あおもりくまブログアクセスカウンター

2023年7月5日水曜日

送迎バスの子供の置き去り問題

 子どもの置き去りを防ぐバス安全装置 青森県内の普及は

いくら装置を付けても人間のすることに完璧はないので。これについてはトイレに行ったら流すってくらい当たり前のこととして認知しないと無理なんだよね。

つまり、人間は楽をすることには一生懸命だけど、面倒くさいことは如何にしてやらないかって思考が優先されるんで、どうしようもないのだ。

オラなんて逆の発想しかしないので、ウケねらいの為にどんなに面倒くさくて大変でもやっちゃうのだ。例の下湯タヌキの湯とか田代元湯でもそうでしょ。七里長浜のストックポイントもそうでしょ。これまでアップしてきた数々のウェブサイトの情報。Wikipediaへの写真寄贈。Googleマップやストリートビューへの貢献。どれもオラの足跡なんだよね。面倒くさいことを敢えてやる意義を考えると、それが楽しいんだよね。結果も出るから。

幼児の送迎バスの降車確認だって子供好きならどんなに面倒でも誰一人取り残さないって思うでしょ。つまりは子供が別に好きじゃないからあんな悲惨な事故が起きる。意識のもんだいであって、ヒューマンエラーとも言い切れないんだよね。好きであれば面倒だって感じないもの。

だから言えることはひとつだよね。子供が好きなら仕事としてやっている以上は責任を果たせよってこと。ま、子供が嫌いならどうでもいい仕事しかしないんだろうけど。

かつては自分もそうであったように、いま、こうして自立した1個の人間として生きていのはかつての大人たちのおかげ。オラの記憶している範囲では幼稚園バスに取り残される事故は起きないんだよね。それが子供は別に好きじゃないとか、仕事だから仕方がなくだとか、一つの作業として考えているのなら別ってこと。あんな小さなバスの車内を見回るのにどれだけの時間がかかるって言うのだろう。

オラは子供は嫌いじゃない。ああ、馬鹿な子供は嫌いだよ。純粋な子供は好きだってこと。できれば好奇心の塊みたいな子はね。オラがそうだった。そしてオラは分かり難いことを分かりやすく説明するだけの語彙も言い換えも例え方もたくさん知っている。子供の頃は周りの草木で遊ぶ方法も年上の子供から習ったし、今でもシロツメクサで花の冠を作れと言われれば何の迷いもなく作れるし、葉っぱの船(主に笹舟)なんかも余裕で思い出せる。こういう遊びってこどもは好きで、遊びの道具が無い場所で遊びの道具を作り出すと子どもたちはキラキラした目で楽しそうに遊ぶんだよね。

ま、そういうのはオラのスキルのほんの一部なんだけど、子供の興味を引くとか、注意喚起させるとか、遊びを通じて◯◯ゴッコみたいにすれば解決出来る問題もあるんだよ。別に大人が全部やる必要はないんだよ。子どもたちに自主的にやらせる。それをすることで将来はこういうことができるよって教えればいいんだよ。予行演習を兼ねた訓練というか、意識を持たせるとか、責任ある行動についての認識。大人と子供じゃ言ってやれることとやれないことがあるでしょ。でも、子供って遊びだと思えば自発的にやるんだよね。

ここまで言って分からないならいいやって話をした。

0 件のコメント:

コメントを投稿