子供の頃は知識がないので夜に外を歩くと何かよく解らないものに襲われるという恐怖心はあったものだ。それに大人たちからお化けだ妖怪だと夜に出歩くと攫われるみたいなことを言われたもので、それが実在するものだと信じ込んで怖いという感情を煽ってたのだと思う。
成人を迎える頃にはそれらは嘘だと分かっているけど、まだまだ若いので友達と車で幽霊が出るトンネルだの心霊スポットを回ったものだ。今思うと若かったなと思うわけで、その頃でもまだ幽霊くらいは信じてたのだと思う。
さて、50をゆうに超えた現在であるが、過去に鬱でぶっ壊れ、吹っ切れて怖いもの無しになった上に、50を過ぎてからどうにも色んな疑問とかよく解らないものが何となく自分の中で答えが見つかったり納得してしまうと、それらが怖いものであるかどうかというよりも、単純な興味とか、真実を知りたくなるわけだ。
え?そんな奇特なのはオラだけってか?。まあ、そんなの個人差の問題であって、この図体でこの風貌で幽霊怖いとか妖怪怖いだのよりも、そんな怪異のほうが近寄らねーよ!とか言われるのだが、実際問題として半世紀も生きてりゃ自分の中での怖いものはかなり減って、怖いの方向性が変わっていくものだ。
むしろ、暗闇で出会ったら怖いものと言えばクマくらいだろう。そのクマでさえも夜中は木の上に寝床を作って寝てるらしいから夜中に出会うことはほぼ無いわけで、せいぜいネコとかタヌキとかの野生動物くらいだ。
それなりに目撃しているので幽霊が居ないとは思わないし、怪異には残念ながらまだ挨拶もしたことがない。異界に連れ去られるだの引っ張られるだのそんなのは心の在りようで被害にも遭うだろうし、逆に影響を受けにくいものだと思う。むしろ知識欲の大きな人間ほど機会があれば話してみたいとか思うのではないだろうか。
怪異への基本的なNG行為として「招き入れる」(家に入ることを許可する/ドアを開ける)とか「招かれる」(付いて行く)というものがあるが、「用があるならここで聞こうか」というスタンスなら問題なかろう。
中には「呼びかけに応えてはいけない」というものもあるけど、実際はどうなのだろう?。それだと話すこともNGとなるわけだが。単純に知性があるか無いかという判断もある。単純な言葉の繰り返しだと知性はなく、それに応えた。或いは答えた場合にのみ影響を受ける可能性がある。会話が成立しそうな場合はきちんと初対面の人間に対して人間らしく話しかけてくるのではないか。いづれにしても恐怖の余りに正常な判断ができない人はトラップにハマる危険が高いと思う。
正常な判断というのは正常な心理状態の場合に受け答えができる訳だが、そもそも「怪異(よく解らないもの)」に恐怖心があるか無いかでの違いもあるのではないか。現状で怖いもの無しのオラじゃ怪異が居るならバッチコーイ!な心理状態なわけで、それもこれも自分の中である程度の答えができている人間の場合は、正しくそれが何であるかを感覚で理解できると思っている。目測が誤っていて失敗したら失敗したで別に構わないとさえ思ってるのだから、怖いもの無しという状態は「別に何時死んでも構わない」とも同義とも言える。
かといってオラがこの世に未練が無いと言う訳でもない。単純に人間は自分の死ぬ時期や理由を決められない。自殺以外はね。そういう意味で交通事故と同じようなものと考えれば、まだ選択肢のあるシーンの方がダンプカーが正面衝突してくるケースよりもマシってことだよ。まさか、車に乗る人全員が「自分は対向車が突っ込んできて死ぬことはない」とかおめでたい考えじゃあるまい。
ある朝、起きること無く病気も何もなく穏やかに亡くなるってのはさほど多いとは思わないよ。そんな幸運ってどれだけの確率なんだろうね。車もない交通の便が悪かった時代じゃ暴れ馬に轢かれるくらいだったろうけど、現代社会じゃそれよりも遥かに高い確率で交通事故死ってのはあると思うよ。
それに比べたら怪異に引っ張られるとか、取り殺されるなんて確率は、海辺で寝てたら北朝鮮の工作員に拉致られるってことよりも圧倒的少数なわけで。飛行機事故のほうがまだ高いのではと想像する。
そんな自分がどういう死に方をするかなんて何万通りもありそうなのに対して、闇夜を歩いて死ぬような目に遭うってケースはほぼゼロに等しい。一般人ならともかく、夜目の効くオラにしてみれば用水路に落ちて溺死ってことはまず無い。真夜中に街灯もない場所を平気で歩けるのも、夜行性の動物でも平気なんだからオラが心配することでもない。
夜行性の動物が幽霊や怪異を恐れて夜に出歩かないなんて話も聞かないでしょうに。つまりはそういうこと。気付いてしまえば真夜中に月もない暗闇を歩いて死ぬケースってのは本人が余程のドジじゃない限り「有り得ない」ってこと。
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