「まるで魔法」とか「神業」って表現
進んだ科学と魔法は見分けがつかないというのは、100年前と今の科学力の差ほどあれば表現には適切かもしれない。今のスマホの処理能力と大昔の卓上電子計算機を比較すると、スマホは魔法の道具かもしれない。そういう意味で100年前にスマホとか持っていったら通話はできないけど、これは未来の電話機であり電子計算機だと言えば魔法の道具のように思えるだろう。
例えば、Aさんがパソコンで3日掛かってやる仕事を数時間でできれば、それは手品か魔法かのように思われるかも知れないが、それは技術や知識、小手先のテクニックであり、決して魔法や神業とかいうほどのものではない。
単に、道具を使いこなせる技量と、効率よくそれを仕上げる思考力の違いだけである。
例えば、大型重機を使用して、針に糸を通すみたいな操作テクニックを持った人を神業とか言うけど、これも感覚的にそれを行なえる繊細なオペレーションが可能なだけで、幼少期にそういった非常に繊細な操作するという行為を繰り返していれば、感覚的にそれは似たようなことをしているに過ぎない。ただ、その感覚を自分のものにしていて、更にそれを極めている人であれば、その繊細な操作については、その人にとって難しい操作であっても、無理ではないという範囲に留まるだろう。
つまり、魔法のような、とか。神業っていうのは自分には出来ないことを簡単にやってのける人の技術の高さへの評価であり、特に大多数の人が簡単にできないことを、その人がいとも簡単にやってのける状況や結果を表すものである。
人間というものは、幼少期に色々な経験を与えると、その経験は一生ものとなることがある。幼少期に経験しなければ、大人になってからもそれを実行するための手順(脳の回路)ができていないので、難儀する。一方で幼少期に非常に多くの経験をしていると、大人になって既に忘れているようなことでも、少しの経験で思い出してできるようになる。
オラが色んなことをできるのは、幼少期に過ごした環境にある。ウチは裕福じゃなく、小遣いはあったものの少額であり、ラジカセですら大きな買い物の部類に入り、小学校高学年でようやく貯めたお年玉で購入できた。であるからして、粗大ごみの日には電化製品がゴミ置き場に山盛りあったんで、部品を集めてラジオなどを作ったりしてた。ハンダゴテは小学校3年には握っていたし、家の家電も文化ししては結構直した。
これは遊びの範疇で、電化製品やら電子機器をあれこれ弄り回して壊すという恐怖が無い。そこでパソコンを使うようになる前にTVゲーム機の修理なんぞもやってたんで、尚更、電子機器には恐怖がなかった。だから触りまくっても壊れる心配も無く、壊れたら直せばいいなんて思っていたのでパソコンに強いという感じ。色々と試すってことも日常的に行なっていたので、恐る恐るとか、知らない機能には手を出さないという事はなく、何でも弄る。これがハードウェアだけに留まらず、OSやらソフトウェアにも手を出して弄りまくるのが当時のパソコンヲタク世代。
だから、今、怖いものなしなので他の人よりパソコンを扱わせたらExcelがお絵かきソフトになってしまったり、仕事を各種のウェブサービスの機能をお借りして簡単に見栄え良く、解りやすいものを作り出せる基礎になっている。
例えば、Office95から始めて2003までは大差ない。ところがOffice2010が導入されてまず最初にやったことは、全部のメニューを開いて、どこに何が在るかを確認した。その上で自分が使いやすいようにリボンをユーザーカスタマイズしまくって、必要な機能を1つにまとめた。これでいちいちリボンを切り替えること無く、一瞬で必要な機能にポインタが届く。これだけでかなり仕事が早い。次にやったことは新機能の確認。前のバージョンとの違いを確認したこと。あとは体に慣れさせるために遊び感覚でどんどんその機能を反復使用。結果として、操作や呼び出しが早くなる、これだけで数倍早い。
で、最も重要なのがマウス捌き。オラは1ドット単位でマウスを操作できる。マウスポインタが左右の端に達するのは3cm程度の範囲にしている。つまり、手を動かすのではなく、手首の上チョイしか動かしていない。これで腕を動かす必要がない分だけ、操作が早い。
ここまでの合せ技により、知識、機能の把握、手先の器用さ、解決能力、発想力で乗算2/4/8/16/32倍。20年前でオラのパソコンスキルは15人分相当だったが、今はその倍ほど。いくら操作が速いと言っても限界は在る。残りのスキルは「同じ作業を如何にして楽してやるか」ということ。簡単に言うと、バカ正直に0からやるのではなく、流用と、パターン化により、重複部分を他から持ってきたり、作業と並行してテンプレ化してしまうこと。
1週間も同じようなことを続ければ、1つの作業に4~5時間かそれ以上掛かる作業ですら、翌週には3つを4時間でできるようになる。本当は1つ4時間で明日いっぱい掛かると宣言した仕事を、16時半に渡されて、20時には終わっちゃった。
これって魔法とか、神業とかじゃない。「やり方」を学習して、超効率化させただけ。誤差は確かに大きくはなったが、全く気にもならないレベルの誤差である。要するに、必要に応じて手を抜くことも必要ってこと。結果としてはこれでさえ必要充分過ぎる結果ではあるが、ある意味で仕事に遊びのスキルを持ち出しているからこそ出来る「技能」ではあるが、こういった「コツを掴むコツ」を感覚的に理解できるのは、多分、オラのいろんな経験値の総計がとんでもない事になっているからだと思う。
色んなことがそこそこの結果を出せる。勿論、オラにだって全く向かないこともある。それは人並み以下だ。でも、無駄だと思われる経験が、必要な経験を補完するかのように脳が機能するので、結果としてムダ知識が無駄になっていないとも言える。
「魔法のように期待以上のものが神業のごとく仕上がる」それは、無駄な努力が無駄ではなかっただけのことで、オラが他の人が出来ることよりも、他の人が出来ないことに興味を集中させてしまった結果だけのこと。オラ的に言わせれば、オラ以上のプロフェッショナルなんて五万と居るだろう。でも、興味の種類と範囲が広ければ広いほど相互に応用が効き、結果として、アレを作るのにソレを使うのか?とかいう発想は所謂、普通の発想では至らないこと。
でも、結果としてソレを使ったほうが一番効率が良いという証明を兼ねているため、仕上がりが綺麗で速くて実用的。それでいて、再編集が可能で、派生物を作り出しやすいことにも繋がる。
同系の仕事を1週間でも続けたら流石に飽きる。飽きると楽をするために効率化という思考が働く。結果として、もっと楽をして、もっと速く作れるようになる。その間の操作などで手捌きの方も高速化しているので、更に仕上がり速度が増す。楽をするために努力を惜しまない。結果として、その行為のレベルアップが速く、更に速度が上がる。
理に適ったことなら苦にはならない。ちんたら時間を潰すように時間外で働く気も無い。家でウェブニュースや動画を見ていたほうが良いからね。
今日言われたのは 「よほどの馬鹿かよほどの天才か」 だそうだ。 返事は濁したが、「どっちもだよw」と言いたい。人間ってのは楽をするために文明を発達させてきたんだ。だったら、みんな理系になってもっと単純に楽して生活できるような社会にすればいい。 ただ、何も考えない。何もしない。何も効率化しない。他人より何か特別秀でたものがないというのはちょっとね。でも、実はそういうのが苦手な機械的に仕事をする人ってのも実は凄く重要だったりもする。だけど、その人の本来すべき仕事を、仕事の詳細を知らないオラに丸投げってのはやはり違うわけだ。
楽をするための努力をみんながすれば、働きすぎの日本人から卒業できるんじゃないかな。オラの部署にはオラができないことをできる人が居るから、オラはオラがやったほうが格段に早い仕事がヘルプで入る。もはや、オラの仕事はヘルプであるみたな・・・
でも、それで仕事が回るんであればオラはそれでもいいとは思うが、理系だけに、やはりこれはオラの仕事じゃないってのが来ると嫌だな。
最も効率が良い方法を教えるから、他の人もそれができるようになれば、オラは別の何か効率化できないことを効率化する時間が生まれる。だからオラを使うのは、仕事の効率化を考えるときにアイディアや手法を考えろってのがベストだと思う。
もっと違う手法でアピールできないか考えてみよう。むしろ、これは出来ないって思い込んでいるかもしれない事が、オラにとってはとっても簡単なテクニックで形にできる筈だから。
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