馬鹿には二通りある
馬鹿には二通りある。
努力する馬鹿と努力しない馬鹿だ。
オラは自分が馬鹿だと思っているから自分ができることで他の人より何かできることを増やしたいと思っている。モノを覚えるのは非常に苦手であるが、最近ではネットをしているとタグというものをよく使うのだ。人間もこのタグを使って記憶することでキーワードっちゅーか、関連付けをさせて効率が悪くても引っ張り出しやすいように記録することができるようだ。
身内に後者が居る。まぁ、親だが。
後者は自分が馬鹿だから何をやっても覚えられないという。
懇切丁寧に教えてやると分かったと言うが、「分かった」というのは実はもう聞きたくないという意味で、案の定、教えたその場から忘れまくる。5分後に聞いても覚えていないというか、脳みその整理が悪くて滅茶苦茶にバラバラのパーツを押し込んでいるから話の辻褄が合わない。
オラはボケる(痴呆症というか、認知症っていうのか?今は?)くらいなら死んだ方が良いとさえ思っている。ボケるってのはつまり自分が自分で無くなることだ。
いま、こうして記憶がはっきりとしていて機能もしている。ただ、オラは一時期、うつ病で記憶回路の一部が破損しているので嫌な記憶に少しでも触れるとフリーズすることが稀にある。
ハードディスクではチェックでクラスターまでやると不良クラスターをスキップすることができるが、最近はその機能が働いているようなので、その記憶に触れると「まぁ、どうでもいいや」という感情を実行するようにパッチを当てているのだ。
要するにオラ様的セキュリティーパッチである。
脳みそっていうのは使えば使うほど鍛えられると同時に、負荷がかかりすぎると本人を守ろうとフリーズしたりシャットダウンするようにできているらしい。
オラは過去にそれが一度あった。仕事中に「電源ボタン5秒押し」が機能したのだ。再起動に1年。修復に更に1年掛かっているが、医者の馬鹿野郎が2週間に1度の通院を強要しやがったので全然休養にならなかった。せめて1ヶ月連続でまるっきり誰からも縛られない時間があったらもっときちんと修復できていたかもしれない。
まぁ、休養中もパソコンとかやっていたが、休んでいてパソコンやる気力あんのかよ?とか言われそうだが、こちとら機械を触り始めたのが小学校3年からなんで、パソコンで何かするのもゲルマラジオ作るのもメシを食うのと対して変わらない。着替えをする程度のタスクとなんも違わないのだ。
人があまりしないことをやるのが好きで、人がやらないことをやってきて、人がやれないこともやってみる。そして、人が苦労してやることをあっさりやって、他の人も簡単にできるようにする。
そういう探して、やってみて、覚えて、作って、作り方を確立する。そんなのが面白いと思う。
そういう考えるという作業が楽しい。これをどうやっつけてやろうか。とか。
馬鹿なりに。頭が悪いなりに。
そして他人と違うから。自分が自分であるために何かを探して何かをやって、何かを覚えて、何かを作って、何かを残した。
いままでも。これからも。オラがオラで居るために、オラがオラにしかできないことをし続けるために何かをしていこうと思う。
きっと世の中にはオラ以上に変な奴は居るに違いない。
そういう人にはきっと、その人にしか分からないような感覚があるのだろう。
オラが鳥さんと目で会話できるように、世の中にはその辺のカラスやスズメなんかとも言葉のない会話を楽しんでいる人も居る訳で。オラが逆立ちしたってできないことをあっさりとやってのける人も居ると思うのだ。
人は自分が理解できないことを理解しようとしないことがある。
オラにもそれは分かるし、オラが数学と経理が「すっぱい漬物」と同類の見たくもないものであるように、人にはそれぞれ「ああ、これオラには向いているんだな」ってのがあるものだ。
それを見つけるために、食わず嫌いで片っ端から味見している人は、きっとその中から自分に適合する趣味とか特技とか、必殺技とか、特殊能力とかを見出して個性を発達させているのだろう。
オラはまだまだ「モノを知りたい馬鹿」である。
これからも、何かを見つけて、何かを身に着けて、何かを獲得するのだと思う。
そしてたぶん死ぬまでそれが続くのだろう。
生物ってのは、子孫を残したら死んでしまうものが多い中で、一定以上の知能を持つ者だけが、死ぬまで知識を蓄え続け、死ぬまで誰かにそれを伝えることができるのだ。
人間に生まれたからには、推らく、死ぬまで勉強で、死ぬまで誰かにモノを教えてもらい、そして誰かに何かを教えていくのだと思う。