危険が見えるという感覚をご存知だろうか
人間ってのは何でもない場所で転んで怪我をしたり、一見なんでもないところで死んだりする。
小路から自転車で飛び出したり。
歩道があるのに車道を走ったり。新聞配達や郵便なんて歩道をバイクで走ったり。
対向車が来ているのに急に右折したり、追い越したり。
ちょーっとスピード落とさないと曲がれないんじゃない?って場所に普通に突っ込んだり。
外階段の手摺にもたれ掛ったり、展望台や橋から身を乗り出したり。
そんなのはどっちかっていうと無知とか鈍感というか、馬鹿だな。
もしも・・・とか思ったら普通はしない・・・いや、できないよな。
「もしも」というのは予測てあって、「○○をしたら○○かもしれない」という範囲だ。
業界では事故を起こさない為に危険を予測し防ぐ必要がある。
これを「危険予知訓練」というのだ。
ただ、これは普通の人間が修練を積めば誰にでもできること。
できなければ津軽弁でいうところの「ちゃかし」「ほんずなし」である。
オラが見えているのはもっと別のもの。
色というか、気配というかそんなもの。
どっちかというと恐怖が見えるという感じだろうか。
ゾクっとするやつね。思うが早いか感じるのが早いか、それとも回避行動が早いか。
殆ど直感に近いんだろうけど、事故ってのは起きる瞬間の「あああああああああ!」ってのが一番嫌だね。あの感覚なんて一生遭わないで済ませられるならそれに越したことが無い。
これまでに結構危ない目に遭ってるのだが、今のところ五体満足だし死んでいない。
それはこの危険が見えるようになったおかげかも知れない。
日常にある危険を見逃さないという癖をつければそれに近いことはできるだろうけど、例えば不注意から怪我を負いやすい人って何となく決まっているような気がするのだが、それが何かこの世のものではないものの影響なのかも知れないし、単なる見落としから起きる事故なのかも知れないし、それは証明できなければ仮説にしか過ぎないし、なんと言うことのないカーブが事故多発地帯になっているっていうケースを考えると、普通はここで事故を起こさないだろうってのが事故多発地帯になっているもまた事実でもある。
例えば浅虫から平内に入って、いま、道路を拡張している場所ね。
ああいう場所って普通は事故が起きないよね。
何も感じないし危険なんて微塵も感じないし、何かゾクっとするような感覚も無ければ引っ張られる感覚も無い。つまり事故が起きないような場所で事故が多発しているってことが意味するのは構造上の人間の盲点によるもの。ゆるいくだりの終わりのゆるいカーブで、どうやったら死人が出るのか不思議でならない。
それでも事故が起きている。だから事故多発地帯。何らかの理由があるのだろうけど、何かあるのだろう。
さて、事故が起きないような場所で事故が起きるのはどうでも良いのだが、さっきの「あああああああ!」のことだ。
「ああ!ダメだ!絶対間に合わない!」というあの瞬間のゾクってやつ。
あれって最悪の感覚だよね。色としては青と紫が混じったような感じ。
場合によっては青と緑だったりすることもあるのだが、危険というのは色で見えていることがある。
それそのものに色が着いているわけじゃないよ。
それに昼は色が感じないのだ。
特に夜中に車で走ってるときとか、暗闇を歩いているとき。
山の中を歩いているときに見える。
明るいときにも推らく見えているのだろうと思うが、明るい場所では見えにくいのだ。
これは「誰でも訓練しだいでオーラが見える」ってあれに近いけど、暗闇で見える自分のオーラじゃないけど、暗い方が実はよく見えるのだ。
推らくそれら危険を孕んでいる場所には独特のオーラ(気)があるのだ。
それがその人にとって不快な感覚として感じ取れれば、その人が感じる色となって見える。
これが「危険が見える」ということ。
実はこれはオカルトでも心霊現象でも無い。
要するに、その人が普段から危ないと思っているようなケースが頭の中に多く詰まっていたり、予測される危険が明らかな場合に、脳がその危険箇所に勝手にイメージとして印をつけているに過ぎない。
その人が普段からこれは危ない。これは命に関わる事故を引き起こすかも知れないと感じればその場所に何らかの不快感を感じるわけだ。
で、人間の目だって耳だって鼻だって、不要な情報をカットするフィルターがある。
あるといってもその器官そのものにあるのではない。
脳がそれを重要と感じなければカットするのだ。
しかし、その人にとって深いと感じれば、他の人には軽佻なことでも、倍以上に感じてしまうという感覚は分かるだろうか?。「嫌いなものは嫌いなんだよー!」ってアレですよ。
過剰に反応してしまうでしょ。アレと同じ。
オラが「アレは危ない」とか思ってしまうと、目に入る範囲の対象物に自動的に近寄るなサインがマークされる。それは脳で考えていることだから、自動的に視覚情報が脳で危険箇所のマークキングと重なる。
つまり、危険箇所を危険箇所だとマークした視覚情報として見えているということ。
人間ってのは使っていない能力が山ほどある。
その人がそのことについて日常的に自覚しているのであれば、そういうことだってあり得るのだ。
オラの場合は視覚情報にそういった色とも言えないような色がついている。
だから山を歩くときなんて歩きながらどこに足を置けば安全に早く確実に歩行できるか分かる。
単純にそういった感覚はある意味で動物的なもので、人間が身の回りで起きうるであろう危険を常に意識していれば、ほとんど無意識のうちにそんな危険をスルーできてしまうのだ。
たぶん、危険な場所で生活や仕事をしている人間なんかは、この感覚について、「ああ、そうかもしれない」と言うかも知れない。たぶんね。
まぁ、慣れってのでそれが危険かどうかも変わって来るし、慣れない人間にとってはあからさまに危険だと思うような場所であったとしても慣れている人にはそれは全く危険など感じない訳だし、人間の脳ってのは面白くできているものだと関心してしまうのだ。