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2012年8月1日水曜日

痛いという感覚は本人にしかわからない

だから、本人が我慢できる痛みというもののレベルも個人差がある。
特にオラは緊急時用にかなりのダメージを受けてもそれを一定時間無視するモードがある。
今回もそれを使って負傷した現場から一人で戻ってきて、様子を見ていた。
今は歩行困難なほどの怪我と、おそらく普通の大人でも脂汗が出るほどの激痛を昨日の夜から感じているのだ。
そのとき歩けたから大丈夫だとか、大したことが無いとか、嘘を付くなとか本人ではない人間が大したこと無いというのは、それこそ大人だとかどうとか言う前に人間としてどうなのだろう。
それに怪我の直後より怪我が酷い場合は後から痛みが増す。実際そんなもん。大怪我したことが無いオラにとってはいまだかつて無いほど自信の損傷箇所の酷さを痛みとして感じている。

アナタの気持ちが分かるとかいう人間が居るが、犬、猫、スズメやカラスじゃないんだから人間が人間の気持ちを分かることは難しい。言い換えれば、「その気持ちは理解できる」とか、「その痛みは大変そうだね」とかいうのが人間だろう。
逆を言えば実証できる事象に対して、今現在、相手が証拠を目で見ることができない状況で、それを咎めることもできない筈で、理由を述べよと言われても、着信があったから掛け直しただけという理由なのに、そこに食いつく時点でどうかと思う。

慣習として強制的に出場させられるものを、自由参加だし途中で飲み食いしたらそれは業務ではないから労災にはならないので法的にも労災ではないという。
ちなみにオラは酒を飲まないので飲んだのはアルコール類ではない。参加は自由ということを聞いた覚えが無い。文書で回ったという記憶も無い。ご協力をお願いしますという文書なら回ったことはあるだろう。

いづれにしても今の汚く汚れた大人たちが言う大人になれというのはパワーハラスメントと同じである。

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