青春ブタ野郎を暇つぶしで見てると時々ふっと気付きがある。シュタインズ・ゲートでも観測者というワード重要なストーリー上の理論であるが、この観測されて初めて存在が確定するという考えだが、そもそもの話、「とんでも無く色々と見えていて、思考の方向性を変化させることで、見えないものを見えるようにして見る人」と、「致命的に鈍くて見えない、気づかない、考える脳味噌が無い」人とでは「存在の有無の認識」に大きな違いがあると思う。
物理的には人間が見えない物を動物や昆虫は見えているし、深海では光さえ届かない世界で深海生物は見るという感覚は人間のそれと異なる方法で見ている。
見えていない物は存在していないが、見る方法を得れば見える事で存在が確定するというものとも解釈できるが、スピリチュアル的なモノって、見る方法が科学的に確立されていないから存在が曖昧であり、シュレディンガーの猫に当てはめると物理的な存在が在るが、スピリチュアルな方は物体の有無ではない。霊体とか、精神エネルギー体とかあるかも知れないし、無いかもしれないもの。
では、最初に戻って「見える人」と「見えない人」をオラに当てはめる。
オラが見えている人ね。
舎利石をオラが本気モードで拾うと日に2千粒とかイケてたでしょ?。では、100も拾えない人は観測できていないから残り1900粒の舎利石が存在していない事になる。その1900粒はオラが脳内で生み出した物なの?。オラが見えるから存在が確定してオラの指に触れられる状態で物質化したってことですかね?。
山菜採りも一緒。パッと見で食える山菜が在々と観測できてるオラは、存在している山菜をバカスカ採れる。観測できない素人は山菜が見えていないから採れる山菜は存在していないってこと?。
危険という状態をオラがこれから起きるであろう事故を見ている。回避することでその事故はオラには起きない。でも、見えない人は地雷を自ら踏みに行く訳だ。オラには見えている結果という状態を、危険という状態が見えない人は未来視できない。
つまり、結果を確定するのはそれぞれの人で、人によって未来が変わる。観測するための目と脳は同じ人間なら同程度のスペックを誰しも持ってると思うんだけどね。
では、人と動物とでは見えているものは違う件。紫外線や赤外線や電気(イオン)が見えるとか。人に中にも何となく見えている人は居ると思う。スピリチュアルなものは人間には基本的に見えないが、動物には見えているかも知れないってやつ。
オラが人間辞めたいって事で人間以外から結構色々と学んだ結果に得た見る為の方法ってのが在るとする。
この場合、観測できているオラには、離れた場所で起きている状況をオラは観測できている。でも、それらに関心のない人には見る方法に至る事はなく観測はできない。
観測できるものは存在。または事象を観測できている。
観測できない人は、その存在も事象も蚊帳の外な訳だが。
仮に、有無が確定していない状態でオラが経験則で在ると他人に場所を指示する。これって、オラによって存在が半分確定して、指示された側が存在を確信したことに依って存在を確定して拾う事がある。これはどういう状況だろう。確率としてはかなり低いが、在るとしたらそこだ!って言っただけなのに、存在を信じた人がひと山当ててしまう。これって結構ある。
これも確率操作とか観測理論は無関係だと言えるのだろうか。
あと、一般的に科学の発展ってさ、限りなく一握りの人間が、その存在を信じて、特定して、存在を証明して、在ることを大勢に見せ、その使い方が見える人に依って確立されたもの殆ど。
つまり、観測する人が現れなかったら未だに中世みたいな生活だったのかなと。
やはり、見える人に依って存在が確定されるまでは、科学そのものだって先に進めない。ある意味で量子の有無に関わらず、すべての現実は見て認識されなければ存在するかどうかも怪しいってことなのでは。