鉛筆を削ることが楽しい⇒鉛筆を綺麗に削れるように研ぐのが楽しい⇒砥石を買うのが楽しい⇒研ぐ対象としての肥後守集めが楽しい。
何が目的なのか ヾ(≧(∇)≦)シ わかんねー!
肥後守を検索すると、それまたは肥後ナイフに関する銃刀法。事件。子供に刃物を持たせない運動などナイフに対してのマイナスイメージなニュースが多い。その上でこの肥後守を買った人の賞賛も多いという事実が分かる。今だからこそ?、いや、昔から良いものは良いと分かりきっているものだからこそ、今になって手にして良さがわかる人も多いのだ。
「貴方は鉛筆を綺麗に削ることができますか?」
問題はここ。今はシャープペンシルを使うことが当たり前になり過ぎて鉛筆の存在が忘れられがちになっている。せいぜいマークシートでHB以上の鉛筆かシャープペンシルで・・・という表現でしか鉛筆というキーワードは出てこない。
文房具コーナーに行っても鉛筆は主役ではない。鉛筆を削るものは差し込んでクルクル回す四角い小さな鉛筆削りだけ。
たしかにオラの子供の頃にもあった。あったけどナイフで鉛筆を削ることが楽しかったので、お陰で30年以上経過した今でも難なく削ることができる。刃物の扱い方も体が覚えていて怪我をすることも無い。
「 道具を正しく使用できるということは素晴しい」
肥後守を手にしたらその重厚感。実用的な道具としての存在感。単純なのによく考えられている構造。 研ぐほどに切れ味が増し、使用した時に得られる感動のようなもの。研いでいる時の安息感。よく切れるようになった満足感。精神面でもかなりプラスな道具だと思う。
世界での肥後守の評価も良く、日本の伝統的な工芸品の美しさや実用性を熱く語る外人さんのコメントもなかなか嬉しい反応で、こっちも嬉しくなる。
肥後守は世界に誇れる日本製品としてこれからも存在し続けるかも知れない。ただ、忘れてならないのは「六一〇ハップ+トイレ洗浄剤」による硫化水素発生事件。これのせいで六一〇ハップはこの世から消えた。どんなに良い、昔ながらの商品でも「間違った使い方で被害が起きると消え去る」ということだ。
刃物で人を傷付けることしか考えてない馬鹿がいる限り、刃物の立場はいつだって危うくなるのだ。刃物を正しく認識して使用できる人を育てる社会づくりというものが必要だ。
刃物は危ないから子供に持たせない・・・その結果、料理もできない。鉛筆も削れない大人が出来上がるのだ。