脳内3D CAD
オラは現場の写真と航空写真からほぼ完全な現場の立体映像を脳内に構築できる。
逆に、現場に立っただけで周囲に見える構造物の位置関係を脳内配置して上から見た平面を起こせる。
これは山で鍛えられた自分を中心とした立体マップ生成能力と同系のものであると思われる。
昨日、下手っぴな現場写真(被写体が切れている)と、どう見てもおかしい(建物の位置が部分的に90度回転している)手書きの間取りの図(かなり汚い)を貰った。
青森でもかなりの田舎で低解像度の航空写真であったが、辛うじて建物の位置と屋根の色が分かる程度。
でも、全体像が写っていないヘタクソ写真とGoogleの航空写真から、相違を算出して「こうではないか?」という図面を起こして指摘したら「全くその通りです」との回答。
自分で言うのも何だが、やはりオラの脳は三次元の空間把握と、それを瞬時に見下ろし視点の平面図に書き直すシナプス回路が発達し、それ系の作業に特化しているらしい。
生物の脳は繰り返しによってそれを行なうための計算や手順というものをどんどん効率化できる。
反面、見ているものが全体ではなく自分の見たい方向と範囲しか見えていない人には部分情報しか脳内に取り込まれず、それらを上手く仮想映像に変換できない。というか、仮想映像を脳内に構築・保持できない。今、目に見えているものだけしか脳に残らないからだ。パソコンで言うとキャッシュを割り当てていないということ。
基本的に動物的に周囲を認識しているオラはいつの間にか自分を中心としたレーダーおよび、それを立体的に捉え、それを更に平面図に再構築する処理を瞬時に行なえるようになったようだ。映画や兵器のCGによるスキャニングシーンを思い出して欲しい。それを妄想力で脳内に専用回路を用意したと言えばどうだろう。妄想は力である。それが如何にヲタク的であろうとも、その妄想力が現実として能力として脳に処理回路を形成したとすれば、妄想という行為にに適さない人間は発想が貧弱とも言える。つまりイメージは妄想の産物で、妄想と想像は創造にもリンクしているのだ。
ある意味で人間の脳は、意識し、それを繰り返し、無駄を省き、処理を高速化するという一連の思考制御により得意分野を素早く成長させることができるのかもしれない。つまり、思考して思考のハッキング(プログラムのバージョンアップ)を助長させることができる。
いま、目の前に大量の似たような仕事が山盛りになっているとしよう。これをダラダラと何も考えずに時間いっぱいまでやるか。それとも、こいつをどうやって楽に早く片付けて時間的余裕を作り出そうと考えるかの違い。
前者は自分で考えない。定型の作業フローで淡々と処理する。後者は全体を見て、どのようにこれを綺麗さっぱり片付けようという意思がある。
思考も脳内のシナプス(回路)と電気信号によって成り立つ。パソコンがどうやってパソコンとして機能しているかを考えたとき、脳も過去の経験からの単純なフローチャートによって動作している。ただ、脳内のフローチャートは図面に描くフローチャートと違って選択肢が平面ではない。(平面の人も居るだろうけど)
分岐が単純なひし形ではなく、経験値によってその突起が増える。平面から多面的。立体的にフローチャートを書き換えていく。無駄を発見したり、熟練度によってその接続子が並行ではなく三次元的に配置されていくのだ。
仕事上、今は一人一台のパソコンが与えられている。オラはもう3世代前のパソコンで速度も遅く、メモリも少ない。一方で古くなった順にパソコンは更新されるので、大してパソコンを使いこなせない人でも最新のパソコンを持てる。オラは今使っているパソコンを非常に遅く感じる。脳が考える処理の手順を手が実行するよりもパソコンの反応速度が劣るのだ。よってストレスを感じる。
もしもオラの思考速度と手先の動きを超えるパソコンを与えられたら、恐らく今の倍以上の速度で仕事がこなせるということだ。
パソコンは与えられたプログラムに沿ってIFとTHENとANDとNOTを繰り返している。人間の数千倍の速度で。
ただ、人間は平面で判断せず、書き換え可能な多面的で複雑なフローチャートを持っているので慣れることで学習し、どんどん手順を高速化できる。しかも並行処理で。
恐らく脳内クロックも効率化が進むと集中力によって処理をそちらに優先させることができるので人によってはパソコンのそれを遥かに上回る処理が可能だ。それだけ生物の脳の思考処理というのは速いのだ。
オラが今まで描いたマップの数は数百では済まない。描いているうちに、もっと綺麗に早く分かりやすくを欲求し続けたことで、マッピングに関して少なくとも普通の人の数百倍速くて正確にイメージできる。そしてイメージを脳内に保持できるので、それをパソコンを使って清書しているのだ。
過去にオラは鬱病になり脳の思考回路に大ダメージを受け、短期記憶に障害があると自己診断している。だけど、人間の脳ってのは凄いもので、訓練によってどんどん代替の回路を作るのだ。30%しか使われていない人間の脳には、まだまだ新しい回路を作れるだけの空間がある。
「とある化学の超電磁砲」でこもえ先生が言ってた手続き記憶と140年分の記憶領域の話。
その話だけでオラの脳内回路が得たイメージ力は大きい。自分の脳に余剰能力があるというイメージで、「なんだ、あと85年も勉強できるではないか・・・」という余裕を得たのだ。
新しい思考を行なうことを止めない限り、人間の脳は寿命で死ぬまでフルに活用できるのではないか。そう思った。同時に、思考する事を止めた時点でボケ(痴呆)は進行する。つまり、趣味を持たない人間は速く死ぬということだ。思考を加速させ、思考を効率よく制御しようと思考することで、人間の脳は見ている風景から見えない部分までを含めた空間を予測して投影できるようになる。その映像を自分の好きな始点から見ることができるようになれば、目で見た映像を立体的に捉え、平面図に起こすくらいほぼ一瞬で可能になる。
考える行為そのものを考えることによって処理を効率化し、処理速度を上げ、それによって体を操作して成果物として現実に出力する。
それを行なおうと言う意思があれば、結果として「得意分野」の出来上がりだ。
得意なことが無い。趣味が無い。いま目の前に見えている問題や仕事に対して何も新しいことをしようとしない。
これは思考の放棄であると思う。
例えば60超えたジジイが40歳も年下の女子と結婚して子供を作れる場合、そのジジイがスケベで生物として(オスとして)の本能が強く、生殖能力が衰えていないから。これは思考が肉体に与えた影響と考える。一方でスケベを止めた時点で生殖能力は衰える。男は基本的にスケベだから、スケベなほどオスとしての性質が上がる。
自分が若いと思えば体もそれを意識して細胞が活性化する。生物として活動を面倒くさがった時点で多分、生物としての活動も鈍る。つまり老化も意思によって促進される。同い年でとても同い年に見えないという現象は恐らく意思によって表面に現れる。高校の時点でかなり年上に見られていたオラが40を超えてから逆にアンチエイジングしているのは恐らく意思の力。
思考するのだ! もっと速く! もっと複雑に! そして具体的にイメージ! 人間の脳は凄い!
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