知ってて当然のルールを守らず、後の人のことを考えず自分だけ楽しければ良い人々。
オラは流行には興味がなく、大勢でワイワイが苦手。皆がそっぽ向いてるものを好んでやり、どうせやるなら面倒すら楽しむ。
一応はそれなりに調べてから躊躇なく実行に移り、不勉強は繰り返しで修整し我流で楽しんで道具は最低限。
足りない物は知恵で補う。それなりに幼少期より爺臭い趣味を満喫しており、変わり者は物心ついたときからだ。
今流行ってるアウトドアとか、ビーチコーミングとかは、そんな単語が世間に知られる前からやってた。手先が起用で道具は最低限で実際に色々とやって来ているので、今では安く道具が買えるし、やろうと思えば経験値ゼロでもそれなりに何でもできる。
オラにとっては身一つでどこか無人島に放り出されてもたのしむだろうね。知識は無駄にならないし、想定出来る事は概ね想定内だ。簡単には想定外なんて逃げは使わないようにしてる。だって、考えたら有り得ることって想定外じゃなくて、想像が貧弱だったって事だから。
ただ、想定できてもどうしようも無い事がある事も知ってる。残るは耐えるとか、根性論の世界だ。
忍耐力はあるし、最終的には肉体的な強さが物を言う。筋肉万歳である。
昔は色々と敏感で実害があった件も、今では影響を受けないくらいにコントロールもできているようだ。
これも結局は克服とか、知って理解して影響を最小限にしたり、むしろ積極的に実害を受けて耐性を付けたって言い方が正しいのかも。無論、影響は今でもあるし感じ取れるけど、影響をスルーするという方法も直感的に出来る。
何事も一朝一夕には行かないな。それなりに苦労もしたし、恐怖が無い事も無いが、最終手段の「気の所為だ、うん、そうだ」で気の所為にも出来る。
取り敢えず、記憶のある年齢から半世紀生きて来たが色々とやったもんだと思うね。
にわかで済ます事もできた遊びや趣味、実技も沢山あるけど、結局はそれで済まなかったから今の自分があるって事だ。
全ては生存確率を上げることに帰結しちゃってるところが笑える。無意識にチョイスしちゃってるよ。
だから全てが無駄ではなく、全ては複雑に絡まり合って複合スキルとして身になっている。
現状で満足する部分。妥協とも言うが、妥協は必要最低限の結果を出せれば良い。例えば快適に寝る。上質な睡眠という物は金を掛けず、ちょっとの工夫でどうとでもなるって事だ。
反対に、それ以上の事が可能で、面倒を愉しめばそれ以上の事が確実な場合は妥協の必要は無い。例えば一度入るだけの湯船をお湯が湧いてる所に穴を掘って作るよりも、次の人が少し手間を掛けることで満足できるように立派な露天風呂を労力を惜しまず、スキルを無駄遣いしてまで作り上げる場合とかの話。
そこで実績を作れば、なにか残せるでしょ。やり甲斐もある。楽しい。後から「ああ、それ。オラが犯人です」って言えるでしょ。仕事でも結構なスキルの無駄遣いをやってる。だから青森支店の○○(本名)さんは有名人なのだ。
何か始めるととことんまで。飽きるまで。或いは、それ以上の事が望めない場合。或いはそれ以上は無駄な労力であると悟るまではやる。そこに至る時点で既にそのスキルは、現時点での到達点。満足して継ぎのことが始められる。
時間は無限では無い。オラもいつかは寿命が来るだろう。でも、始めることが楽しいし、続けることも楽しくて、上達する事が喜びで、究極までやろうとする内は時間を忘れる。気づくと爺さんになってるだろうけど、にわかで終わるものは最初から手を出さず、それなりに人並みかそれ以上で満足して次に移行するものも出てくるかもしれない。
でも、絶対に妥協しちゃいけないのは、やるからには極めてみたいって信念かもね。
人間の記憶や知識ってどこに在るんだろうね。脳にあるってのは普通の考えなんだろうけど、脳に無くて自分という人間はただの器であって、記憶や知識や心って臓器として存在して無かったらとか考えることもある。では、性格を決めるのはどこに在るんだろうね。オラは器としての肉体に在るんだと思う。だって、性格によって肉体って変化するでしょ。だから、にわかで終わる人は熱しやすく冷めやすい器に入ってるのかも。
逆に、何かに強い執着がある人は、それを成すために必要な器をずーーーっと育ててるし、その器はきっとそういう形や見た目をしているのだと思う。
人の器って、見た目に出るじゃん。濃い人、薄い人も見れば表面に現れてる事が多い。
逆にその筋の人って器に刻み込まれているから、雰囲気に出るほどの異形になってると思うよ。存在感も結局は器にある訳だし、濃い人って実際の大きさよりも大きく見えるらしいよ。
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