夜だ!
(* ̄(エ) ̄)さて、どうすっかなぁ・・・
桜祭りは終っても、青森缶詰のところに常駐しているカラスは公園にそのまま居付いてる。
顔を見れば、公園のカラスと違って、殺伐としている目つきだ。
公園のカラスは優しい目をしていて、額もふっくらしているが、海手のカラスは額が平らで頭頂部はふっくらしている。
屋台はは撤去中で、店の跡の草が黄緑になっている。
そこにカラスが群がって何か落ちては居まいかとカスを拾い上げ味見している。
立ち止まってカラスを見ると、カラスも一斉にこっちを見る訳で・・・
無意識のアイコンタクトなのだろうか、カラスがそれに応えるかのようにエサを探しているんだよという仕草をする。拾い上げたものを見せて飲み込んでみせる。
もしかして、心を読まれている?。それとも、眼で会話している?
カラスって不思議な生き物だ。何かあの目をみると見透かされているような錯覚が起きる。
公園を歩いているとスズメが飛んできて足元に群がる。
木があると幹にしがみ付いてヂューヂュー言ってる。
ゆっくりしゃがんでパン玉をそっと転がしてやる。
オラの足はその場から動かさない。スズメはそれを知っているから安心して寄ってくる。
その場から移動する時は前後左右を確認しないと踏んづけそうだ。
スズメが30cmくらいまで寄ってきても、同じくらい近づいて来るカラスも居るのでスズメは逃げる。
どんどんカラスとスズメが集まるが、オラは追い払ったりはしない。
中にはカラスが近寄れない距離まで近寄るスズメも居る。
これは競争だからオラはひいきをしない。どんどん寄ってくるから、その中から目を見て渡す。
パンも少なくなってきたので、「おわりー!」と言って移動。
それでも着いてくるけど、これ以上ついて来れないのをオラは知っている。
と、その途端に黒い影が猛スピードで横切り「ドカ!」という音。
東ボス参上である。
そのあと、東ボスは着いてくる数十羽のカラスを蹴散らし、戻って来る。
昨日の今日だがやはり備蓄が無いのかスキップしながら歩いてくる。
あの歩き方は喜びの表現だろう。顔もすごくやさしい顔になるので感情が読みやすい。
今日は1回オカワリして、オラは移動。
公園の中央を通って売店に。
パンの耳を買って池に。
スズメが着たけど、カラスもワラワラと集まる。
それにしても青森缶詰のところから来たカラスは煩い。
鳴かないカラスにしか分けてあげないからそのうち分るだろうけど、その前に工場に戻れよ・・・
パンの耳もあっというまに完食。
公園を出ると、1羽のスズメがヂューヂュー鳴きながらついてくる。
オラの目の高さの塀に止まってはまた飛んできて止まる・・・
(* ̄(エ) ̄) ごめんよー・・・もう無いの・・・
言ってもわからんようだ。そのまま50mもついてきた。
なんか、ああいうの見ると辛いなぁ・・・今度は隠しパンを持っておこう。
なんであんだけ人間が居るのにオラの顔は見分けられるんだろうね。
カラスは記憶力が凄いから別に不思議は無いけど、スズメもヒヨドリも記憶力良すぎるよ。
明日からは公園も祭りが終わったことだし静かになるな。
でもって垂れる。
これニュートン力学です。
余った皮はクレンジングでゴシゴシするか、振動ベルトでぶるぁぁぁぁー!します。
すると刺激を受けたり傷ついた皮は修復時に収縮します。
あまりやると痒くなるので注意です。
( ´(Д)`)y━~~~ 最後の最後で盛岡に強襲したのが良い経験値になったな。
高松の池は素晴らしいよ。あんなにでかい池だったとはね。
それに周りの大きな森も素晴らしい。
青森には市街地にあんなでかい池と大きな森は無いもん。
それに地形も起伏に富んでて野鳥にも天国だね。
弘前なら内陸だし盆地だけど起伏も激しく、弘前公園という広大な公園がある。
5千本のゾメイヨシノの古木や多彩な樹種。
あれくらいの公園が近所にあれば最高なんだよね。
それにしても疲れたな。帰りの渋滞は胃が痛くなった。
クマ号もお疲れちゃんだった。
帰りにオイルとエレメントを交換してやったらすこぶる調子がいい。
燃費も益々伸びたし。
313km走って20.56Lだよ。冬の9~12km/Lだったのが15.2km/Lと伸びた。
給油とオイル交換後は131kmで6Lだし。21.8km/Lだよ。ちょっとしたエコカー並みの燃費じゃんかよ。
もっと早く交換してれば良かったな。
オイル3Lでいいって言ったのにGSのあんちゃんが4L入れやがったのでゲージをオーバーしてるし。
かといって負荷が掛かると思ったけどそうでもない。
まぁ、気温が高いから安いオイルにしたけど、オイル添加剤を追加したからな。
どうせ、軽でオイルの違いはそんなに出ないし。違いが出るのはオイル添加剤だ。
静粛性も向上するし。摩擦が減ればパワーが熱に変換される分が減って、それだけ同じ燃料でパワーが上がる。パワーが上がればペダルの踏み込みも少なくなるから燃費も上がる。
空港の旧道の坂も交換前より+20%くらい速度が出るし、途中で息切れしないもんな。
盛岡に行く前にオイル交換していれば、1給油で行って戻って来れたかもしんない。
エンジンの始動性もキーだけで即始動だ。
前は軽くアクセルをポンポンって踏まなきゃならなかったけど。
今日は山菜採ってきて、美味しい一品ができたし、月曜の日中の無駄が無かったら2泊2日で遊べたかもなぁ・・・
土日のどっちかは実家の畑で野菜の種まきしなきゃ。
午前中に済ませれば午後から秋田方面に行けるし、新しいけど役に立たない東北の地図も買ったし、クイモンはカロリーメイトと水やコーヒーだけで充分だと分ったし。
寝床は使わなかったけど、そのままだからいつでも寝れるし。
さあて、車で出歩く楽しさを味わえるようになってきたから鬱の再発も無いだろう。
これからどんどんと他所の土地を歩きたいな。
知らない土地を自分の足で歩くって面白いや。
今日の収穫で作ってみた。
あの後、スーパーに鳥皮と油揚げを買いに行ってきた。
油揚げは用途が多いので大量に買って刻んで冷凍にしておく。
今回はあの量のフキノトウに鳥皮150gと、油揚げ2枚使った。
<調味料各種>
油揚げ 少々
鳥皮 少々
フキノトウの伸びた茎とフキ 大量
砂糖 お好み
麺つゆ てけとー
醤油 てけとー
みりん てけとー
一味トウガラシ お好み
<調理手順>
食べやすい大きさにブツ切りしたフキとフキノトウを水に晒してよーく水を切っておく。
鍋に刻んだ鳥皮を入れて脂が出るくらい炒める。
油揚げ、フキ・フキノトウを入れて炒める。
砂糖・みりん・めんつゆ・しょうゆ・七味の順で味付けすること。
煮立ったら鍋を煽ってひっくり返してつゆを馴染ませる。
火を止めて時々煽る。
冷めたらできあがり。
味が染みたのが好きなら冷蔵庫で2~3時間ほど放置すればいい。
これがあればマンマがいくらでも食える。
山菜のシーズンである。
冬眠から明けて痩せたクマは食べ物を探しに野山へ。
この時期のフキはどれも柔らかいし、伸びたフキノトウはフキと同じようにして食べられる。
穴が汚いフキは却下で、綺麗なものだけ採る。
他にもウド、ハリギリ、タラノメ、ゼンマイ、コゴミなどなど色んなものが生えていた。
でも、あまり採ると後が面倒なのでパス。
食べないのに採るのはマナー違反だ。
家に帰ってフキとフキノトウの茎を処理する。
重曹が見当たらないことに気付く。
何かアルカリ性の物質が無いかと1秒考える。
おお、そうだ、ニガリがあったではないか。
これから油揚げと鳥肉を買いに行って、炒め物にしよう。
旨いんだよな。これが。
( ´(Д)`)y━~~~ 山菜採りはこれだからヤメラレナイ。
何も重装備で行かなくたって、普段着でもノープロブレム。
ちょっと野山の恵みを頂いて、旨いオカズを作って白いマンマと味噌汁があれば幸せ。
質素だけど最高の贅沢だよな。
今日は車で0時に青森を出て、盛岡まで行って14時には戻るという中距離ドライブをした。
単純に青森とむつ市の往復2回分に相当する疲労だ。
暫くブランクがあったので途中で居眠り運転をしてしまうんじゃないかと心配だったが、現時点でまだ眠くない。
高松の池のカラス共の表情は、人間馴れした顔である。
近所の公園のカラスと同じような視線を送ってくる。
この視線に何か共通の物があるのだろうか、初対面にしては妙に警戒していない。
帰りにスーパーに寄ってメシを買うものの道の駅はどこも大混雑。
平内町のパーキングで車をとめてメシを食う。
既にハシボソのナワバリであることは見ればすぐに分かる。道路を挟んだ向こう側の電柱には3羽のハシブトが居て、ハシボソが睨んでいる。
まぁ、ここいらのカラスとは面識が無いから関係無いやとメシを食う。
ふと、視界に黒いものがヒョコヒョコと入るが見ると何だか分らない。
フロントガラスから見える範囲のギリギリの死角から、ハシボソが顔だけチラチラと出しているのだ。
腹が減っているのであろう。きっとこいつはここでメシを食う人から食べものを恵んでもらっているに違いない。
まぁ、それでも刺身には既にワサビをつけてしまったのでカラスには食わせられない。
暫くすると見えなくなったので気にせずメシを食う。
そしたら、すぐ右からプシ!とか、カッ!とか聴こえる・・・おいおい・・・まさか・・・
運転席でメシを食ってたオラが、タイヤの辺りを見ると、背伸びしてこっち見てるじゃないか。
真っ直ぐコッチを見て、「いいもん食ってんじゃんか」と眼が訴えてる。
この犬のクシャミみたいな鳴き声は、腹が減っている時に喋る言葉だ。
怖いから威嚇することはできないけど、下手に出てエサを要求するレベル。一応覚えておくといい。
少しは悔しいという感情が乗ってるからあまり無視するとメシから離れたら取られる。
このときに優しく分けてあげるか、無視するか。それは任せる。
でも、あの恨めしそうな眼で見られたらどうかな。
最近は公園に行っていない。もう5日ほど行ってないな。
まぁ、カラスだしな。何でも食うし、本来の食事をしなきゃ栄養のバランスも良くない。
子供が巣立ったらちょっと挨拶に行こうかなって感じ。
カラスの子供は可愛いぞぉ。
(*´Д`)=3 やっぱ、動物の子供って最強に可愛いよな。
結構面白かった。
かなりでかい池だね。
コイなんかバカでかいのがウジャウジャいやがる。
カモが食われそうになってたぞw
ここのスズメもヒヨも小さいキツツキも人を見ても逃げないね。
なん子先生の家も松林と高台と池と高校でおおよその見当がついたけど、下から見上げただけ。
岩手山がでかかったな。
いま、写真を整理しているんで、あとからアルバム化しようっと。
帰りはブレーキをバカスカ踏むバカタレが多くてストレスで死にそうになった。
もう昼間は走りたくねーよ ヾ(`(Д)´)シ うわーん!
残りの休みが2日2夜となった今。
残りの休みをどうやって有意義に過ごそうか思案中である。
山にはちょっと行ってきてコゴミを食ったし。
シャク(ワイルドチャービル)のおひたしも旨かった。
畑も耕して豆を潰したし、筋肉痛もほぼ治まった。
洗濯物は初日に全て済ませたし、少しだがお金はある。
寝床は(゚(エ)゚)号があるから、これから無計画の旅にだって行ける。
ETCもカーナビも無い(゚(エ)゚)号ではあるが、足を伸ばして余裕で寝れるという点では最強トランポのサンバー君が良い相棒だ。
移動するなら道路が空いている夜が一番だし、オラは夜中の澄んだ空気や夜明けの静けさが好きだ。
人込みが生理的にダメなオラだから静かなところでマッタリしたい気分ではあるが、弘前-青森間の道路ほどツマラナイ道路は無いので、南部方面に行って来たいかな。
( ´(Д)`)y━~~~ うーん、どうすっかな・・・
<迷子とは>
方向音痴とは自分が居る場所を見失ったり自分がどちらの方向を向いているかわからなくなったりするなどの先天的迷子属性の人間。
この方たちは想定していた道から少しでも外れると、たちどころに迷子になってしまうことが多い。
<迷ったら落ち着け>
通常は、自分が脇道にそれた場合でも自分の通ってきた場所をビジュアル的に覚えているので容易に戻れる。例え分らなくなっても自分の足跡を注意深く探せば問題無いが、ここでパニックになってしまうとドツボに嵌る。注意して探せば戻れる「自分でつけた道」を探せないことから歩き回ってドツボに嵌るのだ。
<何も見える情報だけではない>
本筋から数十メートルの所であれば、誰かの話し声で道がどちらか分るので、視力だけに頼らず、迷ったら落ち着いて一服し、周囲の音に耳を傾けるのがパニックにならないコツでもある。
迷ってパニくって余計にワケワカメな方向に進んでしまうとアウトだ。
<目線を上げると全体が見えてくる>
まず、ビジュアル的に記憶するというのは、簡単だ。
自分の目線だけに目をやると木々や地面しか見えないだろう。
でも、自分の目線以上に目をやると風景は一変する。
自分がどちらの方向から来たのか。どちらを向いて侵入したのかを確認できる。
<風景がダメなら足元を見ろ>
次に足跡だ。
何かしらを踏みつけて歩いている訳で、踏みつけた場所の草は何かしらの痕跡を残している。
山菜採りにしてみれば「ああ、ここはもう人が入っているな」という目安にもなっている。
慣れればなんてことはない。ほんの僅かな痕跡もわかる。場合によっては大型の動物の足跡だったりする。
<音のマッピング>
次に音だ。
何かしらの音は常に聴こえているのだが、これを環境雑音としてフィルタリングしている場合と、想定外の音だけに反応する人、BGMとして楽しんでいる人では聞き取り方が違う。
はなから雑音として眼中にないと注意散漫になる。目の前にある情報にだけ神経が行ってしまっている視野が狭い人だ。
想定外の音には色々ある。パキとか、ガサとか、鳥のさえずりやキツツキのドラミングだ。これらを鳴るごとに気にしていることも耳の鍛錬には良い。
BGMとして捕らえている人は、環境雑音を楽しんでいる人だ。
あ、今、何の音がしたというのを瞬時に理解している。
自分が通ってきた道も映像として残っているからその映像と音をビデオのように記録しているからあとから記憶も蘇りやすい。つまり、録画しながら歩いているようなもの。こういう人は迷い難い。
<通ったところを忘れないオートマッピング>
究極はオートマッピングだ。
自分が見ている景色の特徴を掴んで、方向や通ってきた道を大まかに記憶している。
マッピングは状況に応じてモード切替されており、道路として認識しているマッピング。これは車を運転する人なら普通に持っている事が多いが、最近はカーナビが付いている車が多く、人間の能力をダメにしている場合が多い。道路のマッピングは主に分岐点を記憶しており、記憶容量としては少ない。
次に、初めて通る道では比較的多めの情報を取得して興味深く見ているので「ああ、ここはさっき通った」と覚えている。これもある程度注意深く見ていれば分る。
<脳内でバードビューの地図を描く>
最後は山菜採りの本領である地形把握である。地図もなしに視界最悪の場所を突き進んで、別の場所から容易に入ってきた付近に戻れるのは、視界不良の場所に入る前に周囲の地形を大まかに分析して、行動範囲の地形データを立体的に脳に焼き付けているからだ。
これなら、自分の位置は上空から見たようなマップになっているので、自分が居る位置をGoogleアースのように点で把握している。戻るのも進むのも楽勝である。
道筋は獣道であったり歩きやすい所であったり、そうでない場合もあるが、簡単なのは一番低い谷の場所を把握していること。
谷を筋で記憶すれば山を越えない限り、低いところを通ってくれば馬鹿でも戻れる。そんなに難しいことではない。問題は理解することか、漠然と見ているかの違いだけ。
地図を丸暗記できなければ、一番高い場所と、一番低い場所を記憶すればそれで充分である。
そこまでできなくても、周囲の山の稜線を記憶すれば自分の向いている方法を簡単に把握できる。
曇りの日でも自分が谷に居るのか、平野に居るのかくらい分るだろう。
見えるものを上手く特徴を掴んで記憶するだけ。これなら頭でっかちの人間でも簡単だろう。
<自然公園なら観光マップを焼き付ける>
観光地なら案内地図があるからそれを強く脳に焼き付ければいい。
道無き道を進む時は、初心者なら目印を残せばいいよ。
山菜採りなら樹種や切り株、倒木、草花などで記憶しているから歩きながらパパパパパって脳に地図を作っている。そんなに精度は必要ない。大雑把でも部分的な要所要所の記憶がしっかり焼きついているから情報の整理が非常に高効率なだけだ。
下手に頭で考えるよりも、それが自然にできているから何気なく藪に入って、何事もなく戻ってこれる。
これはドーブツテキに感覚を利用すればいい。
単純な情報を上手く頭の中で地図にできる人は迷い難いし、自分の居る場所を写真でも見るかのように漠然と見ているだけならこの感覚は働かない。
人間は飛べないんだから、飛んだつもりで地形を変換するというのもひとつの手だ。
( ´(Д)`)y━~~~ ということを、尾瀬で迷子になった人の記事を見てふと考えた訳で・・・
出勤簿の確認・・・ありゃ・・・会社の人が誰も居ないから入れない? と思ったら常駐の方々が居たので
(`(Д)´)ゞ おはようございまーす!
と難なく侵入。
出勤簿を確認したらやっぱり水曜まで休みだった。(*´Д`)=3 ええぞ!
ヾ(`(Д)´)シつか、あと2日半しかない!
( ´(Д)`)y━~~~ どう有意義に過ごすか、ゆっくり考え・・・てらんないな。
親友にCメールしたらGWはカキイレドキで忙しいらしいし。
お疲れの所を邪魔しちゃ悪い。
恐山にカメラ持参で行った事もないし、Wikipediaで不足している写真もあるしな。
舟宿のトンカツも食いたいし、野辺地か三沢か南部方面に行くのもいいなぁ。
ああ、そうそう。
朝、ギシギシ言ってた筋肉痛が何時の間にか殆ど消えてるし。
( ´(Д)`)y━~~~ こりゃまたびっくらこいた。吐血のお陰だな。 ←そりゃない
MIDI聴こうよ!を見た訪問者からKORG_MobilTG_Driverのことを聞かれた。
これはとっても古いファイルで、当時はWindows98を使っていた頃のソフトシンセである。
しかもこんなに小さかったっけ?っていうくらい。何せ89KBしかない。
いま、調べたらWin98/95/Meで動作するらしい。NT系じゃ厳しいかもな。
( ´(Д)`)y━~~~ うーん、何もかも懐かしい
うーむ
(* ̄(エ) ̄)ゞ 去年も今頃は畑を耕してて全身筋肉痛だったよな。
昨日の畑仕事+山菜採りは、チト無理があったな。ウォーキングにしか筋肉使っていないから、どこの筋肉が鈍っているのかバレバレぢゃんか。
幸いなことに腰から下はばっちり鍛えているので大して痛くは無いのだが、背筋と二の腕が一番痛みが激しい。
クワを振り上げて竹の根を数十本引き抜く作業ってのはやはり重労働だな。
重機でもあれば楽勝なんだろうけど、人力でやることに意義がある。
両親も歳だしさ。オラが手伝えることをしなきゃな。
甥っ子たちは遊びに行ってやがるし、こんな時に若いもんが頑張らなきゃいかんと思うのよ。
最近の若いもんは小遣いを貰う時や収穫作業だけは面白がって手伝うけど、オラが小熊だった時は作業自体が楽しかったな。
土弄りが好きで、幼稚園に入る前から山に行ってたオラは土に触れるのが大好きだ。
こう、なんていうか、土の香りもそうだけど作物を育てるのが生きてるって感じで心が休まる。
山菜採りは狩猟や採取の時代の遺伝子の記憶が呼び起こされるというか、人間が使うことが無くなって失った感覚器官を呼び覚まされるという感じがいい。
小さいうちに山菜採りを経験させるってのはその後の能力に大きな影響を与えるかもね。
畑仕事で一服している時に聴こえてくる風の音や遠くから聞こえる鳥のさえずりも耳を鍛えてくれる。
どこかで家を建てている金槌の音とか聴こうとすればどんな音でも拾える。
今のお子様なんか、後ろから車が来てても見向きもしない。
来ていることが分っているのかどうか知らないけど、周囲への注意が散漫だ。
でも、小さい頃に音を上手くキャッチする脳内回路が出来上がっていると音の取扱いひとつ取っても普通の人には雑音として無視されてしまう音ですら何かの接近を感知したり、逆に音を反射吸収しないしない柔らかい物体だと環境雑音が反射しないことで何かがあると感じる。音に立体感を感じるのも一服したり地面に腰を下ろしてくつろいでいる時だ。
たとえば、目が見えるのは殆どの人が普通である。
でも生まれた時から眼に障害を持っている人は、耳が眼の補佐を行う。
全く見えない人にとっては聴覚の感度は健常者よりも優れている。
とは言っても耳そのものの性能は同じだ。
何が違うのかと言えば、脳内の音の処理方法である。
普通の人でも声を掛けられた方向を見ることはできる。
これは左右の耳で音の受ける違いを感じているからだ。
人間は左右対称に耳がついているし、耳は方向を変えられないし感知できる方向は動物よりも劣る。
でも、脳内のフィルタリング回路の発達によってはもっと細かい分解能を得られるし、オラがよく使う音のレーダー機能だって鍛えれば健常者が普通に持つことができる。
オラが感覚器官を鍛えているのは使える感覚器官を健康なうちに全てフル活用したいからだ。
仮に視力を失ったりしても耳が眼の代わりを補えるように。
聴力を失った時は気配を感じることで耳の代わりを務められるように。
普段、自分の興味があるものにだけしか目を向けず、音の殆どを雑音としてカットしている人間。
後ろに人が通れないでいるのに、通行の邪魔になっていることを気にせず、避けようともしない人。
目が見えても耳が聴こえても、見えていても、聴こえていても気にしない人はきっと視力と聴力のどちらかを失った時に初めて気付くんだろうな。どうしたらいいか分らなくて。
(* ̄(エ) ̄) でもさ、見えているとき。聞えている時に実際の状態と、入ってくる限られた情報の整合性を確認するには両方が使えるうちに鍛えた方が良いんだよね。
耳で見る。肌で聞く。眼で補う。耳で補う。肌で感じる。
危険にも臭いがあるし、その匂いってのは嗅覚だけの働きじゃないことも気付けばわかる。
あとは基本的な五感にどれだけ上乗せして生活しているか・・・
まぁ、オラの戯言も、記憶の隅にでも置いておけばいいさ。
視力を失ったり聴力を失ったりしたら、その意味が分かると思うから。
オラの眼の分解能が普通の人より優れているのは、山菜採りで鍛えた複数同時のロックオン機能と形状識別能力。そして、目標物を瞬時にフィルタリングする脳内回路のお陰だ。
緑を緑色で見ているうちはダメダな。
緑にはいろんな形の緑があるのだよ。
オラのオカタンの弟は色弱だけど山菜採りの超ベテランなんだよね。
普通の人には見つけ難いものをいとも簡単に見つけてしまう。
一回でマツタケ150本とかね。色を色でしか見れない人には見えなくても、色を形で見分ける人は違うように見えているのさ。
(* ̄(エ) ̄) え?意味が分からない? まぁ、いいさ。気づいた人だけが分かることだ。
今、普通に感じ取れている能力を少ししか使っていないというのは勿体無いことだよ。
持ってるものは同じでも、使い方次第ではとんでもない使い方ができるのもそういった感覚によるものだから。