2024年9月18日水曜日

その人の世界は認識できている範囲でしかない

 五感が優れていて、空間を掌握するという見方ができ、良くわからない何か(第六感の入口)を感じ取っているオラの認識している世界は全方位に広く深く多重である。完全ではない第六感ではあるが、識っていると全く識らないとでは凄い開きがある。それこそ普段の生活でメガネが必要な人と眼鏡が不要な人が裸眼で見ている世界のような違いがある。

 老眼で完全なる視力を発揮できないオラがそれまで見えていた世界が見えなくなると初めて裸眼では認知できない状態を知る。つまり見えていたものを識っているから見えない状態を初めて知るということだ。でも、識らない人が知ることなく今に至るのであれば、それは見えることがないので知る切っ掛けにも及ばないのだ。

 よく解らないものは認識の範囲外である。理解の範囲内は見えているとも言える。当然、認識すらできていない。見えていない故に感知せず意識の範囲外のある人は、自分が感知できている範囲内でしかモノを考えられない。

 ここまでは誰でも分かると思う。

 超有名なアニメで出てくる単語「自分だけの現実」というものがある。パーソナルリアリティーという言葉が使われている。これこそそれに当て嵌まるのではないか。他人に見えない世界を見えない人に伝えるのはとても難しい。見える、聞こえる、肌で感じる、臭いで感じる。舌で感じる。何かを感じる。自分にはあって第三者にはそれがない。

 特に、嗅いだことのない臭い。見たこともない物。聞いたこともない音。触ったことのない手触り。例えようのない気配。これらを他人と共有できるか。答えはできない。それを上手く伝えるにはそれ相応の説明が必要で、想像できないような感覚を想像させるために言葉の限りを尽くす必要がある。でも、受け手がその感受性を発揮できなければ、いくら説明が上手くても、それはやはり伝わらないのである。

 鋭敏すぎる感覚を持つが、それに悩ませられる人も居るだろうと思う。オラはその辺をON/OFFできる人間だ。ただ、パッシブな部分もあるので、OFFから強制的にONになることもある。感受すればONになる意識を故意に外せば再度OFFになるも、感受し続ければOFFにはならない。状態的にそれが続いているのであれば、それはフィルターでOFFにはできる。要するに「気にしない」というやつ。第六感に関してはまた別の影響を拒否するというような感覚が使えるかどうかである。

 感じているものを無かったことにするのは難しい。でも、全ては最終的に脳がそれをどのように受け取って、どのように本人が知覚するかの問題だけなので故意に無視するという方法は不可能ではない。

 これには日常生活に於いてできるできないがあること似ている。あることを理解するために必要なプロセスが未経験であると、それに対する答えが出てこない。感覚的に理解できないとどうにもならない部分はある。人間というものは体験や経験によってそれが何であるかを識って、それがどのような関わりを持つのかが分かる。でも、情報をどのように処理すれば良いのかを識らないと、次に進めないのだ。

 例えば津軽弁。津軽弁のプロトコルを持っていれば津軽弁は聞き取れるし、話そうと思えば話せる。プロトコルを持たなければ聞こえるのは言語であろう何かだ。日本人は授業で英語を習うので単語から言葉を推測して相手の意図を汲むことはできる。全くわからないということはない。ただ、流暢に話せと言われたら普通の人は英語に馴染みがないので話せないし、マシンガンのように英語で問い詰められても理解は難しい。そんな感じ。

 この言葉を解することと同じで、感覚も共有可能かと言われたら、やはりその感覚同士で共有はできないので言葉に頼るしか無い。でも、言葉にできないものはそもそも共有できない。オラが動物との意識共有のようなものをできると言っても、大半の人はそんなのできるわけ無いとか言うだろう。でも、動物が考えていることってわかりやすいぞ?。長いこと動物と互いに言いたいことを工夫しながらやりとりしているオラにしてみれば、言葉よりも環状というのは表に出る訳だから、それを汲めば良い。でも、それが分からない人には動物との意思疎通はできないと言うのだ。

 単に、意思を汲むという経験をしたことがないから分からないのであって、する努力をしてこなかった言い訳にしか聞こえないのだが。これを習得していると便利なのは、人間の環状も動物との会話のように感知できるので、些細な仕草でそれを汲み取れる。結構便利なスキルであり、目は口ほどにものを言うではないが、「ああ、なるほど」とオラは分かってしまう訳で、それはオラにとっては大したことのないスキル。

 でも、それを使えるからこそ、山で動物に遭っても双方に衝突が起こらないのもまた事実。クマが逃げるのだって、こちらが何もしない意思表示をしているから、余裕で距離を取れるだけ。向こうがこちらに一撃食らわしてその隙に逃げるという手間がない。だからオラとクマが出会っても、クマが逃げる(距離をとる)ことができる。単に第三者が見ればそれは逃げていることになるが、実は、オラが無関心をクマに伝えてクマに立ち去るように仕向けているだけに過ぎない。

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