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2015年10月21日水曜日

動物との自由な付き合い

昔、インコや金魚を飼っていたことがある。
どちらも家族として大事に付き合っていた。
でも、病気で亡くなったり、親の不注意で踏み潰したりと・・・もうね、いくら可愛がっても自分の責任以外で死んじゃうのはどうにも悲しくてね。
それに家に独りで置いておくのも可哀想。旅行の時とかもね・・・

そう考えて、もう動物と暮らすのはやめた。

でも、オラが鬱で参っていたとき、助けてくれたのが野鳥たちだった。
付き合って見るとインコと暮らしていた時の知識もあってか、ウマがあった。
簡単な意思の疎通もできるし、向こうもコッチを見つけるとすっ飛んでくるくらいの付き合いにまでなった。

なーんだ。動物の自由を束縛して付き合う必要なんて無いじゃん。
かれらも自由。オラも自由。困ってる時に相手を助けてやればいいじゃん。
そんな付き合いは今でも続いている。

気の合いそうな奴に話しかける。
向こうだって、何で自分の考えていることが分かるんだ?的な態度ですぐに打ち解ける。
鳥さんとのコミュニケーションはとにかく簡単だ。
何せ、あっちも相当な知能を有している。だからこっちがあっちのことを理解しようとすると、あっちもこっちに合わせてくれる。
こっちが寝ていたいときは寝てても構わない。向こうは諦めてどこかでメシを探している。
でも、冬にもなれば、向こうも必至こいてるんで頻繁に来るようになる。
こっちを信用している個体はすぐに見分けがつくし、どうすればオラが玄関を開けるのか知っている。

そういう付き合い。互いに互いの都合での付き合い。
それ以外はそれぞれの生活に専念できる。互いに自由だ。互いを縛っていないからこそ素で付き合える。
機嫌の良い時もあれば悪い時もある。でも、別に互いを束縛なんてしていないから互いに楽なのかも。

こっちが「あああ、今日は来ないなぁ・・・」って日もある。もちろん、向こうだって「あああ、今日は出てこないのかぁ・・・」って思う日もある。それはお互い様。そういう付き合い。
実に気楽。実に都合が良い。

だからこそ自由な付き合いができる。

高齢者がペットを残して死んだり。引越し先で飼えないから。飽きたから。世話が面倒だからと捨てられる愛玩動物が居る。それを考えたら、自由な連中と交友関係を結んだほうが気が楽だし、相手は自由な存在だから、付き合いができなくなっても相手を捨てることになはらない。互いのリンクが切れるだけ。
ただ、相手は人間とのつきあい方を学んでいる分だけ、次に人間とリンクを結ぶのは楽なはずだ。興味の引き方や相手に解る態度の取り方など。

ペットを飼うということは相手を縛ると同時に、自分も責任という括りで縛られるんだよね。その辺を理解できない人は生き物を飼う資格はない。所詮は乾電池の要らない動く玩具としか考えていないのだから。
食事を与えず子供を殺してしまう親が居るくらいだから、 ペットを日当たりの良い場所に放置して熱中症で殺したり、エサを与えずに餓死させるという事案は表に出ていないだけでも相当あるんだろうね。

いやいや、単に事業に失敗したブリーダーが犬の糞尿を大量に放置した事件がニュースになってたからね。そう思ったのだよ。

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