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2025年1月9日木曜日

ちょっとしたことに気づく人は能力を格段に上げるチャンスが多い

 当たり前過ぎて気づかないことってあるけど、自分のやってることに対してその場で目に見えて何かが起きている時に、それが不可思議なことであることに気づくとか、どう考えても確率論を無視しまくってる。物理的にありえないような事案ってあると思う。

そこに働く何かに気づけば、それを再現可能なのか検証する機会を得る訳だ。それすら面倒くさいって人にはもう好きにしたらいいべって思うけどね。それを発展させて認識ができるようになると、それが当たり前にできるようになったりして、自分ができることが増える。

大したことじゃないんだけど、これを只管に繰り返してきた興味と好奇心の塊であるオラとしては、既にその派生スキルだけで常人の域を外れてしまってるのだけど、オラとしてはそれがごく普通なことなので、何も特別なこととは思ってないし、同じように考える人にはそれができて当たり前なので、むしろできるのにやらないほうがおかしいとさえ思ってしまう。

これって何にでも当て嵌まる事なんだけど、普段のちょっとした効率の悪さとか、違法、違反行為でも同じなんだけど、違反や違法をしなくてもできることを面倒くさがって犯す方がむしろ頭がオカシイのではないかとさえ思うのだ。

世の中は便利になりすぎて面倒くさいことがどんどん増えて怠け者が跋扈している。

それはいい、困るのはその本人なのだから。ただ、オラがその状況に居合わせてもオラが助ける義務がないと判断すればスルーするだけで、オラが手助けすべきと判断すればするだけのこと。


別に何かを極めるってのは特別なことではない。

考え方一つでとても便利な能力が手に入るのに、何はともあれ全てが面倒くさいという時代の流れで人間という生物がただただ弱体化していくだけのこと。

オラを何か特別とか化け物みたいに思ってる人が居るようだけど、別にオラ自身はスペック的に常人の何倍だろうと、分類上は人間の日本人の男という括りでしか無い。

とりあえず、肉体の限界を極める年齢ではないものの、緊急時の身体能力だけは確保しているし、部分的には人のそれを超えているカテゴリもある。だからこの年齢でやることと言えば、ソフトウェア的なバージョンアップに限るってことだ。

人間の脳のことはまだまだ分かってない事が多いんだから、何かに気づいてそれを使えるようになれば、それはそれで面白い。学者さんなんて所詮は個人であり、その人が気づくことしか気付けないし、証明もできない。本人が理解できないチカラなんてそんなものだ。

ただ、同じような事ができる人同士で解りあえればそれでいいのではないか。だって説明が面倒というか、感覚がわかる人間にしか理解できないものを口では説明できんのだから。


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