自分が設計製作したものが誰の役に立つ
あおもりくま6号Bループアンテナを昨日発送して里親に渡ったようだ。
あおもりくま6号Bループアンテナを昨日発送して里親に渡ったようだ。
だらしがないという意味
植木鉢の受け皿を使うにあたり、径の小さいほうから大きい方(底の方から上のほう)に巻いていくのですが、受け皿の形状によってはエナメル線を留めておける形状に無いものが多く巻きに苦労するかもしれない。
もしも巻を固定するのなら、厚めのテープを細く切って径の小さい方に1周巻く必要があるかもしれない。
これに最適な材質のテープがあるかどうかが問題である。
巻き方はストッパーがある場所から巻いていかなければ綺麗に巻けない。
今回テストしたいのは、密巻きによるピッチの計算誤差を太いテグスを使ってどれだけ線間を作れるか。
その線間に最適なテグスの径は・・・
ストッパーだが、穴を何個も開けてガットを縫い巻く方法も考えられる。
できれば何もしなくてもよい受け皿をゲットすることが手間の軽減に繋がる。
さぁ、100円ショップにあるかな?
ループの形状としては植木鉢の受け皿(敷き皿)が最適あることには違いない。
だから本能的にカラスがNGって人が多いのかも知れない。
野菜を買ってきてミキサーで粉砕しまくる。
世間はパワフルなんとかジューサーなるものがあるようだが、野菜をそのまま粉砕しているので搾りかすなんてものはないし、ドロドロのまま飲む(食べるので)食物繊維の塊を飲んでいるような感じ。
1回で飲めると思ってたが、半分でも腹いっぱいになってしまい、明日の朝もこれを飲もうかと粉剤せずに残しておく。
氷が無かったので冷凍剥きエダマメをザーっと入れて粉砕したから味はともかくとして腹持ちがいい。
ジューサーってのは繊維も粉々にしてくれるので飲み込むだけ。
食べる野菜はやめて飲む野菜習慣ってのもいいかな。
これから色んな野菜が出回るので皮ごと葉っぱごと粉砕しちまおうダヨ。
冷凍剥きエダマメは豆のスープでも作ろうと思って買っておいたものだが、色々と用途がありそうだ。
塩と一味でエダマメの漬物もできるしな。
ジャンボー!と言ったらハバリー!と答えるスワヒリ語。
津軽弁でジャンボー!って言ったら床屋に行くのか?と言われる。
ハシボソガラスの威嚇姿勢もヤマバトにとっては求愛行動らしく、今日、会社の駐車場でついつい10分も見とれてしまった。
動物の気を引こうと思ったとき、対象となる動物の習性を長期間にわたってストーカーした挙句に、ソイツに対してやってみるのが言語形態の実証というかオラなりの学習方法。
今日は昼休みにボーーーーー(゚(Д)゚)ーーーーーーーーっと外を眺めていたら会社の立体駐車場の隙間からどうやってそんなところに入ってたんだよ!という感じで出てきた若いハシブトガラス。
言葉の意味を確かめようとハシブト語である短いスパンの「あっあっあっあっあっ!」と言ってみた。
向こうはコッチに気付いたらしく、首を傾げながら黙ってみているだけ。
特にこの言語に意味は無かったようだ。人間的には鼻歌を歌ってる程度なのだろう。
でもまぁ、気を引くことはできるということが分かったからいいや。
そのあと、この若いハシブト君はこっちめがけて飛んできて、手前3mで急旋回して右の林の中に消えていった。
と思ったら電線に止まってこっちを見てから「あーっあーっあーっあーっ!」と返す。
そしたら右の電線から左の田んぼに移動したと思ったら、こっちに急に向きを変えて一直線。
急上昇してどこかに飛んでいった。
窓の鉄格子越しにオラが言ったことと関係あるのかな。
もしかして捕まった可哀想なニンゲンも居るんだなとか思ったのだろうか。
激しく勘違いしているのか、それともこれに意味があったのか、状況に寄ってこれの意味が変わるのかはまた今度試してみて確実なところを知りたいと思うのだ。
動物の言葉の解明は手探りに近い。
状況、イントネーション。強さ、長さ。音程でも意味が変わる。
特に音階を操るカラスには同じ言葉にも多種多様な意味があるのだろう。
自称、カラスとスズメとカモ語をだいたい理解しているオラとしては定年退職でヒマ人になるまでにカラスとスズメとカモ語くらいはマスターしておきたいものである。
ハシボソ(縄張りを持つ)でハシブト(彼方此方を放浪)を追い出すという実験の確認としてハシボソのペアと、顔見知りのハシブトを誘致した。ハシボソの方は2年付き合ってる。こいつは目の上に白髪があるので目立つ個体。
公園でスズメやカラスに激しくモーションをかけられるオラの回りには勝手に野鳥が集まってくる。
カラスの子供もオラには興味津々である。親の攻撃を受ける可能性のある5mよりもっと近く。1~2mの距離まで接近することもできる。
子供のころは大人し過ぎて、生き物が居ると逃げないようにそーっと近寄って観察するクセがついているので観察対象をじっくりと見れたものだ。そこで思い出したのが伝記の「ファーブル昆虫記」である。
子供のころは駄菓子屋に昆虫採集キットなるものが置いていて、注射器と虫が腐敗しないように薬剤のアンプルが入っていたが、結局のところ虫が可哀想で使った記憶が無い。
むしろ注射器の方に興味津々だったというべきであろう。
最近の子供。特に男子の方だが、鳥がエサを食べているとワー!っと駆け寄って驚かしたり、松ぼっくりを投げて危害を加えようとする。
なんという落ち着きの無いやつらだ。それに加えて昨日は女子もそんなことをしてたな。
女子は男子と違って大人である。
オラが何かしていると向こうから「何してるの?」と近寄ってくることもあるし、鳥たちを驚かさないようにわざと近くを通り過ぎるときはそーっと歩くようにする子が圧倒的に多い。
女というイキモノは男から見ると理解不能な思考パターンを有している面もある(女が男の思考が理解できない時があるのと一緒だけどね)が、少なくとも男より女の方が面白いからと他のイキモノに危害を加えることをする傾向が少ないと言えるだろう。
あとはある程度、歳を食うと命というものを考えるようになるから男も女も区別無く他のイキモノに対して優しくなる。まぁ、中にはそうじゃないのも居るが。
自分以外の存在を理解しようとしたとき、そのイキモノがどんな生活をして、どんなモノを食って、どんな習性(性格もか?)があって、どれだけの知能があるか知らなくてはならない。
特に、オラ達人間をどう思っているかということを知らなくてはならないと思うのだ。
この星で死ぬまで生きていく人間が他のイキモノにどう思われているか。
「危険だから近づいてきたら無条件で逃げろ」と思われているのか。
「自分に興味があるニンゲンには見極めが必要だ」と思っているのか。
「ニンゲンが何をしようと無関心」であるのか。
ニンゲンの価値って、自分以外のまったく違う生き物に対してどう接することができるかにあるかもしれない。
それがこの星で頂点に立った生物であるニンゲンが知っておくべきことかもしれない。
生態系から外れてしまったニンゲンを動物たちはどう思っているのだろう。
自然というシステムを無視している今の社会を彼らはどう感じているのだろう。
宗教なんぞに全く興味の無いオラとしては、神は自然であり、自然の意思であると思っている。
その自然の一部に属する彼ら野生動物も神の意思の一部であり、人間が自然から罰を受けるとしたら彼ら自然の一部である者から受けるであろう。
グローバルに見たらそういうことだ。
「風が吹くと桶屋が儲かる」「北京で蝶が舞うと、ニューヨークで嵐が起こる」じゃないけど、オラに言わせたら「スズメに意地悪すると土石流が起こる」ということだ。
4:40 スズメに起こされる。トイレ済ませて二度寝。
6:10 スズメに起こされる。雨だ。三度寝。
7:00 スズメに起こされる。しっかり降ってるな・・・スズメにエサをあげる。
7:10 寝汗で気持ち悪いのでシャワーを浴びる。
( ´(Д)`)y━~~~ むはぁ・・・煮出した濃い目の緑茶がよーく冷えてる・・・うめー。
ここ最近はスズメには白米と交互に発芽玄米を与えている。
栄養が片寄るしなぁ。子スズメには玄米を慣らさせないとな。
なんか美味しい蕎麦が食いたくなってきた。
もちろん、ザル天でね。
今日、公園をダラダラ歩いてたら東側から中央に行く途中で白チョッキが飛んできた。
飛んで・・・とん・・・とぉ?・・・ Σ(゚(Д)゚ )なんじゃこりゃー!!!
写真が無いので具体的に説明すると・・・七面鳥を丸焼きにする手前って感じでした。
羽毛があるのは背中とモモヒキと頭部と羽と尾羽。
いや、正確に言うと「首から股間付近まで裸」でした。
多少残っていた白い下着(地毛の事ね)は全く無く、胸から腹まで肌が剥き出し。
こりゃ流石に今年の冬は厳しいだろ。チョッキどころかコートの下が裸の変質者というレベルですだよ。
寒いってレベルじゃないだろうな。夏はクールビズって感じで涼しいだろう。
だけど、厳しい冬に前面露出じゃ体温が奪われるだろうよ。
隣のエリアの東2ボス夫婦は子供連れ。
目の青いクチバシの付け根が肌色のギーギー鳴いているのが居た。
暫く見なかったカルガモの親子は子供を間引くことなく10羽とも健在。
かなり大きくなっていて、親が殺すのも難しいだろう。このカルガモは去年のカルガモとは別の固体なのかも知れない。いつもなら7羽以下に減っているはずなのだ。
っていうか、この生存率で毎年カルガモが独り立ちしたら凄いことになりそうだな・・・
スズメはオラを見つけて勝手に飛んでくるので、個別対応ってことで。
いつものヤツはいつものとおり。人の足元に来て「早くよこせ」とヂュイヂュイ言ってる。
いいよな、オマエほどオラも図々しければモットマシな人生だったろうよ。
ガキがハトに危害を加えていたが、父親が「ハトを苛めちゃいけないんだ。ハトは平和の象徴だから」とか言ってた。
オラ的にはハトは「貪欲で喧嘩ばかりしてて他の固体の事なんか微塵も気遣うことも無く年中発情している」という印象だ。印象というよりハトの生態だからしょうがない。
ハトも新顔がかなり多く、巣立ったばかりの綺麗な毛色の子バトが多かった。
黒っぽいキジバトのような配色。黒にシロのワンポイント。第一風切羽だけ白いヤツ。デフォルト色。ハトだけ見ても色んな色があって面白いと思うようになってきた。
ハトを観察させてもらった謝礼はパンの耳ってことでちゃんと観察対象に渡るように投げた。
今日の散歩は終わり。
足もボーボー熱を持っていてもう歩きたくない。
外は涼しかったので汗もかかずに済んだし、あとは旨い物を食って寝るだけ。
さーて、ネット上ではオラんとこのウェブページは古いのにそこそこ有名なようで。
そろそろ新ネタを追加したいのだが Σ(゚(Д)゚ )コレダ! というものが無い。
で、簡単に作れることを前提として、それなりに丈夫で、それなりに持続性のあるネタ。
被リンク数でポイントを稼ぐとなると普通のネタでは面白くも何とも無い。
だから、「在る物を最大限に利用する」というオラのポリシーからするに、決定的なモノを提案せねばaomorkumaの意味が無い。
前から考えていたループアンテナの巻枠を簡素化する案を具現化するにあたり、イメージを練ってみた。
図のとおり、
巻枠の部品点数を、巻き枠に植木鉢の受け皿。
台をタッパーまたは木片などのテケトーなものとし、面倒な巻枠の製作を初心者でも容易に。
多角形から円形にすることで性能の向上を期待する。
台座を木製とする場合は、端材を木工用ボンドで接着しても良い。
手先が器用な人は切断して加工すれば良い。
接着して乾いてからノコで切断して整形するのもOKだ。
上手く端材を組み合わせて、受け皿をマウントできるように工夫するのだ。
台座内にバリコンを内蔵してコンパクト&操作性の向上と一体型による配線の簡素化。
※銅線は受け皿の外周に巻くと想定する。
計算が面倒な事になりそうなので、とりあえずタップによる性能面での確実性の確保。
タップを取るときは、受け皿に穴をあけてワニクリップで巻数を調整する。
妄想図はこのようになると推測する。
うひゃ! どっかで見たような市販のループアンテナだな。
値段を試算してみる。
植木鉢の皿 100円~300円
台座(端材) タダ円
ボンド 余ってるのを使う。
線材 LANケーブルをバラして使えば タダ円
バリコン 余ってるから タダ円
ハンダ・ハンダゴテ あるから タダ円
ホットボンド(グルーガン) あるから タダ円
(* ̄(エ) ̄) うーん、皿だけあればいいって感じだな。
これから作る人でも道具を除いて材料費だけ見ても600円~1500円・・・だな。
道具込みでも4000円。道具はずっと使えるから投資だと思えば大したこと無いし。
こんどヒマがあったら作ってみようかな。
小降りになってきたから歩けるのかと思ったが、止みそうに無い。
外には公園から出張してきた(o`θ´o)軍団50羽が早く早くと催促している。
既に2合ほど差し入れたが足りないらしく、パンも撒いたがまだ足りないらしい。
(;´(Д)`)=3 これ以上はな・・・欲しければドアをノックしてくれ。
そしたら、ノックはしないのだがドアの前で永遠と チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・チュン・・・って言ってるのが居る。
(;´(Д)`)=3 必死なのは承知した・・・もう一握りコメを撒く。 はい、今日はこれで終わりだよ。
コメを撒くとその度にハシボソが来る。目の上に2つの白髪が生えた常連だ。
ドーナッツは売ってなかったのでマフィンをあげる。
咥えてから周囲を確認して南に飛んでいく。
それ3回繰り返してた。子供が生まれたんなら見せに来いってんだ・・・
それにしても、みんな子育てに忙しいようだ。
自分の遺伝子を少しでも多く後世に残すのが生物としての使命。
それに忠実な連中を相手にしていると、嫁も子供も居ないオラが他の生物の繁殖に手を貸しているってのも何やってんだって感じ。
まぁ、向こうから好き好んで寄って来るからオラとしてはフワモコ軍団に癒されるのだが。
あああ・・・鳥さんのフワフワの頭や、スベスベの羽を触りたいものだ・・・
人間ってのは何でもない場所で転んで怪我をしたり、一見なんでもないところで死んだりする。
小路から自転車で飛び出したり。
歩道があるのに車道を走ったり。新聞配達や郵便なんて歩道をバイクで走ったり。
対向車が来ているのに急に右折したり、追い越したり。
ちょーっとスピード落とさないと曲がれないんじゃない?って場所に普通に突っ込んだり。
外階段の手摺にもたれ掛ったり、展望台や橋から身を乗り出したり。
そんなのはどっちかっていうと無知とか鈍感というか、馬鹿だな。
もしも・・・とか思ったら普通はしない・・・いや、できないよな。
「もしも」というのは予測てあって、「○○をしたら○○かもしれない」という範囲だ。
業界では事故を起こさない為に危険を予測し防ぐ必要がある。
これを「危険予知訓練」というのだ。
ただ、これは普通の人間が修練を積めば誰にでもできること。
できなければ津軽弁でいうところの「ちゃかし」「ほんずなし」である。
オラが見えているのはもっと別のもの。
色というか、気配というかそんなもの。
どっちかというと恐怖が見えるという感じだろうか。
ゾクっとするやつね。思うが早いか感じるのが早いか、それとも回避行動が早いか。
殆ど直感に近いんだろうけど、事故ってのは起きる瞬間の「あああああああああ!」ってのが一番嫌だね。あの感覚なんて一生遭わないで済ませられるならそれに越したことが無い。
これまでに結構危ない目に遭ってるのだが、今のところ五体満足だし死んでいない。
それはこの危険が見えるようになったおかげかも知れない。
日常にある危険を見逃さないという癖をつければそれに近いことはできるだろうけど、例えば不注意から怪我を負いやすい人って何となく決まっているような気がするのだが、それが何かこの世のものではないものの影響なのかも知れないし、単なる見落としから起きる事故なのかも知れないし、それは証明できなければ仮説にしか過ぎないし、なんと言うことのないカーブが事故多発地帯になっているっていうケースを考えると、普通はここで事故を起こさないだろうってのが事故多発地帯になっているもまた事実でもある。
例えば浅虫から平内に入って、いま、道路を拡張している場所ね。
ああいう場所って普通は事故が起きないよね。
何も感じないし危険なんて微塵も感じないし、何かゾクっとするような感覚も無ければ引っ張られる感覚も無い。つまり事故が起きないような場所で事故が多発しているってことが意味するのは構造上の人間の盲点によるもの。ゆるいくだりの終わりのゆるいカーブで、どうやったら死人が出るのか不思議でならない。
それでも事故が起きている。だから事故多発地帯。何らかの理由があるのだろうけど、何かあるのだろう。
さて、事故が起きないような場所で事故が起きるのはどうでも良いのだが、さっきの「あああああああ!」のことだ。
「ああ!ダメだ!絶対間に合わない!」というあの瞬間のゾクってやつ。
あれって最悪の感覚だよね。色としては青と紫が混じったような感じ。
場合によっては青と緑だったりすることもあるのだが、危険というのは色で見えていることがある。
それそのものに色が着いているわけじゃないよ。
それに昼は色が感じないのだ。
特に夜中に車で走ってるときとか、暗闇を歩いているとき。
山の中を歩いているときに見える。
明るいときにも推らく見えているのだろうと思うが、明るい場所では見えにくいのだ。
これは「誰でも訓練しだいでオーラが見える」ってあれに近いけど、暗闇で見える自分のオーラじゃないけど、暗い方が実はよく見えるのだ。
推らくそれら危険を孕んでいる場所には独特のオーラ(気)があるのだ。
それがその人にとって不快な感覚として感じ取れれば、その人が感じる色となって見える。
これが「危険が見える」ということ。
実はこれはオカルトでも心霊現象でも無い。
要するに、その人が普段から危ないと思っているようなケースが頭の中に多く詰まっていたり、予測される危険が明らかな場合に、脳がその危険箇所に勝手にイメージとして印をつけているに過ぎない。
その人が普段からこれは危ない。これは命に関わる事故を引き起こすかも知れないと感じればその場所に何らかの不快感を感じるわけだ。
で、人間の目だって耳だって鼻だって、不要な情報をカットするフィルターがある。
あるといってもその器官そのものにあるのではない。
脳がそれを重要と感じなければカットするのだ。
しかし、その人にとって深いと感じれば、他の人には軽佻なことでも、倍以上に感じてしまうという感覚は分かるだろうか?。「嫌いなものは嫌いなんだよー!」ってアレですよ。
過剰に反応してしまうでしょ。アレと同じ。
オラが「アレは危ない」とか思ってしまうと、目に入る範囲の対象物に自動的に近寄るなサインがマークされる。それは脳で考えていることだから、自動的に視覚情報が脳で危険箇所のマークキングと重なる。
つまり、危険箇所を危険箇所だとマークした視覚情報として見えているということ。
人間ってのは使っていない能力が山ほどある。
その人がそのことについて日常的に自覚しているのであれば、そういうことだってあり得るのだ。
オラの場合は視覚情報にそういった色とも言えないような色がついている。
だから山を歩くときなんて歩きながらどこに足を置けば安全に早く確実に歩行できるか分かる。
単純にそういった感覚はある意味で動物的なもので、人間が身の回りで起きうるであろう危険を常に意識していれば、ほとんど無意識のうちにそんな危険をスルーできてしまうのだ。
たぶん、危険な場所で生活や仕事をしている人間なんかは、この感覚について、「ああ、そうかもしれない」と言うかも知れない。たぶんね。
まぁ、慣れってのでそれが危険かどうかも変わって来るし、慣れない人間にとってはあからさまに危険だと思うような場所であったとしても慣れている人にはそれは全く危険など感じない訳だし、人間の脳ってのは面白くできているものだと関心してしまうのだ。
これがまた旨いんだな。
オラは気に入ってるけどさ、青森って焼きそばの店が結構有名なのよ。
その中では無名な方なんだろうけど、結構腹持ちがいいし、ソースが食欲をそそるし。
今日はあと何にも食わないつもり。
これで慣らして食事量を減らす!
毎日歩く!
そして健康診断までに100kgを切る!
( ´(Д)`)y━~~~ 健康になったらタバコが旨いにちがいない