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2012年5月13日日曜日

画策された流行と偏った報道に嫌気がさしてTV見るのやめた

積極的にTVを見なくなって何年も経過した。

去年の地上波アナログ放送終了とともに、リアルタイムな情報はラジオとインターネットに絞り元々新聞も読まないから何不自由なく情報を得ている。

世の中はそれでもTVが主体で、みんな何気なく帰ったらTVの電源を入れて、なんとなく番組を見ているのだろう。
でも、TVが無くても別に何ら困ることは無い受け手にとっては電気の節約も兼ねてTVをやめてラジオ聞きながらインターネットから情報を得たり、自分から発信しているわけで、情報の一方通行から早くも脱した人たちは双方向の情報の波を楽しんでいる。

メディアの垂れ流す欠損だらけで劣化した情報を補完したり、それぞれが感じる想いとネットからかき集めた情報を元に自分なりの考えや主張をしあう。もう既に調整された情報を誰も当てにすることもなく。それぞれがそれぞれの考えを持って発言する時代になっている。奇しくもメディア自体が国民を馬鹿にしようと企てたことが、それに疑問を持たせて個々が情報を発信しあうようになったとも言える。

古くは2ちゃんねるなどの掲示板のようなものから、ブログ、そしてTwitterなどに時代はシフトしてはいるが、書く人間によって使うツールが違うだけで、ネットに拡散する手法は増えても参加しているのはコアな人間である。複数にまたがるメディアを使ってそれぞれに拡散させようと思えば時間も距離も関係の無いネットの世界では拡散を止めようがない。

一方通行のメディアが流す情報のような「誰か他人から得られる情報」のみを頼りに生きている「自分で考えを持たない人」はそれで満足なんだろうけど、生憎オラはものごとを自分を含めて客観的にしか見ない。だからメディアが不安を煽ってオラがその巻き添えを食らうと、感染者に対して正しい情報を吐き捨てることもある。まじめな顔をしてTVで言ってることを鵜呑みにしている人間の目は死んでる魚の目に似ている。まぁ、勇気を持ってオラに言ったんだろうけど、それは褒めてやらんでもない。ただ、そこに自分の意見や考えや比較する情報も無く、ただ「誰かに言われたままを他人に吼え散らす」ということがそもそも「私は馬鹿です」と言っているようなもの。

仕事をしていても必要最低限のことだけで、そこに新しい試みや付加価値を求めるような創造的な何かが存在せず、発表も読み上げに等しいこともあるだろう。そんなの時間の無駄で、「はい、言われましたのでやりました」的」な何かなぞやるだけエネルギーと資源と時間の無駄無駄無駄。

いつから日本という国はこうも馬鹿が増えたのだろうと思う。世の中が便利になり自分で工夫をしたり我慢をすることをしなくなった。自分の不手際や無知を製造元や販売元になすりつけて「普通それって自己責任だろう?」という訴訟なんかもどんどん増えている。 それこそ、「普通」のレベルも大幅に低下し、モラルも劣化しまくっている。裁判所もどうしてあんなの原告を擁護するんだ?というものも多い。世の中を馬鹿にする国策なのだろうか?

まぁ、それは自分で考えることをしなくなった人間の権利でもあるのだから、自分の意見を持たない人間が自分で考えることをやめた結果に蒙る損害すらも国や企業に押し付けるのだろう。
でも、その受ける損害が自分にとって一生残る損害や、決して金で解決できない問題だった場合、それは自分で自分の無知を責めるしか方法が無いってことも言える。

遊び登山で死んだり、救命胴衣を着けないで海で溺れる海のプロだとか、運転中に携帯電話を操作するなど2つ同時に別のことをできない人間が事故ったり、酒を飲んで運転するなと分かりきっているのに根拠の無い自信で運転して事故を起こす人間だったり、蒟蒻ゼリーを自分で喉に詰まらせてメーカーのせいにする人間だったり、道路でスケボーしてバスに特攻するガキだったり、子供に危険を教えずにほったらかしでBBQやって子供が流される親だったり、牛乳瓶同士を目の前で叩きつけて目を怪我するガキの親だったり、クマに遭遇して大声で威嚇して驚いたクマに噛まれちゃう人間だとか、下ばっかり見て山菜を採って遭難しちゃう人間だったり・・・もうどうでもいいやって感じ。
 

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