今晩は風が強い
撮影できないジャマイカ
「大根の葉をもらいに」94歳の男性 畑でホイールローダーにひかれ死亡 青森県東通村
なんぼ、きさわりいニュースだんず?。
この爺様が他所の畑に勝手に入って捨てられる葉っぱ貰いに勝手に勝手に入って勝手に轢かれてしまったというやつ。除雪でもなんでもさ、大型フォークとかホイールローダーの後ろから近づくとさ、プチっと内臓破裂するぞ?。車重どんだけあると思ってる?。運転席から後方なんて見えにくいし、近づく方は見えてるかもだけど、運転手には見えないんだよ。
この爺様。
多分さ、大根の葉っぱを干して産直か何かで売ったり自宅で食う分を、大量に大根っ葉が出る近所の農業法人の畑に貰いに行ったんじゃね?。
爺様は生活や生活費の足しの小遣い稼ぎということなんだろうさ。これはこれで老後の安心を国が台無しにしやがったツケを払わされている国民という図式で爺様は可愛そうだとは思うけど、状況だけ見れば不法侵入の爺様。たかだか大根っ葉貰いに命がけ。ローダーで轢いちゃった人はトラウマ。ご愁傷さまです。
物理攻撃が通じる。
いまさっき、PC操作中に後ろから覗き込むように影が覆いかぶさったんだけど。
どうにもまた敏感になって来てる模様。
ただ、感覚が最大値になってたとしても、対抗力・抵抗力もそれなりに高いようなので特段何もオラ自身に影響を及ぼしていないってだけ。
あ、厨二病的何かじゃないから。これって人に依っては全く見えないし感じ取れないものなので、きちんとした霊感のある人には色々と見えているのかもしれない。
知らんけど。
この「知らんけど」だけどさ、オラは微弱な方なんで、あからさまに見えるとか触れるとかできる人の感覚がわからん訳。当然ながらこれは普通に分かるわけがない。分かる人同士にしか分からない感覚ってのは、大した適正のないオラには理解できんってこと。
別にそれを悔しいとも羨ましいとも思わない。見える人、触れる人にはそれぞれの苦労はあると思うよ。
少なくともオラに何かを伝えたい何かがオラの深層心理に影響を与えて「虫の知らせ」としてオラが認識しリスク回避しているので、オラはそれで十分なわけ。この感覚が多分、テレパシー的に動物と目で会話しちゃってる感覚器官なのだろうと思うよ。
初対面のカラスが正面でメンチ切ってくるのも、オラが縄張りに入ってきた同類と思ってるかもしれないし、カラスにオラがどう見えているのかも知らないし興味がない。オラにはオラが見える世界しか識ることができないからだ。
五感が優れていて、空間を掌握するという見方ができ、良くわからない何か(第六感の入口)を感じ取っているオラの認識している世界は全方位に広く深く多重である。完全ではない第六感ではあるが、識っていると全く識らないとでは凄い開きがある。それこそ普段の生活でメガネが必要な人と眼鏡が不要な人が裸眼で見ている世界のような違いがある。
老眼で完全なる視力を発揮できないオラがそれまで見えていた世界が見えなくなると初めて裸眼では認知できない状態を知る。つまり見えていたものを識っているから見えない状態を初めて知るということだ。でも、識らない人が知ることなく今に至るのであれば、それは見えることがないので知る切っ掛けにも及ばないのだ。
よく解らないものは認識の範囲外である。理解の範囲内は見えているとも言える。当然、認識すらできていない。見えていない故に感知せず意識の範囲外のある人は、自分が感知できている範囲内でしかモノを考えられない。
ここまでは誰でも分かると思う。
超有名なアニメで出てくる単語「自分だけの現実」というものがある。パーソナルリアリティーという言葉が使われている。これこそそれに当て嵌まるのではないか。他人に見えない世界を見えない人に伝えるのはとても難しい。見える、聞こえる、肌で感じる、臭いで感じる。舌で感じる。何かを感じる。自分にはあって第三者にはそれがない。
特に、嗅いだことのない臭い。見たこともない物。聞いたこともない音。触ったことのない手触り。例えようのない気配。これらを他人と共有できるか。答えはできない。それを上手く伝えるにはそれ相応の説明が必要で、想像できないような感覚を想像させるために言葉の限りを尽くす必要がある。でも、受け手がその感受性を発揮できなければ、いくら説明が上手くても、それはやはり伝わらないのである。
鋭敏すぎる感覚を持つが、それに悩ませられる人も居るだろうと思う。オラはその辺をON/OFFできる人間だ。ただ、パッシブな部分もあるので、OFFから強制的にONになることもある。感受すればONになる意識を故意に外せば再度OFFになるも、感受し続ければOFFにはならない。状態的にそれが続いているのであれば、それはフィルターでOFFにはできる。要するに「気にしない」というやつ。第六感に関してはまた別の影響を拒否するというような感覚が使えるかどうかである。
感じているものを無かったことにするのは難しい。でも、全ては最終的に脳がそれをどのように受け取って、どのように本人が知覚するかの問題だけなので故意に無視するという方法は不可能ではない。
これには日常生活に於いてできるできないがあること似ている。あることを理解するために必要なプロセスが未経験であると、それに対する答えが出てこない。感覚的に理解できないとどうにもならない部分はある。人間というものは体験や経験によってそれが何であるかを識って、それがどのような関わりを持つのかが分かる。でも、情報をどのように処理すれば良いのかを識らないと、次に進めないのだ。
例えば津軽弁。津軽弁のプロトコルを持っていれば津軽弁は聞き取れるし、話そうと思えば話せる。プロトコルを持たなければ聞こえるのは言語であろう何かだ。日本人は授業で英語を習うので単語から言葉を推測して相手の意図を汲むことはできる。全くわからないということはない。ただ、流暢に話せと言われたら普通の人は英語に馴染みがないので話せないし、マシンガンのように英語で問い詰められても理解は難しい。そんな感じ。
この言葉を解することと同じで、感覚も共有可能かと言われたら、やはりその感覚同士で共有はできないので言葉に頼るしか無い。でも、言葉にできないものはそもそも共有できない。オラが動物との意識共有のようなものをできると言っても、大半の人はそんなのできるわけ無いとか言うだろう。でも、動物が考えていることってわかりやすいぞ?。長いこと動物と互いに言いたいことを工夫しながらやりとりしているオラにしてみれば、言葉よりも環状というのは表に出る訳だから、それを汲めば良い。でも、それが分からない人には動物との意思疎通はできないと言うのだ。
単に、意思を汲むという経験をしたことがないから分からないのであって、する努力をしてこなかった言い訳にしか聞こえないのだが。これを習得していると便利なのは、人間の環状も動物との会話のように感知できるので、些細な仕草でそれを汲み取れる。結構便利なスキルであり、目は口ほどにものを言うではないが、「ああ、なるほど」とオラは分かってしまう訳で、それはオラにとっては大したことのないスキル。
でも、それを使えるからこそ、山で動物に遭っても双方に衝突が起こらないのもまた事実。クマが逃げるのだって、こちらが何もしない意思表示をしているから、余裕で距離を取れるだけ。向こうがこちらに一撃食らわしてその隙に逃げるという手間がない。だからオラとクマが出会っても、クマが逃げる(距離をとる)ことができる。単に第三者が見ればそれは逃げていることになるが、実は、オラが無関心をクマに伝えてクマに立ち去るように仕向けているだけに過ぎない。
避難所運営マニュアル青森県内17市町村が「ない」作成にとりかかっていない自治体も
こんな簡単なものを作る暇が無いとか給料減らした方が良いんじゃないの?。
オラに位置情報をよこせば暇つぶしに作ってやんよ。
簡単じゃんか。無料サービスでいくらでも作れるぞ?。
但し、法に触れない範囲で。
同類がオラと同じことをするなら、その人が活動できない時間帯や場所に出没するとかしないと駄目だなこりゃ。
でもって、普通の神経なら怖くてできない場所と時間帯に活動するとかね。
何だか色々と実験しながら範囲を広げているんだけど、これならいけそうだってのはあるんだよ。
先駆者であり続けるなら、追いつかれないほどに引き離さないと駄目だしなぁ。
そうなると他のことを犠牲にする必要があるし、範囲を定めないと身が持たない。
うーむ。
今の車はオートライト、モードそのまんまだとオートハイビーム。しかも糞眩しい高輝度LED。
たまにある。
我慢できる範囲なのに腹がゆるさねぇ!という事が。
いや、まだ大丈夫だろって言っても、腹が鳴り続ける。
とりあえず、車の中に非常食が全く無いのは駄目だな。
先日はレトルトお粥を食い尽くしたし。
前のクマ号にはふんだんにエサが積まれていた。
それこそ、2週間は大丈夫なくらいに。
なので、昨日はフルーツグラノーラだけ1バック積んでおいた。
要するに、車格が超大(10t以上)と同じなのに、2t車なので普通免許で運転できたというトラック。
オラの生体の波長が下がると何が起きるか。
第六感が鋭くなるのです。
今日も今日とて日中は山で寝て、夜は夜勤って感じが既に4日目なんだけど、最初の3日が忙しくてろくに寝てないものだから覇気がない状態。
ほげ~~~ってなってる。
で、今日、山から降りてきて市街地に入ったところ対向車のライトの脇に人影。
車の後ろを通って道路を横断しようとする男性の姿が見えて危ない!!!と思って減速したんだけど、誰も居ないんだよ。
多分、そこで誰か死んでるね。そんな感じの横断してさ。
対向車のライトで蒸発現象を起こすから人が見え難くなるので、夜間は車の直前直後を横断するのはやめましょう。
歩行者は自分が車が見えているから車も自分を見えているだろうと思うだろうけど、見えねーんだよ馬鹿。
三沢市が謝る必要があるのか???
この怪我をしたバカップル。もとい、リア充男女が
三沢市によりますと落ちた日よけは鉄製の骨組みにプラスチックの板をつけたもので横幅およそ15メートル、高さ2.5メートルのコンクリート製の支柱に取り付けられていました。8月上旬に鉄製の骨組みにさびが確認されたため現在はベンチに座らないようロープなどを張って立ち入りを禁止していました。
を無視して利用し、勝手に巻き込まれたのでは?。
三沢ビードルビーチベンチの日よけ落下 下敷きの2人重軽傷 腐食あり立入禁止にしていた
犯人は黄色い大型の除雪車。
目の錯覚か、そこに実在したのが判断ができないものってあるよね。
量子物理学的に言えば「認識したので存在が確定してしまった」的なやつ。
ちょっと今は敏感になってるから、見てはいけないものが見えてしまうことがある。
うん、たまにあるんだけど、可能な限り見ないようにしているし、見てはいけないものは見たくないとブロック(意識外にする)こともある。
ただ、迂闊にもそれが緩んでると稀に見えてしまう。ボーッとしているときとかね。
特に疲れていると波長が下がるんでシンクロしやすい。
で、相変わらず視界の端々に見えるんだよ、それが。
うーん、夢に出そう。頼むから出てくれるなよ。
今あるものはその性能を上げることはできないが、些細な気づきによりその感度を上げると言うよりも感じ取っている全ての情報から特定の情報をフィルタリングすることでスキルは向上できる。つまり感度を上げることはできないが、分析は脳が行なっているのだから、脳の回路を最適化することで機能は向上しないが分析能力は上げられることになる。
気づきに感しては感性の問題である。どうしようもない鈍くて感の悪い人間にはそれを知覚することは難しい。だから、全神経を集中させることでそれを感知する切っ掛けを作って、それを任意のタイミングで使えるようにしておけば、嗅覚も聴覚も事実上は感度が上がる。何度も言うが、人間は見たいものしか見ないし見えない。聞きたいことしか聞かないし聞き取れない。でも、それは脳が処理しているのであって、それを上手くフィルタリングする脳の回路を最適化することで、今ある機能を最適化し、効率を最大化できるのである。
この感覚を理解できないひとはここで話は終わる。
ここまで理解できた人は、その先にあるものを感知することを鍛えよう。
人間の肉体の限界というものは感知できる範囲があり、可視光線の波長や音の周波数に限りがある。決して聞こえていない訳でも無い。見えないからといって見えていない訳でもない。実際には聞こえていないのかもしれない。見えないはずだけど見えているような感覚もある。そして聞こえているかのように認識できることがある。それがその先にあるもの。人間の感覚を超える領域である。
身の回りに居る昆虫や鳥や動物は人間の感知できる範囲より広い感知能力がある。我々人間よりも死が身近にある生き物はそうでもしないと自分の身が危ないからだ。オラが動物を先生と呼んでいるのは、その辺の感知に関してオラよりも優れているから。そもそも鳥なんて生身で自力で自分の意志で重力に逆らって飛べる。これだけで人間よりも優れている部分がある。逆立ちしたって人間は自由に生身で空を飛べない。だから鳥さんは基本的にオラよりも優れた身体能力を有しているので尊敬に値する。
自分よりも優れた相手を認めること。それに習うこと。観察して何を考えているか察して、行動と思考を読む。試して反復して、やり取りして、そして何かを掴む。その何かってのが五感の上にあるもの。先ずは敬意を払う。少なくとも対等に見る必要がある。人間が最も優れた生物であるなら、川や海で溺れたりはしない。そう、イルカやクジラではないのだ。同じ哺乳類でも。ただ、人間が数時間も潜ってられる筈もないので、イルカやクジラに習うのはまた別の分野になる。彼らは彼らの言葉を持っているが、それでも人間に対しては解りやすいように配慮してくれているわけだ。
動物と話すと言ってもダイレクトに日常会話をしている訳では無い。
彼らの感情や動作から、彼らがオラに解りやすいように何かを伝えようとしている訳で、それはある一定の知能がある動物であれば同じように考えている。そこをどのように人間が上手く汲み取って、彼らの会話にこちらが正しく行動できるかがまず最初のアプローチ。
ある程度のやりとりが進むと、彼らと共通の言語が使えるようになる。向こうは人間に分かり易く意志を伝えている。こちらも彼らに解りやすいように行動を返す。互いに何かを掴んでその辺は繰り返すことで習熟していく。結果として、そこらに居る動物とは概ね感情レベルでの会話ができる。直接的ではない会話ね。意思の疎通ってのはその程度のもので十分で、人間は言葉に頼りすぎるから理解に時間が掛かるかも知れないけど、実際はすごく単純なもので、それこそ感覚的にそのやり取りが可能だったりもする。
これが普通にできるようになると、また別の何かの意思が聞こえるようになる。実際には誰かが何かを言っている訳では無い。多分、動物なんかはこういうのに敏感なので、虫の知らせ的な何かがあると、異常行動を取ったり、一斉に逃げ出すとかで回避している。
オラにもこういう虫の知らせってのは届いている。今年のはじめに新潟に行かなかったこと。何か知らないけど行くなと言う感じがした。行くなら太平洋側に行けという意思を感じた。結果として能登半島地震の発生。オラはその時に岩手県宮古市に居た。だって、行くなという意思を感知してたので。誰に?と言われても知らんと答える。ただ、行くなという意思だけ聞こえていた。声じゃない。感じなのだ。
こういうのは結構あるので、細かく何かを回避している事が多い。対価が必要なのかは解らないし、ラジオのように勝手に発信されているものをオラが受信しているだけかもしれない。でも、動物の意思を汲み取るのも、こういった何かの危険を感じ取るのもほぼ同じ感覚なのでは?と思うことがある。まさかのまさか。災害に関しては地球の声が聞こえているのかね?
なにか知らないけど。何も根拠はないけど、そういったことが多いのは事実だ。鳥は寄ってくるけどクマは逃げるってのが良くわからない。オラ自身は人畜無害のつもりなので、別に大型の野生動物が攻撃の意思がなく寄ってくる場合には全く恐怖はない。それこそ、あるものをあるがままに見て認識して理解して疎通するだけなので。
普通の人間はクマが目の前にいるだけで恐怖が先立ってしまうとか、思わず声を出すとかが普通なんだろうけど、オラにはそれがない。まず見る。相手が考えていることを察する。それに応じる。向こうが関わりたくないと思えば見ないふりをするし、チラチラ見ながら立ち去ってるのなら、視線を敢えて外して見ないふりをする。
こんなの繰り返してたら、動物からは何か知らんけど自分の考えを読んでる変な人間くらいに思ってるか、オラを人間として見なしていないのかも知れない。だって、普通の人間は動物が考えていることをいちいち読み取って別け隔てなく忖度しない。猫相手ににもクマ相手にも同じ態度をとれる人間が居ないように。
スズメ相手もカラス相手も同じだし、犬相手でもタヌキ相手でも同じ。キツネでも同じ。ウサギでもカモシカでも同じ。考えて行動する生き物相手なら何でも同じ。ああ、ヘビでも同じだから。オラは相手を選ばない。
結果として、何でもかんでもコミュニケーション対象にし続けた結果、多分だけど、何かとも同じように何かを感じ取ってる状態になってる。それが何かは分からないけど、虫の知らせが何かなのであれば、その何かからも何かを受け取っているのかも知れない。
ちなみにオラは別に妄想癖があるとか、中二病をこじらせているとか、電波が命令するんだー!とか、悪魔が常に囁いて来るとかそんなの無いから。何かが何であるかはどうでもいい訳で、意思の疎通の意思があるなら相手が何でも下には見ないし、忠告を受ければそれを聞くつもりではいる。
山に入ると稀に「これ以上来るな!」という強い波動を感じることがある。これ以上行けない壁のような圧。オラはそれに逆らったことはない。そしてそれは何か危ないことがあると認識しているので素直に引き返すこともする。馬鹿じゃないんだから、嫌な感じがするけど気の所為だからこのまま進もうとか死亡フラグを立てるつもりもない。なにか危ないという感じは信じた方が良いし、それが気の所為であっても素直に応じている。それが全ての危険回避に繋がっているし、オラが安全だと思っている内は間違いなく安全である。
ちなみにいきなり何かに威圧されたこともあるよ。女願掛岩の裏には廃道がある。オラは怖いもの無しというか、ある程度のリスクには対処できるので普通の人の10倍くらいの危険にも安全に対処ができる。
そのオラが崖の手前でいきなり腰を抜かした。不意打ち食らったというか、その何かがオラの下半身の力をいきなり奪ったのだ。立てない。自分の意志ではどうすることもできないほど足に力が入らない。あれは流石に怖かった。あれで益々敏感になったね。
あああ、やはり「何か」ってのは居るんだなと。そういうのもあってさ、自分の感知できる感覚というのは最大にアンテナを張ってはいる。ほぼ常に張ってるけど慣れたので些細な何かには無意識に気づくようになってる。だから嫌な感じを察知すると自然と回避しているし、危ない何かを感じると止まったり徐行したり。そういうのが当たり前になってる。
もうほぼ自動化。素直に感じて逆らわず回避あるのみ。嫌な予感レーダーみたいな何かの感。感覚とかそういうのでもない。感としか言えない。勘ではない。勘はものづくりで経験によりこうした方が良いのではないかというのが勘であり、オラの感というのは感じるとかの曖昧なカテゴリだ。
今のところはオラの第六感というのは弱いものではあるが、その嫌なものを避けるというアンテナだけは結構有用なスキルでもある。
それにオラ自身がオラの感覚器官だけを頼りにしなくても別に構わないんだ。先生たちの行動や鳴き声がそのままオラには感情という言葉として聞こえているのだから、彼らから見えているものがオラにも共有化されている状態。カラスとかスズメの場合はある程度言葉もわかるので、それが急を要する場合は手助けもする。今なら多分、かなりレベルが上がってるので、穏便に対処が可能かもしれない。
まあ、目指すところは人間と動物の間に立つってことだけどね。一方的に自然を破壊して奪っている人間にはその義務があるとは思ってるんだよ。少なくともオラにとっては意思疎通の能力がある動物にオラが可能な限り手を貸しても良いと思ってる。
野生動物に人間が手を貸すべきではないとか言うけどさ、野生動物から散々ものを奪ってる人間の言葉じゃないよねぇ。だったら、少しは話の分かる人間が彼らから助けを求められれば手を貸すくらい別にいいだろ?って話でもある。
そのために鍛えている感でもある。
何にしても、それがどういう仕組でどのように機能しているかを知っている人は、少しの工夫で何とかしてしまうけど、良くわからない人はどうやって機能しているのか分からないので何時まで経っても失敗し続ける。
成功体験の多い人は、工夫してなんとかする癖がついているけど、成功体験の少ない人は工夫の仕方そのものが分からない。
オラみたいに50代半ばでも、今まで散々アレコレやってきて、機械にも強いしアプリやソフトウェアなんかも何百何千何万と試している人間にとっては、お約束事項が守られているソフトウェアについては説明書も要らない。見れば解るように作られているから。
それでも分からないソフトウェアってのはそもそも仕様を決める段階で、使用者のことを考えていない頭がおかしい人が設計しているから無駄が多く、どこに何があるのか普通とは違うことをしているので、そもそも最初から意味不明なことが多い。毎日使うものがそんなクソみたいな仕様になっているのに、それを改良しようとも思わない人も相当頭が可笑しい。
単純に言うと、説明書が要るようなソフトウェアは最初からクソなのである。
見ても何が面白いのか分からないので見なければ良いじゃんとか言うけど、道路を封鎖されて実害が出たことが何度も何度もあるので、ハッキリ言って、弘西林道とか十和田湖の周りでも走ってろと言いたい。
加えて参加者の交通マナーが悪い。練習と言って公道を走るのは良い。車道走るなクソボケ!。歩道がある道路は、歩行者は歩道なんだよ。車道走るなクソが。
ということで、マラソンとか駅伝が大嫌いになる。そういう仕組。参加者のマナーでスポーツそのものが悪になるのだ。あと大会主催者もクソね。道路はみんなのもの。一時的でも専有するなよ。非常に迷惑なんだよ。
同じく競輪もクソ以下。道路で練習するな。一列に並べ。山間部などは時々脇に寄って後ろの車を先に行かせろ。ホンズナシ!。
後部座席にいた7歳と5歳の姉妹が事故死 シートベルトをしていたのに「命を奪う凶器」になった理由
考えることを放棄した人間は不幸になる。そんなに難しいことではない筈なんだよね。
物理現象なんて身の回りでいくらでも眼にできる。そして中学校を出ている脳味噌でも少し考えれば深刻な事故になりかねないことも解る。
オラがいつも言う。一般人は理科や科学や物理学に非常に興味がないという事実。
理科も科学も物理も身の回りで起きていることなんだよね。
だから、これらをきちんと理解出来ていれば、この程度の予測はできる。
理科や科学や物理なんて世の中に出ても役に立たない??? はぁ? 身の回りで起きていることはまさに理科であり科学であり物理なんだよね。事故も料理も。機械工学まで学べとは言わないけど、見れば解る構造を表面しか見ないことで手足を失う案件も多いね。ベルトコンベアに巻き込まれるとかさ。エレベーターに巻き込まれるとか。
世の中の事故ってさ全部、人間の「面倒くさい」が引き起こしているんだよね。
バイクなんて小さいもの。トラックのミラーに写っても米粒も良いところ。
自分がどのように視認されるか理解していないバイク乗りは、自分が見えていいないと認識しないと駄目。それに一定数が急加速とか車を縫うように追い越したり、先のカーブで対向車が見えないのに追い越しをかけるアホが居る。
あと、右カーブでセンターラインを踏んでるクソドアホ。体が対向車線に出るでしょ。
頭を対向車に打ち付けたいんだろうね。どんな自殺願望者なんだろう。首がとんでも知らんぞ?。
転んだら死にかねない乗り物で無謀な運転をするヤツが目立つ。
大型トラックなど複数台が絡む事故…オートバイの男性亡くなる 徳島・鳴門市
あと、そういう馬鹿に多いのが「消せない筈のライトを消して走行している」ってこと。スイッチ後付でOFFにしているんだよ。今のバイクはライトを消せないんだよね。
ただでさえ視認性が悪いのに、ライトを故意に消している馬鹿は死に急ぎだと思うんだけどね。
自分も原動機付自転車のバイク(スクーターじゃないよ)で散々乗り回してたから言えるけど、きちんと自分の安全を確保して、車はすべて敵だと思わないと自分の行動や、相手の無謀な運転で死にかけない。そういう乗り物だよ。バイクってのは。
どうせこのバイクもそういった無謀なひとりだと思うけどね。
意識低い系に多い。周囲の動きに自分がどのように影響するか考えない人が居る。
うちの母親も車を下りるのに偉い時間が掛かる上に、オラが発進しようとしてもまだドア付近で立ってるんだ。文句言うと、直ぐに動けないと言う。そのすぐに動けない原因は高齢ではなく本人の意識が低い故に自分の身体をコントロールできるだけの筋肉を維持しない努力と、思考放棄によるもの。それを高齢だからしょうが無いと自信を持って言う。
いや、自分を世界標準にするなよ。
意識が高ければ、そんな愚行はしない。なにせ危ないからだ。その危ないという状況を認識できていないのだから、車を降りたらすぐに離れるという行動ができない。行動をしないことを続けているから、車から降りて直ぐに車から離れるという行動を起こさない。行動を起こさないから行動を起こす必要がある時にすぐに体が動かせない。
都合が悪くなると歳だから。しらねーよ。
軽乗用車の下敷きに…自宅の敷地で78歳女性が親族の女運転の車に轢かれ死亡 前方でしゃがみ死角にいたか
轢いた人。自業自得です。発進前の車両一周確認は業界標準ではなく、当たり前のことです。それを面倒くさがるとやらないことが当たり前になって、そして今回のようなことが起きます。轢いた人が可哀想であるが、そういうことです。
「性的サービスは当たり前」違法サービス、風俗エステ…メンズエステ業界が混迷をきわめる〝裏事情〟
店構えとか、なんかコロコロ名前が変わるんで怪しいなと思ってたけど、やはりというか、ほれ見ろというか。
うちの近所にもあるけどさ。利用を考えちゃうよねぇ。
リスクそっちのけの記事が多いな。