ついでに書いておこう。
芯のある人間とそうではない人間の違い。
芯とはその人の精神の根底にある絶対的なポリシーであると思う。
これが太い人間は、多分、何があっても悪いことはしないと思う。
この芯がグニャグニャと柔らかい人は、ちょっとした事で悪い事を起こしてしまう。
万引きしかり、横領しかり、拾った財布を届けないとかそんな日常にありそうなちょっとしたことで、心が揺らぐ人間の事だ。
基本的に、誰かが困るだろうと思うことを絶対にしないという芯が強い人間は、いま、この日本にはまだまだ多いだろう。
隠れてすることについて他人が知り得ない部分。そういったところでの悪事を罪悪も感じずに平然とやれる人間もまた潜在的は少なくは無いと思う。
良い意味で芯のある人間で居られるが、時にはこの芯が、世間一般の悪い大人の使う「大人になりきれていない」という弊害もあるのは自分でも分かっているつもりだ。
「悪い事を悪いと言った人間が悪くなる共同体の中に居ることでそれを知ることができる」というのは、事実である。これを読んだ大人になる前の人間に言いたい。「大人には奇麗事だけではなれない」とも言えるが、「それを変える事ができるのも、君たち子供の役割である」と言いたい。
ただ、悪い事を悪いと教える大人が周りに居ない環境で育つと、それが悪い事なのかどうかを学ぶ機会を失っているとも言える。
昔は、近所でも何処でも、大人は絶対であり、悪い事をすれば誰の子供であろうと叱られ叩かれた。
オラは良い時代に生まれたが、周りの人が全てそうかと言われたらそうとはいえない。
それは非常に残念な事だと・・・
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