糞マラソン
道路を封鎖しやがるから通れない。
あんなもん、市街地じゃなくて下湯とか、県道2号とかででやればいいじゃん。
外は風が強いので、スズメも風を読んでの飛行。
まずは着地と同時に背伸びして品定め。玄米か、バームクーヘンか。
まずは玄米。そしてバームクーヘンを食べる。駐車場と道路の間には雨水が流れる溝があって、そこを超えないスズメがこっちを物欲しそうに見ている。仲間は何であんなに積極的に人間に近づけるのだろう?とか思ってるのだろうが、そこは信頼関係の強さの差。こっちはスズメを見て(*´(Д)`)=3 はぁー!かわええ! とか和ませてもらってるし、スズメは信頼することで安心してメシを食える。食事中の警戒はオラに近いほど不要。
向こうにいるスズメは横目に見ているだけで 来ない。先々週に追い払った一見さんはもう来ないので数は限られている。そんなに警戒しないで一緒に食えばいいのに。なんかそんなに恨めしく見られてもなぁ・・・
ということで風を読んでピンポイント射出。指弾でバームクーヘンを飛ばす。この指弾の精度は非常に高くなっており、ほぼ狙った位置に飛ばせる。風を読んでの着弾も可能で、精度は半径10cmから30cm程まで誤差が大きくなるものの、それでも十分な範囲だ。
風がない日は稀にスズメの頭にポン!と着弾してしまうこともあるが、何すんだよー!(ジュ!)みたいに睨むものの、 中には空中を放物線を描いて飛んで来るバームクーヘン弾を目で追ってキャッチまたは胸で受けて拾う者も居る。如何に確実にバームクーヘンという高カロリーで甘くて美味しいメシをゲットするかを競っており、そのトリッキーな行動に十分笑わせて貰ってます。
ペットを飼えないし、ストレスが溜まってる人は、是非、周りに居る鳥に目を向けてはどうか。
彼らは意外と人間との付き合いを好むし、彼らに信用されるとかなりの近距離で会話ができます。
信用度が上がってくると面白いものが見れること間違いなし。しかも、言わんとしていることが手に取るように解ってくると会話も成り立つようになり、益々面白くなる。
まぁ、一番面白いのは知能が桁違いに高いカラス。特に物静かなハシボソさんがお薦め。ハシブトは最初は煩いけど、鳴く度に怒ればそのうち何も言わなくなって、眼と眼で会話ができるようになる。近所迷惑なだけの煩いカラスも、そいつらが追い払ってくれる。上手く付き合えば彼らほど面白い生き物は居ないと思うけどね。
信号が青になる前に写真を撮ろうとしたら目の前にタクシーが停まる。
タクシーほど道路交通法を守らない営業ナンバーはいないと思う。
まるで漫画にでも出てきそうな猫。
5月8日に始めたローカルガイドであるが、2ヶ月足らずで700弱のポイントを獲得している。今は近い順に地元の翻訳というか、ローマ字読みの追加。カテゴリの追加をしている。というのも、地図の英語表記を促進させるという活動に移行している。
漢字をローマ字表示にし、意味を添えるだけでも、外人さんが目的地の検索が楽になる。英語で検索してもヒットしやすくなる。まずはできることから。
できることを、できるひとが、できるときに、できるだけのことをする。 オープンソースの精神は素晴らしい。
人間は周囲の言語を聞きながらその使い方を状況と照らしあわせて意味を理解し、発音してみせ、やがてその使い方が分かるようになると、その言葉を上手く使えるようになる。
これは当たり前のことで、母国語を親の会話から学習することと同じである。これは自然なことで、赤ちゃんのうちは元々の言語を持たないから、一番身近な親という生き物から言葉を得る。人間が一番最初に覚える知的行為であり、大人になってもそれは失われない。よって、周りに異なる言語を使う者が日常的に存在するとすれば、その言葉を理解して、話せるようになるということもまた自然な流れであると言えよう。
さて、ここまで書けば何のことやら判ると思うが、オラは鳥類の言語を理解できる。これを自分にとっての常識にしか当てはめられない人間に言うと「ありえない」と言う。論理的に考えれば冒頭で言った通りであり、口笛や歯笛で鳥類の発声が可能なオラはある程度人間が発声可能な音声の範囲でそれを模することができる。
この状況に応じた使い方を観察、学習する能力。発声可能な範囲での鳥類の言語の模写により、状況に即した適切な言語を駆使することで、人間が鳥類の言語を使って会話ができる。
ただ、人間は言葉というものに頼りすぎた生き物であるからして、感情表現やジェスチャー。アイコンタクトといったもので補完する能力が低い。そこはやはり「驚かせる」「警戒させる」ということを考慮し、あまり大きなジェスチャーは鳥相手にできないものの、 コミュニケーションを行なう相手の性格や性質に応じて正しく使い分ければ相手が配慮してくれる。
今言っている相手とは鳥類のことであるが、今まで相手にしてきた哺乳類や爬虫類にしてみても、警戒させないということを前提にコミュニケーションを図ろうとした場合、相手がそれを理解した時点で、こちらに合わせてくれることまで分かっている。一応は彼ら野生生物も、他の野生生物と人間を異なるものと理解する傾向にはあるようで、ヒトという生き物は行動原理や思考に大きな差異があるという認識もあるようだ。
しかし、野生の勘というか、直感というべきか、それによって敵意の有無は即座に判断するようで、敵意を見せなければ瞬時に無害認定してくれる。これは9割以上の確率である。その9割ですら実際はこちらの判断と対応に依ることが大きく、間違った対応を行なうと、敵意とみなされると思われる。
動物がヒトを襲うとき、概ねその対応に誤りがあり、意思の疎通に失敗した時点で襲われる危険が高まると言える。ヒトが明らかに物理的な衝突で優位な場合はヒトが譲歩。ヒトが不利な場合は可能な限り干渉を避ける行動をすることで衝突は避けられる確率が高まる。
つまり、戦闘時に絶対的に優位な鳥類相手には興味を惹かせ、小型~中型の野生動物には敵ではないという態度を示し、戦闘において不利な大型の野生動物には興味が無いし関わりたくないという態度を示すことが正しいと思われる。
対象の動物が可愛いからとキャー!と奇声を上げれば相手は驚くし、怖いからとウワー!とかギャー!なんて声を上げれば相手を警戒させる。何もしないし、何も反応しなければ相手も不干渉。きょうつうの言葉を持たない以上、態度もまた言葉なのである。その言葉を誤った場合、人間同士でも、人間と動物同士でも衝突が起こる。
非常に単純で解りやすい言葉だと思う。言葉は必ずしも発せられるものだけではない。気配や、態度、発声の種類や強弱によってもまた相手に与える印象は変わる。だから、初対面の人間と会話するかのように、様子見しながら対話するという前提条件さえ忘れなければ、多分、ヒトと動物とでも意思の疎通は容易ではないかというのがこれまでの研究結果である。
以上。
なんかこう、向こうがこっち見つけてすっ飛んでくるというのが面白い。
昔は公園で相手にしてたスズメやカラスやカモなんかは、コッチを見つけるとすっ飛んできて話し掛けてきたものだ。
その時は鬱って人間を相手にするのが怖く、写真撮影に明け暮れていたので、もっぱら相手は野鳥。
地面に伏せて彼らの目線で撮ってた。だからすっ飛んでくるときはズンズン迫ってくる訳で、スズメはチョチョチョチョチョン!と素早いホッピング。小さいから可愛い。 ハシボソはタタッ!タタッ!というステップ。デカいんで大迫力。 カモはグワァ!グワァ!とのしのし。子ガモがピーピーヨチヨチ。
それぞれ何を行ってるのか言葉は分からないが、言いたいことは双方通じているのでそれぞれに、それぞれの言葉で会話。まぁ、殆ど目配せやジェスチャー。言葉のイントネーションと強弱で解る。中でもスズメとカラスの語彙は桁違いに多く、カラスに至ってはジェスチャーの豊富さは、もはや何も言わずとも態度で解るレベル。
毎日会ってると、ほぼ言葉も不要で、ルールも出来上がり、先読みのレベル。
何というか、互いに考えてることが分かってることが互いに解ってるというやり取りなんで、いつもの連中であれば察しろよ!ということは 皆無。
半年ぶりか、それ以上ぶり。元気にしているかな?
背景が灰色になるように構造物が無い海辺に行き、ガラスに当たって流れる雨を素材として録ろうと仕事帰りに埠頭に行く。
しかし、雨は弱くなり、素材の撮影が出来なかった。岸壁を見るとハシボソ夫婦が拾い食いをしている。
誤って釣り針なんか飲むなよ・・・
あ、コッチ見た・・・
と思ったら通り越して後ろの松の木の枝に停まってコッチをガン見している。
「オマエ知ってるぞ!?」という態度に、窓を開けてカステラを放る。※HbA1cが6.3あるので食べられない貰い物。
手についたカステラを食べたら激アマ!うぇ!なんだこれ・・・甘すぎる!手がベタベタする!
アルコールティッシュで拭く・・・ハシボソさん、奥さんがビビって少し摘んで食べる。これは食べ物だ!という顔。
旦那が気づいて確保に掛かる。奥さんは呆然。「私が貰ったのよ!」という顔。
旦那が咥えて持って行った隙に奥さんに放る。今度は躊躇せずにゲット。
ここからが面白い。スズメ夫婦がハシボソ夫婦の行動を見てエサだ!!!と参戦。ハシボソと微妙な距離を取りながらカステラ争奪戦が始まる。とは言っても体格差が大きいし、スズメはそんなに食えないからカスを拾う程度。
少し小さく千切って放るもハシボソに取られる。でも、スズメは諦めない。何度も追われて逃げて戻って食って逃げてまた戻って・・・www あー動画に撮りたかったなw
ということで、オラを覚えてたハシボソ夫婦と、カラスの行動からエサを便乗してゲットしようとするスズメ夫婦。
なかなか面白い行動を観察できた。やっぱり鳥さんは面白い。
オラはmixiニュースを介して世間の出来事を見ている。配信元は偏ってはいるが、もっと知りたければ別の配信元もその場で検索する。地元に絞ったニュースも見れるから、更にそこから地元の配信元でニュースを知ることもできる。
この時期に多いのはタケノコ採りで遭難したり、クマに襲われたとか言うニュース。昔はクマを擁護すると親の敵みたいにヒステリーになるキチガイも居たものだが、最近の傾向としては、クマの生息域に入る人間がクマに文句言うな的な流れも多く、わざわざクマの住んでいるところに行ってクマが出たとか襲われたとか食われたとか言うのは可怪しいということで、至極当たり前な方向に安堵している。
mixiニュースのつぶやきから書いたコメントを一応、コッチにも貼っておく。
自然に対してはオラは謙虚じゃないかもなぁ。
どんなに足掻こうと自然という巨大なシステムには勝てる気がしない。
正に神! 自然は恐れられ、怖がら
れ、奉られ、敬われ、崇められる存在なので、時には挑み、一体となり、溶け込み、包まれ、耐え、待ち、与えられ、奪われ、願い、尊ぶもの。
物理的に勝てないものには、在るが儘を受け入れ、学び、理解し、許容し、順応するしか無いべ。
侮り、疎み、恨み、拒否し、逆らい、挑み、軽んじたところで、せいぜい抗える程度は知れている。
それを忘れた時、人は自然に飲み込まれる。
まぁ、人間は地球的規模か、宇宙的規模かは未だハッキリしていないが、宇宙を含めた自然の中から発生した生き物が進化してここまで来た。いづれはこの自然にも完全に抗えるようになるかもしれないが、映画でよくある展開としては、馬鹿やって自滅するのがオチ。そしてお約束の生き残った人間が・・・というやつ。それでも人間は忘れる生き物だから平穏に慣れてしまうと堕落して自然の脅威を忘れる。
根本的な自然現象やら物理現象というものは、些細なものには抗えても、猛威を奮えば人間なんぞ一瞬で飲み込まれ、食われる。
スズメやカラスと毎日交流があるが、幼少期から山に入ってたオラには人の何十倍もの心得がある。それでもこいつらには学べることが沢山ある。それは周囲への警戒だ。お陰でオラにもそれが伝染してしまい、些細な音なども「え?何?」と奴らが見る方向を見てしまう。時には何を感知してビク!っとなったのか分からない事もある。きっと人間には感知できない何かだろうけど。
オラもまだまだだなぁ・・・
編集し辛っ!!! なんだアレは?変種モードの切替えボタンとか用意しとけよ。
それに写真投稿した人の名前に自動的にリンクが付かないじゃないか。馬鹿なの?阿呆なの?
まだ何もない時代のほうが解りやすいよ。中途半端な意味不明編集モード用意して編集者を混乱させてるんじゃないよ。
一体誰にとって解りやすい編集モードなのかを一度考えて欲しい。
普通に考えて最も普及しているWord(Microsoft)やWriter(OpenOffice系)じゃないのか?
ブログの装飾なんかもみんなそれに準じているし、今のWikipediaの編集モードはどれが何だか意味がわからない。
しかも部分的な修正をしようにも、編集しようとしている場所にカーソルを置くと意図しない場所にカーソルが来る。
まぁ、2~3年に1度くらいしか編集に参加しないけどね。写真は時々提供するけど、写真のアップロードも前のほうが良い。各項目の日本語訳は必要だね。
青森でタケノコ採りと言えばネマガリダケ(チシマザサ)である。
今日は、朝から藪に入ってタケノコを採ってきた。
タケノコ採りの動機は、「タケノコ採りでクマに襲われる」 → 「タケノコってどんな?って人が居て破竹じゃねーか?→ちげーよ!」 → 「Wikipediaでネマガリダケを検索→写真ショボ!!!→オラがちゃんとしたの撮ってやんよ!」 → 「タケノコ採りに行こう!」 なのである。
やはり山菜の写真は山菜採りの超ベテランが撮ってこそ。今じゃ山菜採りにはあまり行かなくなったけど、別にどんな格好でも山菜採りが可能なオラにしてみれば、あくまでも写真を撮るためだけに山に行く格好するなんて面倒くさいし、別にクマが出ようが気にしたこっちゃないので、その辺をドライブする程度のラフな格好で。
何となく意味がわかれば良い程度。
日本語で書いていても外人さんには何が何やらなので、英語表記で業種が解るようにし、店名はローマ字表示。
その下に日本語で何か評価が有ればコメントをするようにしている。
とりあえず、青森市中心部からガンガンやるつもり。
はい、お陰様で Gooleローカルガイド Level.5 になりました。
ギリギリ間に合いました。なんと、5月8日に始めて、6月7日にLevel.5達成です。1ヶ月でLevel.5に成れるんですよ。まぁ、今までの貯金(膨大な写真)はありますけどね。でも、それはオラの趣味として、オラ自身が努力して貯めこんだ貯金。ここで一気に使って記録を作るのもアリだ。
幼少期からじっくり観察して行動する事が普通だったオラには、イマドキの落ち着きのない子供の行動原理は理解が出来ない。所詮は当の本人から見えた世界が全てであって、オラには興味と観察の対象であった山の中という世界は、落ち着きのない子供にとっては恐怖の世界に写ったのかもしれない。
でも、親が置き去りにしたというのはあくまでも親の証言であり、本当に置き去りにした場合、子供がどのような行動に出るのかは、その子を知らないオラには予測もできない。だから、本当にパニックになって藪に特攻したまま方角を見失って(?)彷徨ってしまい、体力を消耗して動けなくなっているのかも知れないし、とっくにクマに食われてしまったのかも知れないし、実は親が殺してどこか別の場所に遺棄したのかも知れない。
それとも本当に怪異なるものが存在するとすれば神かくしもありうる。何十年か過ぎた頃、当時の姿のままひょっこりと現れることもゼロではない。
ま、真実は父親が知ってるだろうからね。早くゲロしなさい。5分とかじゃないんでしょ?本気で放置したんじゃないの?しかも山の中で。
冷製で周囲を観察できる子なら、来た道を戻れば道路に出れると思う。自分が通ってきた道の風景を逆再生させれば簡単だ。分かれ道が有ればそこだけマッピングすれば良いしね。でも、本気で山と付き合ってきた人間と、遊びで山に入ることしか知らない人間とでは、同じ山でも見え方が違う。そこが運命の分かれ道。
軽めのフィールドから慣らせばいい。できるだけチビの時にね。そこそこ痛い思いをすれば経験値を稼いで山の歩き方も学べる。自分の子が本当に可愛いなら、きちんと道を付けてあげよう。サバイバルは何も人間社会の中だけではない。山の中だってそうだし、街中の交通ルールだってそうだ。何も変わらない。むしろ、街中の方が危険だからね。
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