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2012年2月6日月曜日

日本語が書けない日本人

私たち日本人は日常会話において話す対象に応じた話し言葉と文脈を使い分ける。
 それは別に日本語に限ったことではないが、日本語は他の言語とは違って文脈を滅茶苦茶に並び替えても発音が悪くても、更には何か大事なものが抜けてしまっても「話の内容から全文を推測する」という特殊な言語でもある。
 だから主語が抜けてしまっても話の内容からおおよその内容を把握して返答するものだから、たとえその話し言葉に大事な主語が抜けてしまっていても会話になってしまう。
 その複雑さは外国人にとっては難解らしいのだが、私たち日本人は日常会話というレベルではそれを気にもしないで使っているので、それがかなり当たり前になってしまっているのだ。

 しかしながら、日常会話のままの言葉を文章にしたとき、その異様さに気がつく。 いや、書いている本人はそのつもりが無くても、書いている本人が目の前に居ない時、その貰った文書は酷いを通り越してしまうことが多いことに気がつく。
 去年、会社で面白い実験をしてみた。いわゆる赤ペン先生である。これは私が十年位前に当時の総務課長様に徹底して直されたありがたい指導である。本当にありがたかった。今の自分が日本人として真っ当な日本語文章を打てるのはあの総務課長のお陰と言っても過言ではない。

 文章を書くとき、相手に伝えたい内容をまず整理してから文脈を組み立て、筋が通るように並べて書く。 そしてその文章が "、" や "。" で区切られる「パターン化」と、文書による語尾の統一および、漢字で書く部分と平仮名であえて書く部分とがあることを教えられる。
 更にその文書が何であるかによって、「下さい」は「ください」と書かなければならないということも知った。 「行なう」「行う」も「おこなう」が正しい文書がある。
 「いって」が「行って」や「言って」を混ぜて使っている人もいる。「かといって」が「かと言って」になることは無いように。

 実験は文章を更正することから始めた。数ヶ月続けると全く直らない人と、凄く文章が上手くなった人とがはっきりと出てきた。なにせ報告書である。 報告書が小学校低学年の作文以下であっては大人の恥である。
 しかし、実際には「話し言葉」で文書を書くものだから、当然「え?何が?、何について何を言っているの?」というものが多い。もしもこの報告書を子供が見たら親の威厳というものは簡単に崩壊してしまうのではないかというほど酷いものが軽く半数以上あるのだ。
 中には日本語というよりは「方言」で書かれたものや、文章が訛ってるものもあり、仕事中に茶を噴出しそうになったこともある。 話し言葉が津軽弁なら書く文章も津軽弁になってしまうのだ。 これは恐ろしい。訛っている報告書。これは4コママンガにできるのではないかと本当に仕事中に考え込んでしまったくらいである。

 これは年齢や学力に関係ないことも雰囲気的に分かってきた。 文章が上手い人は説明が上手いという関係も分かった。 状況説明が非常に上手い人は文章も短くすっきりしていてイラストの上手下手は別として、状況が分かりやすいことと関係している。 下手な人はイラストも汚いだけではなく大きさや位置関係すら滅茶苦茶な場合が多い。

 つまり「読解力」が高い人は自分で組み立てる思考が強く、丸暗記型は個別の状況が説明下手ということも分かった。一般に頭が良い人は丸暗記型で計算能力も高いが、それを人に分かりやすく説明する段階になると、説明するより自分がやった方が早いということもある。
 逆に私のように頭が悪い人間だと、分かるまで分かろうとした分だけ、分かる過程まで記憶してしまうので、全体としてひとつの事に余計なデータがごちゃ混ぜで関連付けされて記憶されることが多いが、苦労した分だけ分からない人に分かりやすく説明することができる。

 中学の数学の先生がそうだった。授業を自分のペースでどんどん進める。「まるで分かって当然」なごとく右まで書き終わると左から消すがごとく勢いで進むので、書き取ることが精一杯で授業を受ける方はたまったものじゃない。悪い先生の見本のような人だった。

 国語も同じように苦手で、今となっては「あれ?これって形容詞だっけ?形容動詞だっけ?」ということがたまにあっても、「全体として相手が違和感なく読めればそれでいいや」という程度で、それ自体をあまり気にしてはいない。

 古文や現国も苦手。数学も苦手。社会や歴史も苦手。理科と科学と技術家庭科しか5が取れない頭の悪い子供であった自分ではあるが、私の作ったものが彼方此方の大学からリンクされたり使用許可がメールで来たりすると、大人になってから勉強したことは、その過程や順序が滅茶苦茶であっても、最後にそれを整理整頓して提示すれば「きちんと形になっていた」という証明にもなっている。

 日記やつぶやきなどで「正しくない日本語」を連発してはいるが、仕事中に馬鹿な日本語しか書けなければリアルに馬鹿だと思われるので気をつけている。でも、日記では正しくない日本語を使うことで私らしさが出ればいい程度に書いている。なにせ日記であって報告書ではないのだから。

 最後に締めよう。

 話し言葉は話し言葉として。日常の友達同士のEメールも別に相手に通じればそれでいい。でも、会社で書く文書やメールは、せめて正しい日本語で書くように気をつけよう。
 学生さんも居るかもしれないので、ついでに言っておくが、論文などでどの程度の量のものを書くのか大学を出ていない馬鹿な私には判らないが、きちんとした日本語を覚えるには、在学中に「司法書士」か「行政書士」の資格を取った方が良いと思う。 もちろん、その資格は契約書の作成などを含めて仕事でも威力を発揮することは間違いないし、普段の何気ない文章を他人に読まれて馬鹿だと思われずに済むことは間違いなしであろう。

( ´(Д)`)っ─┛~~~ ああ、疲れた。

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