への備えは流行っても、現代人は教訓を風化させることが得意だ。
単純に災害が大きくなるのは人口密集地。何もないところで大災害が起きても復興の必要もなく放置でしょ?。被害というのは人が作ったものが被害に遭うから被害金額が上がる。だから大都市に住んでいる人は、さっさと故郷に集団疎開すればいい。地震が起きる前にだ。今なら私財を失わずに済む。命も助かる。発生直後は故郷に帰ってきて良かったと安堵するだろう。便利な生活を捨てられるかは知らないけど。田舎もUターンで人も増えれば仕事も増える。
選ばなきゃそれなりに仕事はある。3Kと思われがちな第一次産業で働くことを嫌う人が多いというだけで、日々を地味に出社と帰宅を繰り返す方が無機質で無思考な仕事を選びがち。
国や行政が悩むだけで何もしないのは、地震や津波などの大災害は都市の再設計に必用な切っ掛けでおあるから。個別に土地の買収をする必用も無く、取り壊しは地震が行なうことで一瞬だ。せいぜい瓦礫撤去と整地、再区画。全壊しなくても使えなくなれば壊さざるを得ない。つまり纏まったエリアを瓦礫の山にしてくれる。何もしないというのはそういうことだ。自然に都市再生のリセットを委ねるということに過ぎない。
仮に都市直下型のM8~9レベルの地震災害が起きれば古い雑居ビルは全壊するだろうし、少なくとも耐震強度が高いビルでも外壁や骨組みが無事では済まされないと思う。特に大都市なら建物の傾斜は彼方此方で起こると思う。自分のビルが大丈夫でも、隣や向かいのビルが倒れて寄りかかってくれば耐震強度も関係ない。
つまり、強度が均一ではない雑多な建物の集まりでできたのが大都市というもの。単純に耐震性に問題のある建物だけ被害に遭うわけがない。災害発生後は人命優先。たとえ死体でも救助が優先という大前提があるので、人口密集地ほど捜索と救出に時間を要し、救助された人間で医療は震災直後に一瞬で崩壊。
道路などのインフラは倒壊した建物の残骸と、道路そのものの崩壊により使用できない状態になる。物流を舐めて掛かっている現代人は、何もかもが不足した社会では生きていけない。加えて地震はその後が怖い。
ガス漏れ、引火、爆発、広範囲の延焼。水道管破裂に液状化現象。地下施設空洞による陥没。実は山あり谷ありの東京都心。彼方此方で地滑りが起きる。地下施設は壊滅。掘ったら埋めろというのが普通だ。
壊れたものを直すよりも新しく作ったほうがマシ。
でも、また数十年、数百年、数千年後に同じことが起きる場所にわざわざ大都市を作るだろうか。よほどの馬鹿でもない限り少なくとも自然災害の影響が少ない場所を選ぶのではないだろうか。
大きな災害を生み出す場所には膨大なエネルギーが蓄積され滲み出ているとする。要するにパワースポットだ。そのエネルギーに人は呼び寄せられて自然と大規模な都市ができるのかもしれない。古い時代には大河の河口に文明が発生しているのだが、当然のように、河口なのだから水害や津波という脅威は避けられない。河口は地盤も緩いので液状化や地盤沈下も起きる。自然のエネルギーが集まる場所には人も集まるが災害による大被害は切り離せない。
もしかすると、そのエネルギーに群がる人間という種を、地球の意思そのものが人間ホイホイを作り出し、適当な時期を見計らって間引きしているのだとすると、ある意味で納得するのだけどね。
何せ、現状では人間という生物は地球の他の生物にとっては必要以上の消費をする害獣である。どれほど多くの種が人間によって絶滅させられて来たのか数えるのもアホらしいくらいの有害な生物だ。
であれば。
そのエネルギーの集まる場所を活動の場所として避ける必要があると思う。要するに地球が用意したパワースポットを敢えて「そんなエサに釣られないクマー!」と避けることで、自然災害による人類への被害を抑えられる。
同時に、パワースポットは自然のままに放置することで勝手に豊かな自然を取り戻せるのではと。仮にそのパワースポットが自然災害の被害に遭ったとしても、元々は自然は自然のままの方が回復も早いだろうと思う。被害が出てもそのままにすることで、復旧も不要。
現状では災害が起きると甚大な被害が出る場所に人間が集まりやすいって事なので、太平洋ベルト地帯とフォッサマグナに近い場所。津波が収束する湾に都市を作ることは避ける。
いっそのこと、メガフロートのほうが地震の直接被害も避けられるのではないかとまで思ったり。人が大地から離れない限り地震からは逃げられない。
多分ね。99.9%の人はその大災害を受けた時に初めて「故郷に帰っていれば良かった」と考えるでしょうね。一度でも便利を享受してしまうと、不便には戻れない。
不便を楽しんでるオラとしては、いっそのこと今のオラの生活基盤そのものが木っ端微塵に消えてくれたほうが身軽で良いとか思ってるけど。要するに生活レベルが中世くらいまで戻ったほうが余計な心配が少ない、ストレスフリーな生活を望めるんじゃないかと。
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