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2010年10月12日火曜日

父が末期の胃癌という知らせ

夕刻、姉から電話。「お父さんの事なんだけど・・・」

・・・なんだべ?(というか、良くない話に決まってる・・・もしかして死んだか?)

姉「お父さんさ・・・末期の胃癌だって・・・」
オラ「ああ、そう・・・ふーん・・・」
(姉から母に電話が代わる)
母「○○(名前)、お父さんさ、入院ついでに病院さ無理やり検査させだっきゃ、末期癌だってわがったのさ・・・」
オラ「ふーん・・・まぁ、仕方ねーべ。」

オラのオトタンは今の慢性腎不全になったときも死にそうになるまで病院に行くのを拒んだ。
そして、週に3度の透析と、何度か入退院を繰り返して今に至る。

死にそうになったときも救急車を呼ぶのを拒み、タクシーで病院に行くのも拒み、母の言葉も聞かず「大丈夫!何とも無い!うるせーじゃ!ぜってー行かない!、救急車呼んでみろ!許さねーぞ!」と言い張ってきた。母はいつでも出られるようにと、普段着で寝る日が何度も続いたという。

その間にも精密検査を薦めていたのだが、それも拒み続け、とうとう入院ついでに無理やりさせた精密検査。
胃の一部の細胞を摘出して検査したところガン細胞を発見。既に末期がんであった。

父の病気の責任は父にある。

慢性腎不全の原因を作ったのも生活態度にあるからして自業自得。
父の家系の遺伝子は顕著で、父の父と母は脳溢血。だから父も漏れなく高血圧だった。
末期になるまで癌を発見できなかったのも、検査を拒否し続けた本人にあるため自業自得。
そもそも血液が不健康なんだからどんな病気を誘発しても不思議ではなかった。
全ては血液なのだ。血液が病気になると内臓が病気になる。
肝臓か腎臓が病気になると、そのもう一方が病気になる。
毒素を分解する肝臓と、毒素を濾過して排出する腎臓のどっちかが悪くなるともうひとつも悪くなる。

( ´(Д)`)y━~~~ ふぅ・・・オラぁ血液サラサラだーしよー・・・水分をしっかりとって、しっかり出す。

子供のときから「父方の家系は「あだり(脳溢血)」で、母方の家系はガンだからよー」とか言われてりゃ、嫌でも意識の根底には健康願望が根付くわな。
自分の体の異変には敏感だし、幼少のときの病弱・貧弱・軟弱・本の虫から一変して、アクティブ・剛健・熊野郎になったのも、視力を維持し続けたのも、可能な限り自己治癒能力で怪我を治したり最低限の健康レベルを保ったのも「おやんずあだりに、おっかぁガン」という家系だからだ。

父の末期がんに、姉も母も「仕方が無いよな」という感じで、オラもそれと同じ。
母も姉もオラも考え方が似ている。
それぞれが自己責任と自業自得については同じような考え方である。

我慢できないような痛みについては病院に行くのが当たり前であり、検査してもらうのが普通であり、いま抱えている各自の持病やら問題についてはそれぞれが互いにお節介焼きたがるものの、自分の健康は自分で守るものと言い張るところがある。それに頼るところは頼り、自分のことはできる限りのことをするという建前があるからだ。

だが、父は違うのだ。とにかく面倒くさがりである。
死ぬほど苦しくても、全く食えなくなるほど具合が悪くなっても病院に行きたがらない。
我慢したがる。それこそ手遅れ一歩手前まで我慢するというか、死んでもいいと思っているのか死ぬほどの病気でも病院に行きたがらない。
それこそ毎度のごとくどうしようもなくなってから病院に行くのである。
普通なら我慢強いと言うところであるが、そうではない。
死んでしまうよりも病院に行くほうが面倒くさいのである。
推らく死ぬのも面倒くさいのだろう。
でも、死ぬのが面倒くさくても余命はそんなに長くは無い。
慢性腎不全で未定の死刑宣告された上に、末期がんで時計は早まった。
末期がんの宣告は近日中に医師から行われる。

散々検査を薦めてきた母が父に宣告すると喧嘩になること間違いないし、散々検査を薦めてきた母に、散々検査を拒否してきた父が何も言える訳が無い。
それでも父は母を責めるであろうことは間違いないから、母からではなく医師から宣告してもらうことで合意した。
推らく、母から父に宣告したところで「だから何よ!何が言いてーのよ!」と言われるに違いない。
それならば、医師から言ってもらう方が事実と現実を把握できるであろう。
オラも母も姉も父の性格が理解不能であるからして、宣告を受けた父がどういう態度に出るのか想像もできない。

現実を現実として受け止めず逃げて、自分のことを全て他人任せにしてきた父になんという言葉をかけたら良いのか分からないというのが正直な気持ちである。

それでも、オラは父から幼少頃に父親らしいことを多分にしてもらった恩はある。
オラが職場復帰して給料が満額支給になってから父にもおこづかいをあげている。
母にはその数倍あげているのだが、母に上げても生活費の充填に使ってしまうのだからこれは生活費。これはおこづかい・・・と分けてあげるしかない。父は貰ったお金は全て小遣いだし。
父に何をあげるにしても何が欲しいかと言えばモノではないらしい。
自由に使える金があるという楽しみしか無いからだ。
趣味がパチンコとマージャンしか無いのだからオラ的には趣味とはいえない。
モノをあげるよりもお金のほうが本人が好きに使えて良いからだ。
本人もそれで満足なのだから。

とりあえず、いま、父が何を欲しがるのかと考えれば、入院中はとにかくヒマだってことだけ。
それならワンセグTVでいいんじゃないかと。

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