人間は現実でほぼ起こり得ない刺激を求めているが、リアルで起こったら対処不可
現実世界と非現実世界。非現実がリアルになったら、何が出来る?・・・ってたまに思うんだよね。
それだけ非現実が起きたときのこと。現実世界で起こりうる自分への生命の危機ってのが世間じゃ起こってるようなので。金属バットを振り回して女児と女性が殴打された事件だってそうだ。現実世界で起こりうるそういった生死に関わる問題がニュースで取り立たされると思う。 これはリアルだと。
今回、そのキチガイを取り押さえた人は本当に凄いね。尊敬してしまう。普段から何らかの心構えがないと、こういうときって人間は逃げるだけなんだよ。無策で特攻したところで武器を所持していない人間が武器を持った相手に何かできる可能性は低い。一般的にはだ。何かスポーツや格闘技、武道か何かやっているか、経験者。ある程度普段から体を鍛えている人じゃないと、そういうのは相手にしないでしょ。
もしも○○に襲われたら・・・そう考えたことがあるだろうか?。想定してそれを回避または対処する方法を考えたことが有るだろうか?。自分がその場に居たら何が出来るだろうか。秋葉原の事件だってそうだ。あれほどの被害者を出しておきながら、犯人を取り押さえられた一般人は居たのか?。警察に拳銃を向けられて降参したシーンしか見ていないので知らんけど、ダガーナイフ相手に素手の人間ができること。または、その場で使える武器を調達する手段とか。せめて防御に使え、攻撃可能な武器足り得るものが何であるか考えたことが有るだろうか。
宇宙人が攻めてくる映画だってそうだし、ネトゲでモンスターと闘ったり。ファンタジーやSFといった類の娯楽がそれなりに人気がある。ただ、それらはあくまでも娯楽や想像や、手先の操作だけで行われており、それが現実世界に出現したときには何も出来ずに大きな被害を受けてからの対策となるだろうね。ゲームが上手いからといって、人間を遥かに凌駕する攻撃力を持った相手には効果的な手段を要する一般人は居ないわけで。
だとすれば、只管、頭の中で実際にそうなった場合の対処を事前に考えておくことはできる。あくまでもリアルな自分の攻撃力や知識、知能、身の回りに有る武器足り得るものの範囲内で。
まさか大剣を持って巨大なモンスターに斬りかかるなんて普通はできないだろう。そもそも銃刀法で掴まるだろう。そんなの作って持ってたら。
圧倒的な科学力を持つ宇宙人相手に至っては、自衛隊や同盟国の軍だってなにもできやしない。映画では娯楽であるから、お膳立ては出来ていて、ヒーローたる軍人や天才が現れてそれを提案するってパターンだろうけど、そもそも日本では突出した才能を持つ人間は出る杭が打たれるかのように変人扱い。そういう場に現れる機会もなく政府は攻撃を受けて指揮命令系が消えるってパターンだろうね。
少なくとも自衛隊だけは、それなりの戦力を持つため指揮次第ではある程度の効果を上げたり押さえ込むか、反撃できる可能性があるだろうけど、軍隊ってのは命令は絶対なわけで、マンガに出てくるような独立愚連隊的な存在など無いだろう。優秀な指揮官とて人間相手だから発揮されるのであって、相手がモンスターや宇宙人だとしたらどうだろうね。少なくとも拮抗することが短時間は可能というレベルかも知れない。
で、肝心の国民。これはもうされるがままだろう。周りを見て、自然災害に対する避難所が有る程度。モンスターや宇宙人が攻めてきたときの対策は皆無。せいぜい自然災害が起きた時に雨露を凌げる避難所と、毛布、僅かな食料しか無いってこと。避難所は雨露を凌げるだけであって、宇宙人やモンスターの攻撃に耐えられる構造ではない。そんなところに逃げたところで、そこを襲われたらおしまい。
武器を民間人が所持することはなく、所持できるはずもなく、せいぜい武道で使用するような弓矢や木刀くらい。触れることさえ憚れる相手に素手で仕掛けるとか、掴んで投げるとか、打撃を与える。締めるなど有り得ない。宇宙人に触るってのは何らかの感染症を発する危険があり、モンスターに至っても同じ理由。毒だって有るかもしれないし放射線を出していれば被爆する。力が強いかも知れないし、パワードスーツを着ているような場合は相手にすらならない。
他種族の襲来に際して言えるのは、まず観察すること。目的を知ること。交渉が通じるか。 出会って即時交戦となった場合は余裕がないだろうけど、それでも冷静な観察と分析ができるか。それを共有する手段が必要。通信手段が使用できなくなった場合の代替手段も。
オラが出来ることなんて何もない。せいぜい、襲ってきたら木刀1本で相手をするだけ。その場で速攻死ぬかもね。運良く自衛隊が市民の避難誘導に来たらそれに乗じて逃げるだけ。あとはその場の状況次第。第一世代ヲタクだから、自衛隊の武器くらいは使えるだろう。できることをその場で判断して動くだけ。泣き叫んで、怖がって、萎縮して、ただ、されるがままに殺されるってことは無いだろう。
よく、こう思ったことはないか? アニメや映画で、「いや、違うだろ、そこじゃない!」とか。かなり前の時点で決定打を打てるシーンがあったのに、わざわざ相手にそれを先に使われてしまうとか。叩ける時に躊躇して、余計に被害を受けてしまうとか。ラストシーンで弱点が分かる場面があるが、ストーリーや映画の中盤で既に気づいている人だって居る。これは見て観察して理解して対策するという一連の連想が素早く出来るか。想定外の事象に対して先手を打って対処できるか。些細なことを見落とさないっていうのが一番重要だと思う。それが普通にできるかどうかは、お勉強が出来るかどうかとは無関係。いかに事象に対しての結果を知っていて、いかに構造を外見から想像できて、如何に、効果的にそこを狙えるか。むやみやたらと攻撃するだけでは効果はない。
世の中は解っていても対処しない無駄に溢れている。その無駄や辻褄が合わないこと。非効率なことに対してきっちり把握出来ている人しか物を言わない。気づいていても敢えて言わないってのも多いけどね。でもそれで不利益が起きることは理不尽であり、その理不尽を解消しようとする意思ってのは必要だと思う。
理不尽を想定しているか。其の理不尽に対応できるか。理不尽を正せるか。自分ができること。自分にはできないこと。自分だったらこうする。起きてからではなく、起きる前に考えて見る機会を作っておくこと。想像するだけはタダだ。それが現実と成ったとき、ああ、想定内だ・・・と言える日が来るかもしれない。もちろん、来ないに限るが、来ない保証はない。
交通事故だってそうだよ。そう考えてない人が起こしたり巻き込まれるのが事故なんだから。全ては繋がっている。考えていない。考えることをしない。考える機会を作らない。自分は関係ないと思っている人は何も出来ないんだから。
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