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あおもりくまの生態

2017年4月27日木曜日

パワースポットについての考察

<素晴らしい景色によって気分的なパワーが貰えるケース>

 万人向けだが、好みによって傾向が分かれる。
 日常では見たり感じることのない風景(場所)であり、それによって精神的な揺さぶり(感動)が起きる。
 結果として、パワーが貰えたように感じる。世界遺産の中でも自然遺産に多い。
 お手軽ではある。

 遺跡など人の手で作られた構造物と、風化や水の力など自然の力でそういう形状に変化したものでは傾向が違う。造形美という点では似ているが、出自が違うので根本は異なる。
 

<波長が合うことに拠ってパワーが貰える場所>

 その人の肉体や精神の波長にマッチすることでパワーが貰える。というよりも、日常で狂った波長がその場の持つ波長に拠って正常な状態に調復される。 実際にはパワーを貰うのではなく自分の乱れた波長がもとに戻ることに拠ってパワーが漲る。

 オラは基本的に世間一般の人があまり近寄らない場所や、名所でもアクセスが難しい。または困難な場所にそれがある。オラの本質が人混みを嫌うことに起因する。

 自分の苗字と名前を構成する漢字を系統別に分解してみよう。根本はそこに由来するかもしれない。例えば、オラの本名(秘密)には、植物(木)と、自然に寄って作られた地形。そして星が入る。星は夜に見えることから闇に属するが、光るという意味で闇を照らす光でもある。これから拾える情報は、緑+地+闇+光である。
 緑で植物に由来する場所。例えば白神や八甲田など主に山や森林などが該当する。 地では谷や山、地形に属する場所が該当する。 闇は眠りに結びつくから寝るのもパワー回復に入る。また、闇そのものに恐怖は余り感じない特性もある。 地+闇ではどうだろう。洞窟や地下。坑道や廃坑というところか。 光はそのまんま。日光浴よりは夜なので、闇+光で月光浴なども含まれる。 人工物は含まれないことから人工物では大して回復しない。 緑には水は欠かせないが、水や水に属する部首(さんずいなど)は含まれない。 水単体のみでの回復効果は少ないと見る。


<霊的な何かを持つ場所>

 神聖なものだけとは限らない。これもその本人の波長次第ではマイナスになる。寒気を感じたり、金縛りにあったり、足に力が入らなくなる場合は素早く離れること。真逆の波長の時または非常に近い波長の時には稀にエナジードレインを食らうことがある。これは打ち消されるという感覚にも近い。
 マイナスを取り除く(ゼロになる)という観点もあるが、プラスを奪われる(これもゼロになる)こともあるので注意。仮に動けなくなった場合には、自己暗示で金縛りを解くか、恐れずに最大限の気合を込めて動け!と命じれば解ける。下北半島の女願掛岩の裏の崖はマジで勘弁してくださいだったな。
 オラのプラススポットは巖鬼山神社、高山稲荷神社、七里ヶ浜のほか、津軽半島に多数のスポットがある。巨木や名木といった類のほか、地から湧き出すものという意味では湧き水や温泉なども含まれる。 水属性は無いのだが、地に関わるものはそこそこパワー回復に適するだろう。 直接的な属性以外にも、密接する属性にも作用を受けると思われる。



<その他のお手軽ポイント>

 海水浴。地球の生命が海から生まれたのであれば納得できるだろう。これにはマイナス要素はなく、上記の3つの全ての面でプラススポット。あとは場所の問題だけ。稀にマイナス要素が集中する場所があるので、所謂「引っ張られる」に注意。

 地下。廃坑やら洞窟ってやつ。閉所恐怖症の人にはマイナスでしか無いが、地球のエネルギーを全方向から得られるからか、地属性のパワーがマッチする人には合うからなのかもしれない。龍泉洞の場合は地と水の属性だと思う。自分の属性がどれに属しているのかでその傾向が解る。あとは、その属性の強い場所を探すだけ。

 滝。まぁ、これもお手軽かな。地、水、緑、風の属性かな。地形が滝の元を作り、水が落ちる時に風が生まれる。水と地と風のある場所には植物(緑)が生まれる。

 自分なりにパワースポットの傾向と属性をカテゴライズしてみよう。 うーん、暇があればGoogleマイプレイスでパワースポットのマップを作っても面白いかもね。

 そうそう、人混みに安心する人は基本的に寂しがり屋なのかも。オラにはエナジードレインでしか無いが、人混みでパワーを得られる人の本質は、人としての要素に係るパワーが低いんじゃないのかな。で、周りの人から発散されるヒト由来のパワーを貰ってるみたいな?。
 これについてはオラ自身は自我が強いので他人のパワーはあまり必要としていない。ただ、似たようなパワーを持つ人間と一緒にいると、おそらく共振が起きて増幅されるのだと思う。

 以上、あおもりくま総合研究所がお送りいたしましたぁ・・・( ´(Д)`)y━~~~ パワー補充うまー

2017年4月25日火曜日

親がアホだと子供も

その家庭の資産の有無は大きいのだが、やはり知識は偉大だな。
日本ではその切っ掛けを与えられる教育というものが在るが、そうなると今度は教師という大人の責任も大きい。
教師が勉強を教えるのは仕事だから、あとは受け手である子供の考え方次第。

だけど、子供が将来は何に成りたいとか、それに成るためには何をすべきかまでは親の責任だ。
でも、親がそれを放棄してしまうと子供は自分の進む道を見失う。
これが今の現状だと思う。

成りたい将来。それをするために必要なすべきこと。どうなりたいのか。どうなれるのかの指針を与えること。
これは別に親であったり、先生であったり必要はないかと。
親が先生に責任を押し付け、親が周りの大人から子供を遠ざけ、子供が親や先生以外の大人から知識を得られない。子供が持つ疑問を解消できない。それが今のご時世だと思う。
負のスパイラルに陥ってるなぁ・・・

一部の大人がしていることを見れば警戒するなというのも無理な話だろうけど。
全部を排除しようとするとこうなるってことだ。
悪いことをするのも大人。でも、親の目の届かない場所で子供を助けてあげられるのも大人。

( ´(Д)`)y━~~~ 

疑われるだけで有罪にされそうな世の中だから、大人は子供に近づこうなんて考えない。
それこそ、何かあっても関わりたくないと思うのが普通だろう。
結果として、悪い大人から守れるはずの大人も不干渉に転じて子供が事件に巻き込まれる。

さて、この問題を誰がどのように解決するのだろう。

2017年4月24日月曜日

神木 十二本ヤス : ヒノキアスナロ(ヒバ)

樹齢800年 「十二本ヤス」 日本国 青森県五所川原市金木喜良市

Wikipedia:ヒノキアスナロ

 変種にヒノキアスナロ(檜翌檜、学名:Thujopsis dolabrata var. hondae)がある。アスナロより北部に分布し、栃木県の日光付近を南限とし、北海道の渡島半島南部を北限とする。下北・津軽半島を中心に分布し、日本のヒバ総蓄積(アスナロを含む)の8割以上を占める。ヒノキアスナロ(ヒバ)は青森県や石川県の県木、新潟県佐渡市の市木になっている。

 青森県内で産出される木材は、青森ヒバと呼ばれ、木曽ヒノキ、秋田スギと共に、日本三大美林とされている。

2017年4月22日土曜日

うつ病で最高の薬は吹っ切れること

 ただ押し付けがましく偶像を崇拝させようとするのは逆効果だ。そんなのファンタジー小説と変わりがなく、それこそライトノベルを読んで空想世界に自分を逃避させることと大差がない。あくまでも子供の頃に読んだおとぎ話みたいなものだから。 仮に自殺一歩手前の人間が一時しのぎのつもりではじめた結果、信じすぎるとそれに依存してしまい自分を見失うこともあるだろう。

 先ずは自覚することだ。自分は今、何処に居て、どこで暮らし、どういう存在であるのかを・・・

 精神的に弱ってるところを見せると寄ってくるのが頭のイカれた宗教の勧誘だけ。拠って頭がイカれてしまった人を洗脳し、それを勧誘員として調教。信徒を増やすため日夜その辺を歩いている精神的に弱い人を仲間にしようと行動しているのである。

 うちにも来たしな。自分が鬱病で仕事を休んでいると言ったときには喜々として頻繁に勧誘に来た。もうね、頭がおかしい。狂ってるとまで言わないが、物事が見えなくなってる。人から言われたままの話を一生懸命に説いてるのだ。 聞いていれば解る。それはその人の言葉ではない、教科書の朗読のようなものだと。
 きっと自分で考えて導き出した答えではなく、それが在るから自分は大丈夫だと偶像にすがっているのだ。 考えてみよう。自分でそれを体験したわけでもなく、何かを悟ったわけでもない。悟ったのならそれは自分の言葉で説明できるはずだ。それが出来ない以上は、その言葉に意味や重み。信憑性というものはない。

 所謂、霊媒師なども同じ。弱ってる人が胡散臭いやつに頼るんだから、霊媒師は嘘八百を並び立てて良いカモが来たと喜び不安を煽って金を獲れると心のなかでほくそ笑んでいるだろう。 でも、精神的に弱っている人に対して霊に取り憑かれているなどとあからさまに言うのは逆効果だ。不安を煽るだけ。それが嘘くさいってこと。本当に見えているのなら余計なことは言わないと思うが。

 吹っ切れているオラには言えることだが、この世の摂理を見て感じて納得して受け入れること。宗教というよりも自分のいま在る存在が周りに対してどういうものなのか。それを強く認識した時に吹っ切れることができる。答えは意外と身近にあったのだが、たぶん、オラがどういう存在で、普段の言動から何を悟ったのかを知っている人も居るだろう。パソコンに強いのもこれと同じだ。本人は答えを持たないが、知る方法を知っている。自分で探せる方法が既に確立されているのだ。これは別にパソコンに強いだけではない。そこにたどり着く方法にたどり着いているから。


 ガキンチョの時から世の中の不思議は全て興味の対象であったオラ。読書好きで理系の本が特に大好き。論理的な思考をし、大きくなったらマッドサイエンティストになるのだと目を輝かせたいたこともある。
 よって、その当時のオラには信仰心など無く、自然そのものが何かであり、オラを包み込むものだと理解していた。八百万の神は信じるが絶対心など信じないというオラの根幹。 どこにでも神は居て、いつも周りに溢れているこの感じそのものがその存在の片鱗であると。 よって人間一人がどう足掻こうとできることは決まっているのだ。 所詮は砂漠の中の砂粒一つに過ぎない存在が、この世界のすべてを知ろうとか、どうにかできる筈もない。ただ、どう存在するかだけが選択できる唯一の選択肢なのだ。

 科学と宗教は紙一重。馬鹿と天才は紙一重。どっちも似たようなもの。両極端にあるものは、その境目が曖昧というか1周回って非常に近いものであること。線で考えず面で考え、面で説明がつかないものは立体的に考える。幾つもの点がそこかしこに存在し、その何かがつながれば線。もう一つ繋がると面。更に他の点に繋がると立体的と成る。一次元、二次元、三次元がそれだ。
 趣味が多いと多面的に物事を考えるようになる。その趣味が多ければ多いほどその面は互いに接続して立体を形作っていく。やがてその立体をも超えたところに人類が感知できる3次元を超えた何かに達するのだと思う。認知できないものは認知できないが、それが認知できないものの感じ取れない事も無かろう。

 世の中には説明の付かない事はあるのは既に知られていること。それを法則性やら計算に拠って証明しようとしている天才も居るわけだし、その人にはきっと凡人には見えない何かが見えているのかもしれない。オラには見えていないけどね。ただ、存在があると感じることだけ。
 これは何かであり、何ではない。何かは言い換えると八百万の神であり、何とは絶対神。不特定であり、特定の何かではない。信じる人の多少により勢力図はあるものの、必ずしも何である必要は絶対ではない。何かという曖昧な多数のものの中に、自分は存在していると考えれば、自分がすべきことが見えていくる。
 人が人に教えるものは知識と情報であり、感知できないものの存在まで伝授はしてくれないということだ。 ただ、自分がこれからも諦めずに生きていくってことに対しては人間よりも人間以外の存在のほうが正しく理解していて、それを誤解させること無く見せつけてくれる。 オラが知識として得ているものは人間からだけのものではない。自分がそこに身を置いて感じ取れる全てが知識であり、情報なのだ。

 で、吹っ切れるとはブチ切れるは違う。世の中が悪いんだー!オレはちっとも悪くないんだー!とかいうのは無しね。 そんなのは無関係な自分より弱い人間を狙って凄惨な事件を起こすだけの馬鹿。 きっと自分しか見えておらず、自分以外の何かを拒絶し、客観的に見る平常心を失っている。 その人間が生まれてから今日に至るまでにどのような情報に触れ、どのような影響を周囲から受け、どのように感じて、何を選択して、何を選択しなかったのかは本人の選んだ結果である。
 勿論、これには周りの人間の影響。特に、親や兄弟、友人知人、先生というものも含まれる。 人の考え方が何かをきっかけに変わることがある。 何かを知った時。 何かを感じた時。 何かの物理干渉を受けた時。 そして自分が死にそうな目にあった時。 そして、自分が壊れた。または壊れかけた時。正常な状態の人間は、それ以上に困ったことがないから、周りを見なくても困らないんだよ。そんな生活を続けてきたら、きっと周りに何時もあったものを見落としてしまい、結果として見ることを最初から除外対象にしてしまって見えなくなるのだ。

 もしも、自分を見失って、自分が世の中から見失われたと思い込んでいるのであれば、自分に対してきっかけをくれる存在と対話してみよう。それには周りの人間でも、周りの動物でも、植物でも、自然でも、夜空に浮かぶ月や星にでもいい。
 問いかけは自分に帰ってくる。 何らかの形で。 それは必ずにも人が認知できるものではなく、言葉という枠組みを超えた認識であるかもしれない。 それを知覚した時、自分の中で何かが一気に動き出す。

 逃げるという行動にはいくつもある。 うつ病患者に最も必要な逃げとは、ダメダメな自分から逃げることだろうな。今までの自分では耐えられなかった事で壊れたのであれば、立ち直る時はきっと「自分Ver.2」になってるだろうし、常に人間ってのは老い続け細胞も更新し続けている。つまり、誰しもがバージョンアップを繰り返している。それが心の成長であったり、後退であったり、躍進であったりするわけだけど、うつ病患者は心のオーバーホールをしないとそもそもがバージョンアップできないのだから、思い切って今までの自分を捨ててみるというのも手段だろう。

 若い人ならそれが簡単にできてしまう。なにせそんな人生経験もないんだから、切り替えや捨てるということは十分にできる。 かといって中年や高年や老年ができないかと言われれば、経験値が多いのだから、答えの導き出し方がこれまでの経験上で失敗が多いだけに、考え方を変えるだけで意外と簡単なのかもしれない。

 どうしようもなく駄目な人間ってのは居ることを知っている。 駄目にも良いものから腐れ外道までたくさんある。でも、何かをきっかけにして何かが変われば、少しずつは変えていくことができる。
 きっかけをくれるのは「何ではなく何か」 である。その何かを探して外を歩いてみよう。あんまり近くにありすぎて悟ったときには自分が腐っていた理由なんか簡単にぶっ飛ぶ可能性がある。 まぁ、外にあるのは間違いないな。 少なくともきっかけは部屋の中のパソコンを通してインターネットから知ることもできるだろうが、少なくとも、画面で体験するよりは外に出て生で感じたほうがいい。 これだけは保証するよ。

 追い込まれると見えなくなる。思いつかなくなる。簡単な答えを出せなくなる。全てから逃げようとする。でも、逃げても人間は衣食住無しには生きていけない。
 ああ、住は要らないと思えば要らないかもね。そういうのもアリかも、自殺よりはマシだよ、まだ何かをできる余生が多いほど自殺は最悪の選択肢だ。子供の自殺のニュースを聞くと嫌になるね。仮に自殺しようとしている子供が眼に前に居れば、たっぷり話し合ってやるよ。オラの人生には波乱万丈はないけど、未だにオラ自身が発展途上だと思って、日々が勉強で楽しい。考えること、新しい何かへの試み。何かをやってのけたり、創作したり、捜し物に出たり、技能の向上に励んだり。 あーもう、寿命があと200年くらい欲しいね。そんな感じ。

 仮に200年あと生きられたら、何をしようかとワクワクしてくる。そう考えればあと仮に50年生きたとしても、時間が足りなさ過ぎるんだから、死んでる暇など無い!と自分に喝が入る。
 多趣味なオラは、やること、やりたいことが山ほどあるのだ。オラが子供に何かを始める切っ掛けを与えて、その方法まで説くことなど容易だろう?。なーに、分からないものはネットで調べればいい。それでも分からなければ、一緒に考えればいい。 オラ自身が裕福ではないから、基本的にオラはそれを金をかけずになんとかしようということしか考えない。 つまり、何かを始めるには至近はほとんど必要ないのだ。

 どうだ、死にたいと思ってるやつはオラと話そう。分析から傾向。そして、やりたいこと。できること。これからしたいこと。何に成りたいか一緒に話をふくらませるだけでも楽しそうだ。
 ああーそうそう、オラは遠慮がなく時には口が悪いので、ご利用にあたっては心の盾が必要となる場合がありますのでご注意を。 ちなみに平均的な日本人の体型や筋力では物理的にどうこうできませんので、ナイフや包丁などをご持参されても無意味です。あしからず。

2017年4月21日金曜日

複数人で作業する時の指示の出し方

 複数人での作業の場合、息が合わなければ怪我や物損の危険があるため、指示を出す側は指示を受ける人に対して的確な指示を出さなければならない。 的確な判断と適切な指示ができない人が指示をすると指示を受ける側の勘違いや、指示を受ける側の解釈で行動してしまい、事故のリスクが高まるからだ。

 これは人数が多くなるほど指示は誰に対して、どのように動かすかなど細かな指示が必要で、二人での作業では相手が一人なのだから、単純に、相手から見た視点でどちらの方向に、どのようにして、結果としてどうなるように動かすかを指示すれば良い。

 悪い指示の例としては、指示者側から見て動かしたい方向を自分視点で相手に指示すること。 しかも、自分では見えていて、それが相手にも見えていると決めつけて、曖昧な指示を出すと、指示を受けた側は言われたとおりにとりあえず動かしてみようと考える。でも、そのとおりに動かそうとしてもがっしり掴んで動かない。で、もう一つの可能性としての動きをしようと思ったら、またがっしり掴んで動かない。その度に同じ指示を出す。

 例としては、「下げろ」としか言わない場合だ。例えば自分が階段の途中に居るとしよう。棚などの重くはないが大きなものだとすると、建物などに接触しないように運ばなければならない。 階段の上まで来て、相手が「下げろ」という。でも、相手側の棚の脚は床付近でもう下げられない。仕方がないので、階段を後ろ向きに下って下げようとする。それでも相手は「違う!下げろ!」という、一体どっちに、どのようにして下げろというのだ???。とんちんかんな号令に最後は怒鳴りだし、頭がおかしいと思う始末。

 どうやら、階段の最上部の天井付近に出口のサインがあって、それが当たるようだ。でも、棚を下から持ち上げているこちらにはサインは見えている筈もない。指示者(上に居る方)からは見えているが、こちらには見えない。それで下げろ!下げろ!と怒鳴ってる始末。

 で、どう指示したら良かったかと言えば、非常に簡単なことだ。言葉を端折らずに状況と回避したい 方向。あとは正しい表現のみ。事例を挙げるとすればこうだ。

 「これ以上持ち上げると天井付近のサインに当たるので、一旦後ろに1メートル戻れ。こちら(指示者)が下げて、斜めにするから、角度はそのままに階段を上がれ」

 ところが、実際はこうだ。 さがれ! さがれ!! さがれ!!! ・・・意味わかんねーよバーカ。頭は大丈夫か? ガキの使いじゃないんだから、きちんと日本語で言いやがれってんだ。少なくともオラより長生きしているようだけど、自分が相手に伝えたい事があるのなら、誰が聞いても勘違いしないように言えばいい。あれならオラが指示したほうが絶対にスムーズに動かせる。

 ここ最近で分かったことなのだが、どうやら通行経路に対して通過させたい物体の軌道を頭のなかでシミュレーションできない人が居る。 しかも日本語が不自由なために、相手に正確な指示ができない。自分では見えているが、通過させたい物体の後ろに付いている人が、階段の途中で前方や進行方向の天井が見えるはず無いだろう?。
  どうにも理解できないのだが、その手の仕事を何年もやってる人間がそれを造作もなくこなせないというのは納得できないのだ。 やはり幼少期に立体的なモノの捉え方という遊びをしなかった人には、そのような思考回路が形成されないのだと思う。 まぁ、そいつの運転を見ていたのだが、あんな大きな看板すら見落とすくらいだから、視点の中心以外の情報を脳が処理しきれていないのだろう。 つまりは脳内視力が著しく低いのだ。 そう考えると視野というか、思考が狭く浅いのは納得できる。

 多分、同じものを同じ経路で何とか通過させようとした場合に、相手がバイト君でもオラならあの馬鹿より的確な指示をできる自信がある。 というか、ホワイトカラーの中では最もブルーカラー的な業務も同時にやってきただけに、オラにはそれしかやってこなかった人間よりも色々とできることが多いのだ。

 で、その仕事が終わって自分の事務所に帰るべきか、家に帰るべきかと思ってたところにヘルプ発生。大昔のドットプリンタ(Windows95/98時代の)をWindows7で使いたいとかいう無茶なヘルプ。パラレル<>USB変換コネクタで繋がれたXPから7への接続のし直し・・・プリンタ買えよ!w

 案の定、メーカーサイトにはWindowsXPまでしかドライバが用意されていない。そこでオラの「何とかならないものを何とかしてしまうPCスキル」の出番。そう、インストーラーの中から適切なINFファイルを選んで手動で認識させるアレだ。この辺は融通の効かなくなった7じゃ失敗の確率が高い。実際に、それを使ってる人間も、色々と試したがプリンタが半透明のままでプリンタ自体がWindows7のデバイスとプリンターで機能していない。
 まず、WindowsXPとWindows7で現行の設定(XP側)がどうなっているか。次に、一通り入れた後で、7側の設定画面がどうなっているか。オプションの選択はどうなっているかを比較。設定そのものをとりあえず再現。それでも駄目ならUSBケーブルを挿し直し。再起動。プリンタも再起動とか色々と試す。7側でチェックの入っている項目を外してみるなどして、直接繋がってるほうのPCはテスト印刷までできた。問題はそのプリンタをネットワークプリンタで使う場合。これは本社が色々と制限をかけているので、オラが弄れる場所が限られているために難航し、結局はシステム側の制限により不可能と判断。でも、とりあえず、Windows7のPCに直接繋がってるPCだけはそれが可能になった。

 什器の運搬や搬入も、PCや周辺機器の設定も似たような部分がある。論理的思考により、仕組みや本質が分かっていれば、どうとでも成る。 狭い通路に通れないものを通すのは無理だということと同じで、ネットワークのセキュリティーがガチガチに掛かっていれば、認識まではさせられても、通るものも通らないということ。

 今日の作業指揮者と、パソコンに詳しくない人が何度やっても失敗するという場合の共通認識はこうだ。 物事の本質を見極められなければ、物事はスムーズに動かせない。通路に大きな棚を通すのも、通常の手段では認識させられない周辺機器を無理やり認識させるのもオラにとっては同じこと。

スズメは個体識別が難しい

表面上の目立った違いが少ないので。

1.喉元の黒い部分で見分ける。
2.距離感で見分ける。
3.態度で見分ける。
4.喋り方で見分ける。
5.呼んでから飛んできて着地する位置で見分ける。
6.近寄ってくる経路で見分ける。

と、まぁそんな感じ。 で、だ。

うちの向かいの穴蔵に住んでるツガイのオス。
慣れているせいか、呼ぶとすぐ来るし、近くに着地し、階段を通って最も高い位置に登って近寄ってくる。これが彼の定番のルートなのだろう。そして、チュン!と挨拶した後で、無言のまま、さあ、来てやったぞ!という態度で頭を傾げてジュジュジュ!(早く!)という。

他にも常連が来るのだが、たぶん、そいつには喧嘩(意外と激しい取っ組み合いの喧嘩)で負けたのだろう。そいつが飛んで来ると後ずさりして投げたエサを譲ってしまう。でも、新しいのを貰えばいいという態度ですぐこっちに寄ってきて、次のやつ早く!って顔をしている。
カラスの場合は「お伺いを立てる→許可が出る→貰ったらさっさとスズメの邪魔にならぬように飛び去る」というケースが普通だが、スズメの場合は、その極小な体格でありながらかなり強気なこと。ギャップ萌えというやつ。そんな20gしか無い小さな体で、詰め寄る。行く手を阻む。恫喝する。何故か何時も怒ってるw

もしも、図体がカラスで性格がスズメの鳥が居たら、間違いなく厄介だと思う。スズメが小さくて強気。カラスが大きい割に気遣いを欠かさないという性格で良かったと思う。

ちなみにカモメは「自分にもくれ!→やだ!→なんでくれないだよーーーー!!!(全力で悔しがる)」。
色が白いから嫌われない傾向にあるものの、カラスと同じ掃除屋(スカベンジャー)であり、同程度の大きさでありながら知能は低い。まぁ、扱いやすいが、怒るとウンコ爆弾を狙って落とすのでやっぱり嫌い。

2017年4月18日火曜日

塩分過多

 味の濃い味噌汁を出される。しょっぱいからお湯を足す。塩分が薄まる。でも、塩分摂取量は変わらないから意味が無いというバカが居る。
 その場のことしか考えないんだろうなと思う。理由は簡単だ。味の濃いものに慣れるほうが、長い目で見ると結果的に塩分過多と成る。
 お湯で薄めることで薄味になるし、水分量も多くなるから、排出される量も多くなる。しょっぱい味噌汁を飲んだら塩分が濃いまま吸収され、血中の塩分量が増える。水分も少ないから排出も遅れる。しょっぱいと感じたら薄めれば良い。それに意味がないと思う人は愚かだ。

事務所の通路が狭いのに

 椅子を出しっぱなしで席を離れたり、座ってる時に脚を組んでいて椅子を後ろに。
 こういう通路を塞いでいることに気付かない人は、どういう育ち方をしてきたんだろうかと思う。

イソヒヨドリが近所まで来ている

 自然の音を集めた音声を部屋で一晩中流していたら、イソヒヨドリの声が混じっていたせいか近所からイソヒヨドリの声が・・・ 釣られて来ちゃったかな。

2017年4月16日日曜日

ヒヨドリにつられてムクドリも来たが・・・

中鳥のくせに非常に臆病な性格なので、気配を消して微動だにしないオラに気づかず、目の前で気づいたムクドリは・・・www

スズメは普通に目の前でメシを高速モグモグ。
ヒヨドリは「いいの?食べていいの?怒ってない?」 って顔で一口ごとにお伺いを立てる。
ハシボソは電線で警戒中。自分の分(大きめに割ったバームクーヘン)待ち。侵入者をロックオンしては追尾し、仕事(他のカラスの追い出し)をしている。
ブト君は軽やかなステップで、新しいエサ(バタークラッカー)に興味津々。 サク・・・ !!! サクサクサクサク! うんめー! 新食感! な顔でご満悦。ボソと連携して追い出しにも協力的。


ブト君はボソと違って気まぐれだから、司令を出さないと仕事をしないこともある。非常に律儀なボソと、気まぐれなブト。一緒くたに「カラス」と呼ばれるには性格が違いすぎる。