ヌコがプランターを掘る
うんこしやがってー ヾ(`(Д)´)シ ぐぉらー!
木酢液も効かないな。
こりゃ、哺乳類共通のアレだな。
トウガラシ。
会社では毎年、ソフトボール大会があるのだが、ホームセンターに行ったついでにグローブを見てきた。
大人用は12インチらしいが、小さいのだ。
いったいどこの大人用だよw
しかも12インチ以上のサイズが無い。
値段は1500/2000/3000円くらい。メイドインチャイナだべし。
キャッチャーミットもあった。これは1種類だけ。
グローブを買って置けば借りなくて済むし、安いから1個持ってようかと思ったが、小さすぎてボールをキャッチしたらグローブがすっぽ抜けるわな。
( ´(Д)`)y━~~~ まぁ、そろそろ大人用のサイズを見直さなきゃいかんべ。
シベリアから来て、シベリアに帰るまん丸鳥のツグミ。
くさぶえ温泉の近くの林に居た。
鳥さん萌え燃え星人のオラが好きな鳥さんのひとつ。
雪はもうだいぶ溶けたのだが、北に帰る鳥さんたちはのんびり空を見上げて「いつ帰ろうか」と思案中のようだ。
季節によって住む国を変える鳥さん。
人間が季節によって住む場所を変えるのは遊牧民くらいのもので、文明人は同じ土地に定着するのが普通。
まぁ、日本人ならも3月末には進学・就職・転勤などで民族大移動をするが、人間の場合は不特定多数の場所に移動するだけ。
渡り鳥を見ていると、国境なんて関係無いし、空を飛べるし、人間が見ている風景なんてほんの僅かなんだなと思う。
その小さくて丸い眼を見ていると、大きなだけで狭い世界しか見ていない人間なんてイキモノが小さく見える。
だから人間は自分の周りしか見ていないし、広い視野で見ようとしないのだ。
もしも、人間が絶滅して鳥さんが地球の覇者になったら、もっと良い世界になるのだろうな。
人間が絶滅を免れるにはやっぱり地球を出て行って宇宙に進出するのが一番だろうなぁ。
地球は人間にとって命と同じだけど、地球上には人間を殺すウイルスや細菌がいっぱい。
まぁ、宇宙に出たとしても近親交配を避けないといづれ人間としての種は滅びるんだろうけど。
少数の人間が宇宙に出てもしょうがないなんだろうな。きっと。
で、次の遺伝子組替え技術は、近親交配を可能にするため人為的に遺伝子情報の差異を作る技術だろう。
まぁ、近親交配は天才かバカが生まれるかもしれないんだよね。
下手すると生殖能力を失うかもしれないし。
なんか歩道に立ってるオバサンの後ろでハシボソが犬のように鎮座している。
オラは赤信号で止まっていたので、試しにジャーキーを一本投げてみた。
どうやらこのハシボソはジャーキーというものを見たことが無かったようだ。
クチバシで恐る恐る突いてから、噛み付いてこないのを確認しているような仕草をしてジャーキーを咥えた。
なんか舌がチョロチョロしている。
ああ、味見をしているのだな。
どうやら食べられるものだと認識したようだ。
それにしても肖像権に問題が無ければ撮りたかった。実に笑える絵だ。
あのオバサンとハシボソの関係は分からないが、馴染みなのだろう。
余りにも普通に佇んでいたので笑えた。
ちなみにジャーキーはいつもマエダのペットフードコーナーで買っている犬用のやつ。
ヘルシーフードなのでニンゲンが美味しいと感じるかは別だが、彼らに害は無いので心配ご無用。
ちなみにこのハシボソ。
いつも同じ場所で尻をフリフリしてエサを探している。
たまに立体駐車場の中をテクテクと歩いている。
カラスだから、こちらが見なければ目を合わせることも無い。
いつも気にはなっていたが、あのハシボソもちゃんと人間の知り合いが居たようだ。
豚バラ肉を塩味のスタミナ源タレ(通称:源タレ=げんたれ)で炒め、出てきた脂で卵焼き。
野菜が微塵も入っていないオカズ2品の弁当。
これにいま炊いているご飯をよそって胡麻塩を振り掛ける予定。
豚バラが250円。卵4個。3食分だから310円÷3食で103円くらい。
これにご飯を含めても150円の弁当。
スタミナたっぷりで安くてボリュームもある。
これに1杯10円相当のお吸い物をつけても160円ってところ。
汁つき200円でも充分に売れるだろう。
大量に作ったら商売ができる。
コンビニやホカ弁では不味い漬物がついてくるが、たぶん誰も食わないだろう。
アレをつけるくらいなら、解凍したオクラを1本つけたほうがありがたい。
オクラは500gで200円だ。
そう考えるとオカズを少しくらい増やしても、食べ残さない弁当を格安で作ることなんて何も難しい事は無い。
オクラの代わりに冷凍カリフラワーか冷凍ブロッコリーでもいい。
マヨネーズをちょっとつけておけば殆どの人は喰うだろう。
いや、野菜が食えないお子様の大人を除けばだけどね。
鮭だって業務用食材の店で1枚60円だし、これを半身つけても300円で相当上手そうな弁当が作れる。
健康がどうとか気にする前に、美味しいものを喰って満腹になりたい欲求が強くて最近また太ったぜぇ・・・
何事もそうだ。
当たり前の中に矛盾が隠れていれば探し出して良くしようとする考え。
今までやってきた事に対して、そのままで良いのか。ここをこうしたらもっと簡単なのにとか。
そういう考えは常に持ったほうが良い。
もしかすると誰も気付かなかったことが分かるかもしれない。
何年も前から疑問も持たずに物凄い使いにくいソフトウェアを使わされつづけている事に疑問を持たないで毎日苦労している人たちが居た。
そのソフトでできあがる帳票と同じものがもっと簡単で直感的に作れれば時間の節約になるし、説明も簡単になる。
でも、そのソフトウェアを全てだと思い込んでしまう事で疑問を持たない人たちが居る。
いや、そういうものだと思い込むジャンルが違う。
不便だと思えば言えばいい。
何も言わない。
効かれても答えられない。
効いてもキョトンとしている。
いや、ここは普通、言うべきだよ。
「これ、もっと簡単にできないのか?」・・・と。
鷄のモモ肉3枚198円。
安いか高いかは比較対象が無いので安い方だということにする。
鳥肉はヘルシーで安価である。
肉が喰いたい時は豚肉や牛肉という選択肢もあるが、一番は鶏肉である。
良質の蛋白源として重宝している。
焼いても蒸しても肉が柔らかい。
次は豚肉のバラだ。豚肉は栄養価が高い。
脂肪の旨味もよく、野菜炒めによく合う。
だから豚バラ肉を炒めて脂肪を溶かしてから野菜を投入。
その油だけで野菜が炒められる。
牛肉は健康に悪い(脂肪が固まりやすい)ので殆ど喰わない。
喰うとすれば牛丼で喰うくらい。
で、今日は鷄モモ肉をステーキにして食べた。
昨日はホタテのヒモと卵のボイルが安かったので、これを煮付けにした汁がフライパンに残っていたので、その汁を鳥肉に浸してからケチャップをかけて蒸し焼きにした。
ご飯は2合炊いて、1/3ずつ分ける。
今晩1/3喰って、1/3を明日の朝飯用の弁当に。残り1/3を明日の昼の弁当にした。
けっこうボリュームがあるが、これで1食あたり100円くらい。
鶏肉バンザイだ。
オラは鳥さん大好きであるが、鶏肉も大好きである。
幸いなことに鶏、ハト、白鳥なんかは可愛いなどと微塵も思わないので鶏肉は普通に喰える。
ハトも料理として出されれば喰うだろう。
でも、我々ニンゲンは忘れていることが多いのだが、肉になる前は生きていた奴らだ。
残さず感謝して喰うのがオラのせめてもの供養であり、彼らの死によってオラは生きているのだと考えるようにしている。
豚にしろ牛にしろ馬にしろ、クジラも肉として陳列される前はそう遠くない過去に生きていたもの。
「イタダキマス」は「命を頂きます(貴方の命をいただきます)」
「ゴチソウサマ」は料理を作ってくれた人への感謝。
(* ̄(エ) ̄)人 イタダキマスとゴチソウサマ 大事・・・だいじ・・・ダイジ・・・トッテモダイジ・・・
このサイトが一番面白かった
ちなみに、オラは作りすぎても全部喰う。残さず喰う。
これは食べ物に対して。食べ物になってくれたイキモノに対して失礼だから。
そして、残さず喰うのは作ってくれた人への感謝。
だがしかし、プロが作ったマズイものは残します。
これは食べ物に対しては失礼だが、腕が悪い調理人が食べ物に対して一番失礼なことをしている。
美味しければ残さず喰う人が多くなるだろうし。
プロ(お金を貰って調理する人)意識の問題でもある。
料理とは、手間隙をかけなくとも素材の特徴を知っていれば塩で焼くだけでも旨いものが食べられる。
まずは塩から。そして手持ちの調味料や素材を組み合わせて味に深みを与えたり、食欲をそそる香りや見た目にする。
でも、一番大事なのは見て美味しそう。食べて美味しい。食べた後にまた食べたくなる料理。
(* ̄(エ) ̄)ノ それも簡単。とっても簡単。マジカンタン!
つうか、自分で作って自分で食うから不味いものは喰いたくないので自然と旨いものをカンタンに作れるスキルが身につく。だから金を取って美味しくないものを出すやつが信じられない。というより理解不能。
きっと、どうやったら美味しいものが作れるか知らないのだろうと思うが、決め手はどんだけ作って、どんだけ試して、どんだけ食ったかだと思う。
自分で作って失敗しても捨てないから意地で喰う。そうなるともう不味いものは作るまいと思うようになる。
一人暮らしだとナマゴミを出したくないから普段は捨てるところまで利用するようになる。
すると、セロリの葉っぱが非常に良い香草(肉の臭みや脂っこさを緩和する)になることを知っていたり、素早く火を通す方法を知っていたり、光熱費を節約して調理する方法を知っていたり。
でも、一番は一気に作るので、同じものを続けて喰っても大丈夫なように味付けすることが上手くなる。
ということで3回連続で喰っても飽きないものが作れる。
だから自然と旨いものが作れる。
(* ̄(エ) ̄) 合理的で素材を活かしそれでいて財布にやさしい。
(* ̄(エ) ̄)・・・うーん、ひとりで完結しているから嫁さんが居なくても困らないという自覚を忘れていた。
大雪なんだってさ。ああ、いやだねぇ・・・
つうか、春になる前に何度か吹雪いたりドカ雪が積もるのが青森の春の到来。
致し方あるまい。これは想定内のことだし、こっちは30cm降っても何も影響が無い。
いや、50cm降ろうが、70cm降ろうが関係無いのだ。
雪が降って積もるのが当たり前なんだから。
つうか、本当に積もるなら、玄関で毛玉に襲撃されるな。
ほぼ間違いなく。玄関を開けたとたんにぶわーっと飛んで来る。
で、揃って背伸びしてこう言うのだ「ゴハン!ゴハン!、早く!早く!、寒い!ハラヘッタ!コメを出せ!すぐ出せ!」
ゴハンを出すまで会社に行かせてくれないだろう。
何せ、玄関に山盛り下りてきて、コメを撒くまで立ちはだかるんだから・・・奴らは。
絶対に危害を加えないことを知っててああいうことをするのだから確信犯である。
まぁ、可愛いから許す。
(* ̄(エ) ̄) ・・・ ゴハン!ヾ(o`θ´o)シ ゴハン!
標準語で粗末とか創りが甘いとか、安っぽいとかダサイとかカッコワルイいう意味。
主に物に対して言うが、モノであれば何でも。
使用例:
「それ たんげ がふぇー でばし」 → 「それ、とってもダサいじゃない」
ちなみに「うだで(うだでー)」を代入可能である。
わいは、なんぼ うだでーんず? → うわっ!それ、実際どうなのよ?w マジで? 信じられない。
例えば図工の時間で同じ材料、同じ時間を掛けて題目に沿ったモノを作らせたら、ひとりだけとんでもなくヘタクソな作品になってしまい、それを見た同級生が一言。
「がふぇ・・・」
とかいう感じ。
ちなみにオラの車はオンボロで年代者なので「がふぇー」のである。
(* ̄(エ) ̄)ノ ここ、試験に出ます。
やっぱり何かが見えているのだろう。
一昨日、自殺した同僚の偲ぶ会の集合場所へ歩いていった。
公園の中を抜けてから国道に出てそのまま真っ直ぐ。
国道に出てからもオラの頭上をブトが飛び交う。
歩道を歩いていると何かくれるんでしょ?という顔でボソが近寄ってくる。
信号待ちしているとオラの頭上にボソが飛んで来てイガイガしてる。
(* ̄(エ) ̄) ・・・なんで?・・・もう公園からかなり離れてるんだけど?
どうみてもオラに用があるらしい。
他人の空似じゃねーの?ってことで、マクドナルドに入ってハワイアンセットを喰う。
マクドナルドを出たらさっきのボソがこっち見てる・・・
うーん・・・まだ居るよ・・・道路を渡るとついてくるボソ・・・え?何か用?・・・コッチ見てるし・・・
(* ̄(エ) ̄)・・・ええと・・・やっぱりオラに用があるの?
何だか知らないけど到底こんな場所のカラスに知り合いは居ないってくらいの場所でもカラスがこっちに寄ってくる。
きっとカラスには特定の人間に何か目印をつけられるのかも知れない。
そして、それはカラスにだけ見えてて、例え何処に行ってもそれはカラスにには見えているらしい。
いや、もしかしたら、オラの頭上にはカラスがたくさん停まっているのかもしれない。
そうに違いない。初対面のカラスがやたら馴れ馴れしく寄ってくるのは、そういう理由からなのかも。
そういや、こうなってから猫は顔を見るなリ逃げる事が多いな。
誰かメチャンコ霊感が強い人。
オラに憑いてるヤツ見えませんかね?
・・・が分かるスズメ。
会社の帰りに酒屋に寄って某所のアル中に燃料を発送。
帰宅した時には既に日は沈み、西の空が黄色く光っている状態。
今日はもう居ないだろうと思って電線を見ても居ない。
よし、居ないぞ!
と正面に眼を向けると、電線を引っ張ってるワイヤーに12羽のフワモコ団子が。
アチャー・・・居たよ・・・
玄関でカギを開ける最中、後ろで背伸びしてチュンチュン(早く!早く!)と言ってる毛玉。
ちょっと待っててねー。ちょっと待ってってば。ちょっと待てよ・・・待ってろって!w
玄関に入ってきそうな勢いだった。
コメ一握り分で充分だろ。
台所から「つがるロマン」を一握り外に撒くとプチプチプチプチプチ・・・・
腹へってたんだべな。
外の雪もだいぶ溶けてきたが、空き地はまだ溶け残った雪で地面が覆われている。
一昨日、公園の中を通った時も10~20cmほど雪が残ってたし。
早く自力でエサを探せるように溶けてくれないかな。
Wikipedia:離島・孤島の定義
いつかは住んでみたいとは思うものの、住んだら住んだで大変だと思う。
コンビニも本屋もスーパーも無いとくればある程度の自給自足を強いられる。
まぁ、畑なんて大規模じゃなくても野菜は土さえあれば育つし、原種に近い野菜ほどホッタラカシで育つ。
そもそも野菜を育てるよりも野草を食ったほうが早いかもしれない。
肉は頻繁に食えなくなるだろう。
そうなると島ならではの動物性たんぱく質しか食えない。つまり魚介類だ。
例えばメスのニワトリを放し飼いにすれば卵は食えるし、年老いた鷄は〆れば肉だ。
多分、生きるために何かを殺して喰うという機会も増えるだろう。
だけど、それは都会に住んでても同じかもしれない。
誰かが育てて誰かが殺して肉となった家畜を食っているという点では他の命を殺して食っていることに違いなど無い。
島での暮らしでは病院が最大のネックになるだろう。
具合が悪くなったからと開業医に行こうと思っても無いんだから舟で行くしかない。
そうなると、定期便を待つしかない。急病には対応できない。
学校なんて無いから本島に行くしかない。
そもそも、本島に学校がなければ学校に行くことも無理だ。
だけど、行政が高速回線を敷設してインターネットでウェブカムを使って授業は受けられる。
島に学年ごとに教室一個の学校があればいい。
小中なら合わせて9学年。離島に住む児童用の教育プログラムさえ整備すれば離島で子供を育てる事も出来る。
あとは収入か。
ある程度の人口を確保して最小の経済規模を作れば色んな需要が出てくるだろうし、老後は離島で暮らしたいという人を政府が援助すれば、それに伴う需要が生まれる。
そうすれば若者の働き口が発生して雇用も生まれるのではないだろうか。
何につけても経済を発展させるためには離島ごとに何か特色が必要。
観光だったり、保養施設だったり、老人介護施設だったり、小規模なスーパーだったり。
もしも日本がそういったインフラの整備やシステムの構築に資金を使えば日本国内に限らず、世界に貢献できるのではないだろうか。
同時に太陽光発電をはじめとする自然エネルギーの小規模な発電施設のノウハウや、小規模水道・下水施設の研究。
海底ケーブルの敷設といった事業への参加など雇用が望める。
人口を一箇所に集中させる事で効率化を測る一方で、小さくて密度の高い集落の形成もこれから必要になってくるのではないだろうか。
単に生活保護を受けて惰性で暮らしている人間は生産や貢献といった概念があるのかどうか分からない。
それよりも働きたくても働けない人。働く場所が無い人へ離島や高齢化や過疎が進行している場所へ移住してもらって、地域に参加させ、そこで暮らす方が色んな面でプラスになるのではなかろうか。
生まれてこの方いろいろとやってきたが、社会貢献なんて空いている時間で始められるものもあるし、方法や手段だってコミュニティーに入れば理解できるし、自分ができることを見つけられる。
それが社会へ属する事だし、何かを生産することに繋がるのだと思う。
過疎の村や集落に生活保護を受けて住むことだって小さな経済への貢献だと思うけどね。
働かないで国民の税金だけで生活するということ事態、働いている人間にしてみれば馬鹿らしくなる。
でも、ひとをが住むことを望んでいる地域に率先して移り住むのであればそれは大きな貢献とも言える。
住むことで貢献できるのであれば、そういったところに移住できるように行政ももっとうまいこと考えればいい。
あと、就職先についてだが、雇うまではできないが人手が足りないという企業はあると思う。
県や地方単位で行政が派遣をすればいい。
現在無職の人間の資格や技能、知識の有無を把握して企業へ派遣する。
給料は企業と行政が折半。もしも、派遣した人間をそのまま雇用したいというのであればそのまま採用すればいい。一時的に忙しい企業だってあるだろうし。通年雇うことができない企業だってある。
経営者からすれば自分で雇って、自分がクビにするのは忍びないだろう。
でも、自治体からの派遣であれば使いたいときにヒマな人を派遣できる。クビとかそういう概念は無い。
人材を経済全体のリソースとして考えるような社会であれば、その人が得意な業種への転職も楽にできるだろうし、働きたい人がずーっと働かないと働く意欲さえ失ってしまうことを考えたら、時々でもいいから働かせた方が良いに決まっている。
つまりこうだ。
生活保護者に義務を与えずに税金を投入しないで欲しい。
税金で賄われるのであれば、何かの義務を追わせるべきである。
そうじゃないと働いて高い税金を払っていること事態が馬鹿らしくなる。
何も働くといっても体を使う事ばかりではない。
頭を使ったり、単純な仕事でも何でもあるし、ボランティアに参加させても良い訳だ。
何も義務を与えない。何も制限しない。だけど、生活資金を税金からあげます。何もしなくていいですというのは変だ。
ただ、これにもパターンは必要だ。
これまで何年働いたかということ。
これは非常に重要で、いままで社会に貢献してきた人間には、今まで働かなかった人よりも優遇が必要だってこと。
楽な仕事ばかりある訳が無いんだし、貢献度が高ければ仕事をより優遇して選べるようにすること。
いくら機会を用意しても働かない人には給付金を減らしていく事。
寝たきりでもできることがある。歩けなくてもできることがある。
病気に理由をつけて全部から逃げる事なんてできないはずだ。
鬱病を自分で振り切ったオラからすれば、働きたくない理由を並べるよりも、自分ができることを探させた方が本人の為にもなる。
やってみたら意外と自分にもできるということが世の中にはたくさんあるし、気付かないところで協力者を募っているところはたくさんある。
そういった見えない求人を見える所に拾い集めることだって貢献にもなるなんだし。
働き口が無ければそういったことを仕事にしてもいいと思う。
問題は何を持って社会に参加することなのか。
自分が単に生きているだけの存在ではなく、社会に対して何ができるか挑戦することが大事だと思う。
きっと世の中にはそういった「あったらいいのに」という仕事が思ったより多く存在すると思う。