手段が目的になってしまう
目的のために手段を試行錯誤しているうちに、目的そっちのけで手段を考えたり、目的の途中にある行為そのものが楽しくなってしまうことってあると思う。
例えば、美味い料理を食わせたい⇒試行錯誤する⇒料理することに目覚める。
例えば、遠くのラジオを聴きたい⇒アンテナを作る⇒アンテナ造りに目覚める。
例えば、肥後守で鉛筆を削りたい⇒切れ味悪い⇒研ぐ⇒研ぐことが面白くなる⇒砥石を買いまくる。
例えば、野湯に入りたい⇒野湯の掃除をする⇒いつの間にか地元の有志になってしまっている。
例えば、いちいちイラスト化するのがメンドイ⇒素材を作り始める⇒素材作りがメインになってしまう。
例えば、有事に生き残るにはどうしたら良いか⇒色々買いあさる⇒集めるだけで使おうともしない。
なーんてことが良くある。
肥後守に関しては、現状で 魔除け効果を付加しようと清い場所で研ぐという事が目的になってしまった。
今じゃ普通に商売できそうなレベル。「肥後守研ぎます」みたいな。1本に1時間以上掛かるからやんないけどw
まぁ、最後の刃付け(どうやっても切れ味悪いから修正して!)ってのはやってもいいが、刃の均しはやたらと時間が掛かるし、はっきり言って面倒くさいw 刃付けだけなら面均し終わってるだろうから刃先だけ修正すれば30分ってところか。
まぁ、野外でのオフ会とかでダベりながら砥石でシュッシュって「ながら作業」するならいいけどね。本気モードで研ぎ始めたら精神統一モードに入ってしまって世間話どころではないw。
刃物を研ぐときって、剣道で黙想したり、釣りでヘラブナと勝負しているようで、禅に近いかもなぁ。ナントカの境地っていう程のものじゃないけど、精神修養には良いかも知れない。
何かに一生懸命になることは良い事だ・・・とされるけど、どちらかと言えばクリエイティブな方向であってほしいみたいな。
日本人の根底にあるクリエイティブな精神ってのが遺伝子にあるのなら、きっと皆にも何かを作るという楽しさやチャレンジャー精神はきっとある・・・かもしれない。
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