2024年7月26日金曜日

人が思考停止に陥るのは自己解決能力を超えた時

フィクションとかは演出で人が動けないシーンをよく見る。

アニメにしろ、映画にしろだ。これは民族的なものもあるかもしれない。自然災害に慣れている日本人なら地震程度でパニックにならないけど、震度4で笑ってる日本人と震度3でパニックになる外国人の差みたいなものもあるだろう。

逆に、身近にクマとか闊歩している外国だと駆除も積極的ではないし、クマも比較的温厚だ。大抵は捕まえて放獣している。日本だと今やクマ騒ぎであっちの国の人が笑ってるかも知れない。

他にはフィクションが現実に成ったときとかもだよね。これは個人の知識やメンタルに関わると思う。一般人はパニックになるかもしれないが、そういうものの出てくる映画やアニメなんかではありふれている場合、定番の対処方法を試す余地があるのはフィクションが現実に成った時があるかもしれないという人種だけ。特にそういうオタクにしてみれば、逆にワクワクするかもしれない。現実を現実として受け入れられない人なら固まるだろうね。

大まかに分けて以下のものだろう。

 絶体絶命(ピンチ)のとき。

 不意を突かれたとき。

 寝起きで思考が正しく働いていないときなど。

 状況を認識できてはいるが、対処不可能と判断したとき。

 (無意味な抵抗と判断したとき)

多分、実際は演出ほどではないにしても多少はそうなるのだろうと思う。

でも、それが自分の死に直結しそうなピンチの時に固まっていたら死ぬのは確実になるし、即座に動くように自分自身を奮い立たせないと金縛り状態は解除できない。要するに「頭で解っていても体が動かない」というやつ。

状況対処能力というのは、分析能力、状況判断能力などの思考力。そして身体能力が高ければ高いほど早く確実になる。

そして、自分の中の想定外を次々と見つけてシミュレーションを行ない、想定外を潰すことで予定行動をとれるようにすれば思考停止は限りなくゼロにはできる。

恐れは正しい判断を誤らせる要素であり、時には根拠のない自信は次の行動を促すことにも繋がるのかも知れない。

何にしても、何もしないというのは何も解決しない訳で、何もしない分だけ自分が不利になるのは確実だからだ。あと、駄目で元々という思考ができるかも大事かな。ただ、無謀とは違う。きちんと考えての行動でなければならない。

ニュースでよくやってる事案や災害なんかでは、既に答えが用意されていても、無関心がその方法を獲得することを邪魔しているため、誤った行動をとりがちだ。

ギリギリを待つことも大事な時もあるし、ギリギリまで待っていると手詰まりになることもある。見極めというやつだ。この辺については予備知識と状況判断能力。分析能力。身体能力の全部が必要になる。手遅れになっても人命だけは守るという事も可能な場合もあるし、それが思いつかないことで助かる命も落とすことになる。

運だけではどうにも成らないことは、自分でその運を上げる努力をすべきではある。その行動を起こすのはあくまでも自分自身であり、自治体の指示が遅れて手遅れに成った例もあるのだから、人任せにせずに自分で自分の身を守る判断や準備は必要だということ。

クマ被害だ、異常気象だとか騒いでいるけど、どうしようもない事案もあるだろう。でも、ニュースで他地域の状況が報道されているのだから、自分がその立場になったらどうするかというくらいは自分で考えた方が良い。脳味噌は使うためにあるのであって、基本的には人間のスペックはさほど違いはない。違いが出るとしたら、これまでの自分がしてきたこと。しなかったことの積み重ねが今の自分だということ。

いざという時にいち早く動けるか。状況に対処できるだけの身体能力が残っているか。これから鍛えるのか。想定外をいくつ潰せるのか。それって全部自分の考えであって行動である。死んでしまってからその判断や行動を人のせいにしたところで何も変わらない。

考えるのもやるのも全部自分だ。人に任せたいのであれば任せろと言ってくれる人間をそばに置くしかあるまい。そしてそれに見合う対価を払うしか無いでしょ。今後はそういう個人的に自分を守ってくれるサービスとかも出てくるかもね。

世の中がどんどん物騒に成ればそうだし。突発的に強烈な災害だって起きる確率は上がってる。野生動物との接触も多発しているわけだし、身近に危険は山盛りだ。せめて自分が一人の時にそういった事態に巻き込まれたら、自分自身がいち早く判断して正しい行動をとれるようにしないと。

だから今の子供とかもそういった事を自分で考えるように大人が促す必要はある。切っ掛けを与えるだけで良い。関心のある子は自然と自分で学び取って育つし、無関心な子はさっさと事案に巻き込まれるだけだろう。そういうニュースを毎日見ている。

ちょっと考えれば解ることなのに。なんでこうも世の中の一般人ってのは自分が死ぬかもなんて微塵も考えてないのだろうね。

オラ自身は何でもとことんやり過ぎな傾向にあるけどね。大抵のことでは思考停止には至らないし、状況判断は早い。予兆があれば事前に行動をするし、決して無理はしないけど、待ってるだけでは状況が悪化するくらいなら強硬することを選ぶ。その見極めもかなりできる。そして無謀はしないし変に恐れたりもしないが、軽くみるような愚かさもない。

一番の馬鹿は解りきってる過ちを行なって死ぬこと。要するに死亡フラグとか風物死ってやつだ。法律を守れば死ぬことはないのであれば守るし。その場の勢いで川や海に飛び込んで死ぬ馬鹿もしない。誰にだって多少の違いはあるけど安全マージンというものがある。オラの場合はかなり危ないことでも安全に済ませるスキルも知識もある。だから馬鹿やって死ぬことはない。そもそも頑丈だからな。殺しても死なないんじゃないかとまで言われてるし。大抵の風物死亡フラグには対処方法はオラのなかで確立されている。何でだれも実践しないのだろうと思うくらい単純なことなのに。

考えることに慣れているか、普段余り積極的に難しいことを解決していない人の違いもあるのだろうと思うし、家庭環境によって思考パターンが複雑多岐になるか、無思慮になるかもあるのだと思う。親が馬鹿だと子供は早死するとオラは常に言ってるけどね。でも他所の大人がそれを教えば済む場合もあるのだろうが、何せ今は親切な声掛けも事件としてニュースになる時代だ。子供が馬鹿やってても普通の大人はスルーするだろうさ。声掛け事案とか嫌じゃんか。


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