あおもりくまブログアクセスカウンター

2016年1月2日土曜日

今年の年末年始は好天で山岳遭難事故もニュースにならず良かったね

それとも、冬山に登ること自体を自粛する傾向にあるのだろうか。
毎年、初日の出登山と称して雪山に登って遭難・滑落・凍死する素人の風物詩(風物死)がニュースとして取り上げられ、「餅を喉につまらせ死亡」と「居眠り・飲酒・速度超過で事故死」としてニュースサイトのトップを飾る。

そもそも、人間は雪山を自由に行動し、吹雪でもその辺に隠れて寝るて晴れを待つという仕様にはなっていないし、四足の動物と違って視点が高いため1m先が見えないような吹雪では地面付近が見えていないしバランスが悪く踏ん張りが効かない。荷物を背負って自由な動きができない。耐寒性を衣服に頼る。中でも寒いからとすぐに石油ストーブやエアコンをガンガン高温設定にし、暖房に頼りすぎて自分で自分の体温を維持できない人間が多い。
そこを理解(自覚)していれば吹雪で自分の位置を見失う。足元がよく見えていない。斜面を滑落。低体温で死亡。人間単体で猛吹雪を耐えられない。体格に対して体重が重く筋肉量が少ないから自分の体の動きをコントロール出来ない。寒さで体が思うように動かない。普段の生活と乖離した場所での危険に鈍いなんてことは考えなくても分かる。人間は裸の猿なんだし。

雪山登山の魅力は、登頂した時の達成感と、高い山にのぼることで雲海を見下ろすその絶景。人間が普通は存在することの出来ない世界に来たという満足なのだろうと思うが、「これは命がけの行為」という自覚があれば事故そのものの確率はぐんと下がる。
つまり、精神力の問題。常に命の危険がそこにあること。気を抜けば死ぬという自覚。登ったら無事に下山するという強い意志。その1歩に命を賭ける気構え。これら無くして何が冬山登山だろう。たかが十数センチ雪が積もった山でも人は遭難するし、凍死もしている。それだけ山というものに慣れていないのだろう。
オラは大都会で遭難する自信はあるが、山では絶対に遭難しない自信があるし、遭難したとしても一人で穴を掘って何日も耐えるだけの体力と耐寒性がある。

某大学の冬山登山でサークルが全滅した事件も、報告書を読むと納得。「俺様最強!というリーダー」を中心に素人を引き連れての遭難。安全策を考えれば、単独で避難できる人間が素人を一人だけサポートする体制であれば結果は違っただろう。つまり、ベテラン一人が素人一人を完全にサポート。役割分担で荷物をタイプごとに持ち歩くのではなく、二人一組で1小隊。それぞれが遭難しても二人で必ず生還するくらいの安全確保が必要だろう。
山の天候は変わりやすい。状況はすべてリアルタイムに変化する。地形によって積雪量も変わる。見通しの良い稜線は積もりにくいが風をもろに受ける。全て常識。
そんな人間が生存できない場所で一人が残り全部の命の保証を確保するのは絶対に無理。絶対にだ。これは確率の問題であり、安全マージンを十分に確保するという意味でリーダーの責任。今までそんなパーティーで事故が起きなかったのは、余程、リーダーが頼りなかったか、パーティーの安全意識が平均してとても高かったか、或いは運が良かっただけ。

これは山に入る人間の経験則としての基本。「素人はベテランが当たり前だと思っていることを知らない」ということ。3人連れて行って残り2人が山から出てこなかったので、藪を移動する音で方位と距離を確認し、声を掛けたのだが返事もしない。山の常識として高音域の高い声で叫ぶ→聞こえた人は返事。それをしないから焦ったよ。
これは別に同伴者以外が返事をしてもいいんだよ。そこに人が居るって分かるから。返事をしないのはカモシカとかクマが居る可能性があるから。だから誰が返事をしてもいい。そこに人が居る。人が声を出している方向が分かれば、その方向が安全だと分かる。
世の中には呼吸のついでに言葉を発する人種がいる。要するに腹式呼吸が不得手な人間。大きな声を出せない人間。これは山に向いていない。互いの位置を知る・知らせる上でこれは重要。他にも色々と山でのお約束がある。
登山者の常識はオラには分からないし、分かりたくもない。あくまでも自分の身は自分で守る。山では誰にも頼らない。これは自分との闘い。ただ、連れて行ったら全員を車まで連れ戻す能力・体力・知識・責任感が必要。

動物的な勘や行動原理を忘れた人間には分からないだろうが、決まったルートのそこしか見ていないような周りの見えていない人間は基本的に周りが見えていないし、その癖が付いていないから、自分の居る場所を理解しない。危険に対して鈍感。強い生への執着がない。慎重さが皆無であることは間違いない。

あと、分からない人には分からないだろうが、人間の目は色・明るさ・明暗の違い・色深度・遠近感(深視力)がある。偏光グラスで吹雪のなか、全面真っ白の視界から道路や路肩を認識はできるが、裸眼でこれが普通に感知できるほど高性能な人間はどれほどなのだろう。白と灰色の世界でその僅かな色の違い(殆ど白と見分けが効かない薄い灰色)を認識できるか。その色の違いの形状で、それが何であるかを脳がどのように判断出来るか。そもそもその判断材料となる予備の経験や記憶や判断材料が脳にあるのか。

オラは幼少期から山に入っているから経験でそれらを補完し何であるかを認識できる。雪の日は深く積もった雪にダイブしてモグラのようにトンネルを掘り進んで遊んでいたので、素手で積もった雪の性質に応じた掘り進め方も知っている。簡単に雪に潜れる。雪の中は気温0度だから温かい。かいた汗で末梢から冷えることも知っている。手は脇の下や股間に突っ込めばすぐに温まるし、足は指を握ったり開いたり、手で揉んだりすればいい。登山するならすぐにカイロくらいは取り出せる場所に沢山詰め込んでおくべきだろう。凍傷が一番怖い。換えの下着や靴下。背中や腹に突っ込む新聞紙やタオルも重要な防寒対策だ。あと、オラ的には呼吸を確保するためのホースもあれば良いんじゃないかな。吹雪じゃ雪壕の入り口が時間とともに塞がれるので風向きや入り口で少し掘り進めたら90度曲げて掘り進むなど工夫も必要。

考えようと思えば状況に応じて生存性を高める方法はいくらでも思いつく。

オラは登山の知識はない。だから登山家の常識は知らないし、むしろ登山の知識は邪魔。だけど山で行動する基本概念。生き残るための知識。自分の周りで起こっていることを正確に把握し、次に何をスべきか冷静に考える余裕はある。


0 件のコメント:

コメントを投稿