その土地に居られる神様というか、高次元の存在を感じることはあるか。
格式高い神社で何か神々しいものを感じるとかではなくて、そこに感じる自分以外の何か。
化物語という小説でいうところの「神様なんて何処にでも居るし、何処にも居ない」的な感覚が分かるかというのが近いのかな。そこに在ると感じることができれば在るし、無ければ無いとも言える。
もちろん、こういう場合は一人でその場所に立ってみると分かりやすい。
地上で宇宙を感じたいときに明かりの無い場所に一人突っ立って空を仰ぐような感覚。吸い込まれそうで落ちそうな感覚。空はそんな目に見える速度で動いていないのに、じっと立っていることさえできない揺らぎのような感覚。何も無いのに自分がそれに流される感覚。
オラみたいに何か出そうな場所にわざわざ一人で乗り込んで一人でガクブルしたり、雨の中の山中に身を置いて
周り全部の存在の中にポツンと在る自分という存在を差し引いたときに生じる差分みたいなもの。確かに在るのだが確かめようもないもの。
目に見えるものと、そうでないもの。物理的にそこにあるものと、そうでないもの。五感以外で感じる何か。
周りが在って、自分が在って、自分がそこに在るが自分はその場所にただ在るだけで、自分をその場の気配に同化した時に生じる不確かな存在。
夜に黒い服を着ている人を早期発見することは人身事故防止に繋がる。でも暗闇に黒い服を着ている人をどうやって早期発見するかという問題をオラは既に解決している。
上記で書いたとおり。黒い服の人を見つけるのではない。周囲の僅かな光の中にある人間の黒いシルエットを探すのである。つまり、物体を見るのではなく、物体が作る影から実体を認識するのである。
ナニを電波なこと言ってやがるんだこの馬鹿クマーとか言われそうだが、 オラの視力は異常視力だから見えないものが稀に見えるわけで、危険に色が付いていたり、場に圧迫感を感じたり、耳が目の代わりとなって後ろに目が在るかのうように周囲の存在を感知したりするのは別に特殊な能力でも何でもない。
武術の達人であれば後ろに目があるかのように耳が目の代わりにもなるし、気配というものに鋭敏になる。
幼少期から山に馴染んでいるオラにとっては耳が目の代わりにもなるし、些細な音にも反応するし、その音源が何か。その音源の位置や距離までもおおよそ分かってしまう。
その物理的現象によって発生する音や空気の振動、肌に感じる感覚を、その場に在る全ての存在と気配から差し引いたとき、それはそこに在るかのうように在るのだ。
オラは一人で山に入るとき、独り言を言う。山に挨拶したり、山菜を恵んでくださいとか、大量に採れたときは感謝の言葉をする。神社形式で礼をすることもある。そして、まずその場に生えている食べられる草(山菜があればそれ)を食べる。その場にあるものを口にすることで、自分をその場に馴染ませるという意味でよくやることだ。
田代元湯のように殆ど隔絶された空間に居るとき。特に早朝だったり、今日のように小雨が降りしきる中でもいい。自分以外の何者も居ないような場所に出向くと、見えない何かを感じる。それがその土地にある何かなのだろうと思う。
今日は一人だったので、元湯に行く前にコンビニ寄ってお神酒と日本酒を購入。掃除をしてから回りに酒を撒き、湧き出し口にあるあのでかい岩にもお神酒を上げてきた。だから今日は行きよりも帰りの体調がとても良かった。
いまもすこぶる快調で、さっき夜空を見上げたときも星がハッキリクッキリ見えたし、夜風に当たっても咳も出ない。あれだけ歩いたのに筋肉痛も大したことが無く、お腹の調子もいい。
藪を漕いでいるときにウインドブレーカーを貫通した枝による傷も塞がったし、化膿の気配も無い。
病は気からというが ヾ(≧(∀)≦)シ 病は悪霊の仕業という時代もあったんだぞ!
つまりそういうことだ。 そういうことなんだよ!w
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